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zoom RSS 国家モデルの蹉跌

<<   作成日時 : 2016/01/31 16:32   >>

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 明治維新から 180年を経た。 ... とは云っても、明治維新が何時始まって何時終わったのかはハッキリしない。 維新の始まりを、幕藩体制が崩壊し始めた 1830年代 (天保年間) とする説があれば、黒船来航の 1853年 (嘉永6年) とする説もある。 一方の終わった方は、大政奉還のあった 1867年 (慶応3年) とする説に 廃藩置県により統一国家が発足した 1871年 (M4年) とする説等がある。 何れにせよ江戸末期から明治に至る 20年程の間に維新は終息し、近代国家としての日本が発足した。 しかし、その僅か 80年後の 1945年 (S20年) には 世界の55ヵ国に無条件降伏をして国家は破綻、全てが振り出しに戻った。 ... 破綻の原因は色々云われるが、やはり発足当初の国家の在り方に遠因が有る様に思う。

 明治維新の区切りの一つは朝廷への 「大政奉還」 だった。 大政奉還とは、平清盛から源氏・北条・足利・... 徳川と 700年続いた武家政権を廃して 政権を朝廷に返上しようと云うもの。 しかし、その裏で幕府は 朝廷側は主上が未だ15歳と未成年なので政権は再び幕府側へ差し戻されるものと考え、次なる政権構想を準備していた。 その内容は、権力の最高位に 「大君⇒ 将軍=中央政府」 を置き、その下に 「議政院⇒ 立法府」を置く、議政院は 「上院⇒ 1万石以上の大名」 と 「下院⇒ 各藩の有能の士」 から成り、地方はその侭 諸藩が領地として統治し、中央政府の下には 「6公府⇒ 各官庁」 置くと云うもので、朝廷には実権は無く、士農工商の身分制度にも触れておらず、内容的には従来と変わらない素案だった。 しかし、一方の薩長側にもこの時点では未だ国家構想など無かった。

 「四候会議」 の失敗を受けて慶応4年に戊辰戦争が始まるが、短期間の戦争だったので欧米列強の干渉も無く戦は終り 明治の世が始まる。 やがて朝廷と薩長主導の新政府は次々と新政策を打ち出して実行を迫り新しい国造りを進めていく。 先ず、従来の統治者だった大名たちには土地と領民を返還させて 「版籍奉還」と「廃藩置県」 「廃城令」 を強行、国民には 「地租改正」 「学制改革」 「国民皆兵」 を賦課して、自分達は維新官僚として藩籍を離脱し中央政府の官僚に転身、地方をもその支配下に置いた。 この様にして明治の立憲君主制国家は逐次成立して行く訳だが、諸政策の立案は一体何に基づくものだったのか?  ... 当時、国民の間には 維新は期待外れだったとして不満が渦巻いていて各地で反乱が続出していた。  小説 「 夜明け前 」 は、今迄と何も変わらない地方の落胆ぶりを描いている。

 近代国家としての 「日本の国家像」 は如何に在るべきか。 その為には 国家は何を為すべきか。 ...この問題を解決すべく 明治 4〜6 年に総勢 50名からなる岩倉使節団が 欧米の先進国12ヵ国を訪問、政治・経済の制度を学んだ。 彼等は当時の大国、米・英・仏と急成長中の独、小国のベルギー・蘭・デンマーク・etc...、を廻り、それぞれのタイプの国家モデルを研究し、政治制度を見聞して日本の将来像を模索した。 続く明治15年には伊藤博文らは独・墺・英から憲法制定について学んだ。 要点は、将来の日本は列強と競いながらでも世界の大国としての道を進むのか、それとも小国ながらも輝いた国造りを目指すのか だった。 ...結果は、後進国から短期間に先進国へと躍進したドイツを 「国家モデル」 として選び、世界の大国へと進む拡大路線を採った。 明治政府成立後の一連の政策は、実はこの路線に沿った政策だった。 いや、敗戦の1945年 (S20年) までの日本国の政策の全ては、明治時代の初めに決められたこの路線に沿ったものだった。 ... あの時、もし小国モデルを導入していれば、この国はまた別の道を歩んでいたかも知れない。

 日本の人口は、江戸時代後半には 2600万人前後で推移していたが、維新後の 1867年 (明治元年) には 3400万人、1926年 (昭和元年) 6000万人、第二次大戦開戦時の 1941年 (S16年) には 7300万人へと急増、この人口増が大国への道を後押ししていた。 第二次大戦中の日本兵の総数が大国並みの 700万名 だったコトも肯けよう。 ... その日本の人口は 2010年 (H22年)の1億2800万人をピークに減少に転じ、予想では 2060年には 9000万人を割る。 見方により数字は分かれるが、国家には防衛や食糧自給等の観点から計算される最適人口数がある。 人口が減少すれば何時までも大国では居られない、今こそ新しい国造りが急務である。 ... 幸いにも現行の日本国憲法は、意識してか どちらかと云えば小国向けに作られている。

 参考書 :
田中彰   私の明治維新   朝日新聞2004/02/
福地源一郎   幕府衰亡論    東洋文庫

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