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zoom RSS 古道と峠越え

<<   作成日時 : 2015/12/31 22:30   >>

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古代道路の発掘が相次いでいる。 奈良時代に造られた古代道路の規模は、推定で総延長 6300 km余、道幅は 6〜10m、直線部分が多いのが特徴。 岩手県から鹿児島県まで網羅した中央と地方を繋ぐこの道路の造成は発足早々の律令国家にとっては大事業であった。 道路は当時の最高技術で堅固に造られたにも拘らず、今ではその殆どが消滅してしまった。 ... その後の時代に造られた鎌倉街道や江戸時代の五街道は、道幅はより狭く道筋は谷や尾根に沿っているので曲線や上り下りの部分が多い。 ... 道は、やはり高速道や鉄路の様に直線部分が長い方がよい。

 今から 4000年前の縄文時代中期の人口は、推定では全国で 26万人、うち関東が9万5千人で近畿が 3千人、九州が 5千人、...。 2世紀頃の弥生時代の人口は、全国で 60万人、うち関東が 10万人で近畿・九州がそれぞれ 11万人、...。 奈良時代の全人口は 451万人、平安時代は 650万人、鎌倉時代 690万人、戦国時代末期には 1230万人にまで増えている。 ... 単純に人口数だけでみれば、縄文時代や弥生時代の道は、「けもの道」 や「踏み分け道」 で充分だった。 だが人口が急増した 7世紀後半から 10世紀の奈良時代〜平安時代には、連絡路としての道は国家の統制下に置かれて管理される様になる。 ... 645年 (大化元年) 以降は、全国五機七道の各国に国府が置かれて、中央と国府間に連絡の為の道路が敷かれた。

 国府は、関東では東山道沿いの上野・下野に、東海道では武蔵・相模・安房・上総・下総・常陸に設けられ、国府は相互に道で繋がっていた。 道は奈良時代には中央と地方の連絡網に、或いは租庸調の納付に、防人の移動に使用されていたが、平安時代に入ると道の用途は若干変わり、例えば 関東各地には次第に私的な荘園が増えてくると、土地の所有権、道路の保守・荘園の使役・産品の都への搬出の増加等に対する住民の不満が次第に増大していた。 その典型的な争いが 「平将門の乱」であり、「僦馬の党 (しゅうばの... 」 の活躍だった。 その彼等こそは、後の東国武士の起源である。 ... 東国の乱で、小勢力の平将門が長期に亘って機動的に戦い得たのは関東一円に立派な路が縦横に敷かれていた為だった。 しかし、その道も 10世紀、律令国家の崩壊と共に歴史から消えて行くコトに...。

 その次の時代の 鎌倉街道も 800年を経た今日では、殆どが消えてしまったが 断片的には未だに各地に往時の姿が残っている。 わたしが見た限りでは、その中の圧巻は北アルプス越えの旧鎌倉街道である。 信州 (長野県) と飛騨・高山 (岐阜県) の間には現在も三本の鎌倉街道の跡が残る。 @ は 松本市島々 から山道の徳本峠〜焼岳と奥穂高岳との中間にある中尾峠〜栃尾〜飛騨 へ抜ける上高地道であり、A は同じく島々から檜峠〜焼岳と乗鞍岳の間の古安房峠 (旧大峠) 〜栃尾〜飛騨へ抜ける大野川道、 B は島々から乗鞍岳と野麦峠の間の 番所越え (峠) 〜高山へ抜ける道である。 このうち A が本街道で、他の2本は脇街道だった。 A の古安房峠は武田信玄の飛騨侵攻時の古戦場跡であり、 @ は 今は廃道になっているが、1893年 (M26年) 「日本アルプスの父」 W・ウエストンは、この道跡を歩いて上高地に入っている。

 16世紀の戦国時代は、各地に戦国大名が割拠していて道の治安は極端に悪かった。 領主は道を私物化して通行料を徴収し、時には通行そのものをも妨害した。 ... 1561年 (永禄4年) 9万の上杉軍は、関東の北条領に侵入して小田原城を包囲したが、軍の先端は既に小田原で布陣しているのに 列の最後部は未だに北武蔵辺りにあって途中で他の勢力に荷駄を奪われている。 最強の上杉軍団にしても他国内での通行には難儀をしている。

 戦国時代に在っても平和な時期には道の往来は自由で安全であった。 15世紀、鎌倉街道筋に在った江戸は鎌倉と並ぶ大きな経済圏であり、特に隅田川の河口に近い浅草は商業で賑わっていた。 当時の江戸城の城主は、扇ガ谷上杉氏であり〜後には北条氏であった。 上杉系の太田道灌や北条氏は、江戸城に文人墨客を招いては歌会や茶会を催していた。 ... 16世紀の戦国時代末期の日本の人口は 1260万人、その内の 130万人が南関東に住み、江戸と武蔵の国の人口は 72万人だった。 ... 翌16世紀末に江戸に入府した家康は、早速 江戸城の拡大改修を行い、浅海を埋め立てて町を広げ、江戸起点での五街道を整備した。 秀吉の命で転封して来た江戸の地は、草深い田舎どころか 活気のある格好の城下町だった。... 皇居の吹上御苑脇には今も鎌倉街道 (跡) の碑がたつ。

 参考書 :
近江俊秀  日本の古代道路   角川選書
斎藤慎一  中世を道から読む   講談社
鬼頭宏  人口から読む日本の礫史  々
服部英雄  峠の歴史学    朝日新聞社

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