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zoom RSS 将棋の行方

<<   作成日時 : 2015/11/15 01:00   >>

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 縁日や祭りの日には、メイン通りの何処かに必ず詰将棋と詰碁の店が出ていた...。 子供の頃には 露店の詰将棋が面白く立ち止っては大人達の打ち回しを飽きずに眺めていた。 店主の口上では簡単に詰む筈の詰将棋が、大人の客が何度挑んでもどうしても勝てないのが不思議だった。 子供料金は半額と云うので一度挑んだコトがある。 一回10円と書いてあるのに 一手が 10円だった、一勝負に 4手掛かったので 20円 損した。 見ていると偶に (たまに) 勝つ客がいたが、見物人の誰かが あれは客寄せの仲間だよと囁いていた。 街頭の詰将棋は難解でプロの棋士でさえ中々勝ち筋は読み切れないもの。 ...その点、縁台将棋はどっちが勝っても負けても遺恨なしのゲームなので気楽である。

 毎年11月17日は将棋の日。 1630年代の寛政年間には将棋好きだった家康が、また八代将軍の吉宗も毎年旧暦の この日に 「御城将棋」 の会を催していた。 ...と云うコトは、1600年代には既に将棋のプロが誕生していて、今と同じ 9×9=81 のマス上に コマ 40枚を並べて将軍の前で御前試合を行える レベルにあった訳だ。 その為か、徳川幕府は棋士を厚遇し、将棋衆と碁打衆の上位者に俸禄を与えた。 双方のトップの大橋宗桂と本因坊算砂には夫々 50石が与えられたが、一般の寺社の禄高が 30石だったのに比べれば破格の扱いだった。 宗桂は京都の商人で、算砂は僧で囲碁も将棋も指し 囲碁の本因坊の始祖でもある。 現代と同じルールでの将棋の最古の棋譜は1607年(慶長12年)、この二人の対局譜で、先ずは宗桂が 133手で勝っている。

 将棋のルーツ? 最新の説では 将棋を含む世界のチェスのルーツは、BC 3世紀のインド。 敵味方で争う戦争ゲームの 「チャトランカ」 は、10世紀までには世界各地に広がり、使う駒は立像型のチェス系と平型の日本将棋系に分かれた。 ...日本には6世紀に東南アジア経由で第一波が上陸、続く第二波は 6〜7世紀に途中のタイ国で 「歩駒を平らにして裏が成金になる」 ように改良された 「マックルック版」 だった。 ...竹村公太郎氏は、日本人はタイ発のマックルック版の 「平らな歩駒」 をヒントに全ての駒を現在の様に平らな横型に改良して日本独自の駒を創り上げたと云う。 更に日本人は 「相手から奪った駒を自陣で再び使える」 ようにルールを改良してゲームを複雑かつ面白くする様に工夫した。 ...後日談だが 20世紀の戦後、相手から奪った駒の再使用は捕虜の虐待思想に繋がるとして、占領軍のGHQからクレームが有ったと聞く。 これも彼我の文化の違いと云うコトか。

 改良された日本型将棋の特徴は、@ 駒を立像から平型に変えた、A 駒を漢字名で区別した、B 相手から奪った駒を自陣で何度でも使える様にした、...である。 ... さて、現代の将棋である 「本将棋」 は 81マスの盤上で計 40枚の駒を使って勝負を競うが、過去には大将棋で 225 のマス上で計 130枚の駒を使うもの、中将棋で 144 のマス上で 92枚の駒を使うもの、小将棋で 81のマス上で計 42枚の駒を使う将棋が併存した。 この内の小将棋は現代の 「本将棋」 と同じ 81マスを使うが、駒数が 2枚多い、これは 「酔象」 と云う名の駒で王の側にいて後方以外は全方向に動ける駒だった。 ... その小将棋は、今も福井県で生きていて 朝倉将棋として毎年大会が開かれていると云う。 駒数の多い大将棋等には例えば銀将の下に銅将・鉄将・或いは猛虎... 等の聞き慣れない駒が幾つもあった。

 1993年(H6年)、奈良県興福寺旧境内の井戸状遺構から古い15枚の将棋の駒が出土した。 酔象の駒を始め、王将・金将・銀将・桂馬・歩兵が見つかり駒の裏には成金の文字も書かれており、同時に出土した木簡には天喜6年 (1058年) の銘があった。 この結果、日本では既に 11世紀には現在とほぼ同じタイプの駒が使われていたコトが分かった。 タイ発の 「マックルック版」 が上陸した 7世紀から11世紀の間に日本の将棋は、国内で独自の発展を遂げたものと考えられる。 ... 将棋の駒は、他にも福井県の一乗谷朝倉氏遺跡 (朝倉将棋)、秋田県酒田市城輪柵跡、大坂城跡や大坂の旧城下町からは、後の時代の駒が次々と出土している。

 最近、将棋の専門誌が相次いで休刊した。 1985年 (S60年) に1680万人いた将棋人口は、レジャー白書に依れば 2007年には 600万人にまで減少した。 漢字で書かれた駒を使う日本将棋は海外展開も侭ならない、ファン離れで協賛金も減少の一途をたどる様では前途は多難。 ... ファン層も世代が変わりゲームの愉しみ方も今風に変わった、だが世間ではゲーム熱そのものが廃れた訳ではない。 将棋は日本の文化の一つである、先ずは 新ルールの開発をも視野に、ネット将棋を楽しむ層を増やしながら 着実に愛好者の裾野を広げる以外に道は無い。 ... 例えば麻雀、... 牌の文字は読めなくても 上りルールの 「七対子 ⇒ ちーといつ」 の役を発明したのはアメリカ人、八百長封じの自動の麻雀卓を発明した人も居る。 数百年のも間、駒の種類とルールが固定化されて来た将棋にもそろそろ新しい風が吹いても良い頃と思う。

 参考書 :
竹村公太郎  日本史の謎は地形で解ける  PHP文庫
石田和雄   古い棋譜を訪ねて  NHK将棋講座429号

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