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zoom RSS シンボリックな赤城山

<<   作成日時 : 2015/08/30 16:27   >>

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 赤城山を地元では 「あかぎやま」 と呼ぶが、あかぎさんと呼んでも別に差支えはない。 赤城山は地図の上では群馬県の中央東寄りに位置し、県の面積 6362 ㎢ に対して 500 ku を占める広大な山体である。 群馬のシンボルとしての赤城山の周囲には、古代より特に南東の岩宿から西方に掛けては多くの縄文集落跡 (遺跡) が点在し、古墳時代には大型の前方後円墳が数多く造られた。 下って平安時代の夫木和歌抄には、赤城の地が上野国の歌枕として登場する。 ... 上毛カルタの 「裾野は長し赤城山」 は標高 7〜800 m以下の長い裾野を指し、面積では富士山に匹敵する規模である。 ... だが、この山に赤城山と云う名の固有の山はない。 赤城は阿蘇や箱根と同様に形成は複成火山、赤城山とは 山頂の黒檜山など 9 峰から成る山体の総称である。

 赤城火山の生成は 30万年前より古いとされ、山体は複数回に亘る火山活動の結果形成された標高 2500 m の円錐形の大型火山だったと推定されている。 場所は新潟県柏崎と千葉県銚子を結ぶ利根川構造線沿いにあり、古い地塊の足尾山地の西方に位置する。 形成の初期には主に安山岩系の溶岩を噴出していたが、中期以降の溶岩はデイサイト質に変わり、その為か爆発的噴火が多発した。 この結果、火砕流や山体崩壊による岩屑なだれが多発し、流動化した砕屑物は山体の四方に拡散して広大な裾野を形成した。 赤城火山の現在の最高峰は黒檜山の 1828m、外輪山、溶岩円頂丘、カルデラ湖、爆裂火口、急傾斜面の火山体、広い裾野、岩屑なだれに依る流山、火砕流跡...、など多くの火山活動歴を残す。 それは正に火山の総合博物館の様でもある。

 赤城山は地学的調査に依れば、生成後 22万年前、14万年前、8万年前、・・・、に大噴火があり、最後は2. 4万年前の噴火だった。 歴史時代に入ってからは、鎌倉時代の吾妻鏡 1251年 (建長3年) の項に、「上野国赤木嶽焼・・・」 の記述や同時代の赤城神社伝来記に噴火に伴う降砂記録等が残るが、未だに地学的な確証は得られてない。 ... さて、活火山の定義は、過去 1万年前以降の火山活動の有無を基準に決められるが、だからと云って過去 2 . 4万年の間、火山活動が無かったからと云う理由だけで赤城山に監視体制を敷かないのは危険である。 北関東に於ける最前線の火山列は北から那須、日光白根、赤城、榛名、草津白根であり、これらは現在でも なお第一級の火山フロントを形成している、留意すべきは これらの山々は何れも過去には被害の大きい爆発的噴火を起こしているコト。 ... 赤城山の下部には今もなおマグマが溜まり続けているコトだけは間違いない。

 赤城山は、地形的には山体の東側を渡良瀬川が、北側を片品川が、西側を利根川が山を削りながら流れている。 このうち片品川が流れる旧白沢村 (現、沼田市) では、赤城火山の堆積物の下部に ジュラ紀前期 (2億年前) の地層、岩室層が露出していて此処からは多種類の植物化石が発見されている。 新潟県の青海〜蓮華の来馬層にも対比されるこの岩室層は、現在は赤城火山の堆積物に厚く覆われていて中々観察し難いが、他にも園原ダム付近や笠品川流域に 2億年前の岩室層が 一部露出していると云う。 ... 中生代のジュラ紀は恐竜やアンモナイトの全盛時代だった。 将来の為にも、当地域の古い地層の保護が望まれる所以である。

 県のほぼ中央に鎮座する赤城山は上毛三山の中でも中心的な存在であり、県民に対する影響力も大きい。 ... 県内に聳える山々の 校歌への引用状況を見ると、例えば田中牧氏の 「群馬県内の小・中学校校歌に見られる山 」 あさお社: に依れば、県内の全小・中学校 527 校 / (1988 年時点) の内、 220 (42%) の学校が校歌の歌詞に赤城山を取り入れており、2位は 榛名山 (17%)、以下 浅間山、妙義山と、続くとある。 ... 群馬県のシンボルとしての赤城山の知名度は地元でもずば抜けた存在なのである。

 赤城山の名称は、戦前の日本海軍の航空母艦の名前にも使われた。 ... 大正時代、旧海軍の空母赤城の艦名は群馬の赤城山に因んだ名前である。 但し、この艦艇の建造は 1919年 (T8年) だから 今から 100年も前の話である。 当時はワシントン海軍軍縮条約の最中だったコトもあり、本来は主力の巡洋艦になる筈だった艦艇 赤城は急遽、補助艦艇の空母に用途変更され、呉の海軍工廠で建造された。 艦艇の規模は、4万1千トン、全長 260m、31ノット、乗員は中将以下1600人、20p砲 6門、保有機 76機、...の空母だったが、ミッドウエー海戦で炎上、自爆して沈んだ。 ... 現在は、艦艇への命名は 「自衛艦の区分と命名基準」 に従って名付けられるので山岳名が軍艦に付けられる例はあまり無い。

 会津八一は 1940年(S15年)、弟子の吉野秀雄と北関東を旅行中に赤城山を詠んだ。  「赤城嶺の遠方遠き山並みに二荒さやけく雲の寄る見ゆ 」 ( あかぎねの をちかた とほき やまなみに ふたら さやけく くもの よる みゆ)。 吉野秀雄は地元の高崎商業から慶大へ進んだ歌人である。 ... 「冬麗の街ひき寄せて赤城聳つ 」 清水寥人。 清水寥人は地元の安中市松井田町横川出身の俳人・小説家。 本名は良信、鉄道教習所卒。

 参考書 :
高橋正樹他  関東・甲信越の火山  築地書館

 

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