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zoom RSS 国宝の松江城

<<   作成日時 : 2015/06/30 22:08   >>

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 2015年5月、島根県の松江城 (重要文化財) が国宝に指定された。 この城は 1935年 (S10年) 、当時の国宝保存法により一時期 国宝だったが、1950年に新しく制定された文化財保護法によって重要文化財に格下げ?.. され、それがまた新法の下で再び 国宝に指定された。 (旧法では、現在の重要文化財に相当するものは全て国宝と称されていた)

 国宝は法的には重要文化財の中の一種であり、「国宝」 の称号は重要文化財の中でも特に学術的価値が高く、文化的に意義があるものに対して与えられる。 ... 現在、有形文化財のうちで建造物部門の国宝は 2014年12月現在で 219件、そのうち城郭は8件、5城 (犬山城・姫路城・彦根城・松本城・それに二条城の二の丸御殿) である。 これに 2015年に新たに加わった松江城を入れると 国宝の城郭は 6城 になる。 だが、江戸時代から現存する城のうち 他の7城 は未だに国宝に指定されていない。 それらは南から、高知城・宇和島城・松山城・丸亀城・備中高梁城・丸岡城・弘前城の諸城である。 因みに、惜しくも第 2次大戦中に空爆で焼失した城は、広島城・岡山城・福山城・和歌山城・大垣城・名古屋城・水戸城である。 全国に多々有るコンクリート造りの城、例えば 大阪城・熊本城・名古屋城・小田原城等々は、観光用に復元された城である。

 1600年 (慶長5年)、関ヶ原の戦いに勝利した家康は 1ヶ月後に論功行賞を行い、功績のあった堀尾吉晴には恩賞として出雲・隠岐 24万石を与えた。 早速、出雲に赴任した堀尾は、従来の山城の富田城を廃し 戦略的に有利な平山城タイプの松江城を築きたいと、新規の築城を申請し1603年(慶長8年) に認可された。 これが現在の松江城の始まりである。 従って、この 城は徳川の天下統一事業の一環として建造された城であり、作事も徳川家の股肱 (忠臣) としての立場で、当地方の軍事・経済・交通等の将来を勘案して入念に行われた。 ... 実際の土地選びは堀尾親子が行い、縄張り (設計) は尾張出身の小瀬甫庵に 普請は工匠の城安に命じた。 ...さて、 関ヶ原合戦の結果、改易 (領地の没収) された大名は 93 家で総石高は 507万石、減封された大名は 4家で 220万石、結果 没収した 全 727万石の多くは 勝利した東軍側の諸将に恩賞として分け与えられた。

 松江と云う名称は築城後に出来た新しい地名である。 中世までの当地は末次と呼ばれ 宍道湖と中海に挟まれた辺鄙な土地であった。 戦国時代にはこの場所 (亀田山) に末次城が在って尼子氏と毛利勢が争った。... 松江城の築城に当り縄張りを任せた小瀬甫庵は、かっては豊臣秀長や宇喜多秀家に仕えた武人であり、他に築城家・医師・軍師・著述家の顔も持つ、著書には 信長記・太閤記等もある。 ... 松江城築城の起工式は 1605年(慶長10年) 、城下町造りも同時に始まった。 城が完成したのは 1610年 (慶長15年)。 これを裏付けるかの様に 2012年 (H24年) には当地で 「慶長16年正月... 」 と書かれた祈祷札 2枚が発見されている。

 松江城の總構えは、先ず平山城タイプであるコト、本丸の周囲には二の丸 (上段と下段) を配置し、濠を挟んで三の丸を設けた。 天守は附け矢倉付きの複合式望楼型で、4重5階の建物である。 天守の高さは、22. 5m、石垣の高さは 7. 5m で全 30m高である。 同じ平山城型で国宝の彦根城は、3重3階、建物高 16m、石垣高 5m で全高は 21m、 3重4階の国宝犬山城は同じく 19m、5m で全高は 24m 。 だが、この2城はそれぞれ 30〜50m の高さの城山の上に建っているので、見る角度に依っては天守は より高く大きく見える、... これも築城術の一つである。 ... 松江城の築城に際しては領内の富田城から部材の一部を転用したとの伝承がある、彦根城も近くの大津城や石田三成の佐和山城から櫓や部材を移設した、犬山城にも木曽川上流の金山城を移築したとの伝承がある。 ...築城の費用や工期の短縮を考えれば、廃城の部材の活用は寧ろ当然のコトであろう。

 城郭と云っても中世の城と近世の城では築城の意義が異なる。 中世以前の城は土豪・土賊が私的に、利己的な立場で築いた城であり、対する近世の城郭は覇者 (信長・秀吉・家康) とその股肱 (忠臣) の臣が築いた城であり、目的は群雄割拠の戦乱を収めて全国統一を図り、戦の無い国を造るコトにあった。 だが、覇者にも時代や環境により、やり方やその手順には違いが有り、また城郭の様式や使い方にも違いが見られる。 信長・秀吉の天守閣は建造物に極彩色の装飾を施したり、金銀を散りばめたりしたのに対して、家康の城は白壁・青銅の金具・鉛の瓦に徹し、華美を退けて質素を旨とした。 堀尾吉晴の築いた松江城も、徳川の天下統一事業に股肱として協力する為の戦略拠点の城であり、天守の様式も装飾も質素な徳川の格式・流儀に適ったものと云えよう。

 参考書 :
島田成矩      堀尾吉晴      今井書店
鳥羽正雄   近世城郭史の研究  日本城郭協会

 

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