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zoom RSS 次郎長の生き様

<<   作成日時 : 2015/07/15 22:53   >>

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 清水の次郎長の本名は山本長五郎、1820年 (文政3年) の生まれだから上州の国定忠治より 10才若く、仇敵 甲州の黒駒勝蔵よりは 10才ほど年長である。 アウトローの博徒が徒党を組み世間を騒がせたのは、文化・文政期から明治初期迄の約 70年間であり、そんな不安定な時代に次郎長が 73才まで長生きして しかも畳の上で往生できたことは奇跡でもある。 ... いま我々が見る所謂 「次郎長モノ 」 は、本に書かれても、映画になっても、歌に歌われても、筋書きや演出は明るく大様に描かれている。 そんな 次郎長モノ の小説や脚本の元になった種本、それは 1884年 (M11年) に出版された 「東海遊侠伝」 である。 この本は次郎長の養子、陸奥平藩の武士だった山本五郎こと 天田愚庵が 次郎長本人から直接聞いた話を元に書き記したもの... 。 任侠の心意気を取り上げた点では、旧幕府の代官だった羽倉外記が残した国定忠治の 「赤城録」 にも匹敵する。

 次郎長は 23才で自ら家督を整理して無宿者へと転身した。 そこで博徒として生き抜くために必要だったのは、先ず喧嘩・出入りには必ず勝つ実力と財力を持つ コトだった。 常にライバルを制する為には、必然 強い仲間や身内が必要になる。 事実、彼の一生の前半は旅烏と喧嘩と出入りに明け暮れたが、最後には必ずライバルを完全に葬る、抑える、妥協するの何れかに持ち込み、徐々に勢力を拡大していった。 そんな彼の強さの一因は、統制のとれた精鋭揃いの一家と、抜きんでた戦力にあった。 彼の行動範囲は、地元の駿河・三河を中心に武蔵、甲州、信州から伊勢までを網羅し、特に東海道筋を着々と固めて歩いた。 彼の生きた 1800年代、特に文化・文政の時代から明治初期に掛けては崩壊寸前の幕府や新興の明治政府による取締りは緩く、侠客・博徒が各地で跋扈していた。

 この時代に活躍した侠客・博徒の数は多い、その中の主な任侠の生存期間は... 上州の大前田栄五郎 1793〜1874 (年)、国定忠治 1810〜1850、 房州では飯岡助五郎 1792〜1859、笹川繁蔵 1810〜1847、 江戸では新門辰五郎 1800〜1875、 駿河では清水次郎長 1820〜1888、 甲州では黒駒勝蔵 1832〜1871、 讃州金毘羅では日柳燕石 1817〜1868、だった。 ... この時代を年号で見ると、1790年代は寛政年間、1804〜1829 は文化・文政期、 1848〜1859 は嘉永・安政の時代、1865〜6 は慶応で、1867 は明治初年である。 ... 各人の生存期間を見ると、国定・笹川・黒駒らは独立系の博徒なのでライバルや公権力と激しく対峙して早逝している。 飯岡は二束草鞋 (わらじ) の十手持ちに過ぎないが、大物の大前田は尾張藩と、新門は徳川家と、清水は山岡鉄舟.・榎本武楊らと、日柳は長州藩と関係があった。 日柳は高松藩の牢獄での病が原因で早逝したが、大前田・新門・清水は明治時代まで長生きして畳の上で往生した。 そんな彼等は、仮に士農工商の身分制度の無い 戦国時代に生まれていれば、何れも一国一城の武将になるだけの資質を持つ人物だった。

 この時代、博徒の集団同士の争いには刀剣の他に盛んに銃砲が使われた。 1864年 (元治元年) 4月の伊勢の荒神山の出入りでは、次郎長方の吉良の仁吉が鉄砲で撃たれている。 後日、この弔い合戦に挑んだ次郎長は、総勢 460人の博徒衆に、長槍 170本、鉄砲 40挺、コメ 90俵を準備して二隻の大船に積み込み、慶応2年に海路で伊勢湾に入った。 これを見た相手方の丹波屋一党は降伏して、これ以降 伊勢は次郎長の支配下に入った。 当時 40 挺もの鉄砲は、田舎の代官所や小藩には備えは無かった。 次郎長が如何に蓄財に長けていたのかが分かる。 彼が動員した 460人の博徒は駿河・遠江・三河の連合軍だった、次郎長は人集めにも長けていたのである。 ... こんな不穏な大出入りを当時の幕府の出先機関は見て見ぬふりをして見逃していた。

 明治維新の戊辰戦争では、幕府側と官軍側は夫々に博徒・任侠に対して将来 武士に取り立てるコトを条件に 銃器を使える博徒を隊士として勧誘し、博徒側も夫々に何れかに付いて参戦した。 だが、戦いが終わると士農工商の制度は廃止され、士分取り立ての約束は幻と消えた。 次郎長は、駿府藩 家老からの直々の要請にも拘らず戊辰戦争では中立を貫き動かなかった。 今なお、彼の様に地元で慕われ続け銅像まで建てられた任侠はいない。 次郎長が逝って既に130年、今では町おこしのシンボルとして役立っている。

 ☆ 1800年代の主な出来事は以下の通り。
1804年  ロシア使節が長崎へ来る。     1833年  天保大飢饉。     1837年  大塩平八郎の乱
1844年  オランダ使節が開国を進言。   1853年  米ペリー浦賀へ    1858年  安政の大獄
1868年  明治維新、明治元年        1871年  廃藩置県        1894年  日清戦争 

 参考書 :
高橋 敏    清水次郎長    岩波新書
田村栄太郎  やくざ考       雄山閣

 

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