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<<   作成日時 : 2016/10/15 17:46   >>

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 江戸幕府の石高は 700万石余、これは将軍家・旗本・御家人の食い扶持である。 だが 1868年 (慶応4年) に江戸城の明け渡しが終わり新しい明治政府が発足すると、徳川家は僅か 1/10 の 70万石に減俸されて静岡に封じられた。 窮した徳川家は、後述するように傘下の旗本らに対して @ 新政府に帰順して朝臣 (新政府方) となり江戸 (東京) に残るか、 A 徳川家臣として静岡 (新静岡藩 70万石) に移住するか、 B 自ら帰農するかの三者拓一を迫った。 当時の この一件は徳川時代の終焉と明治時代の幕開けを世に知らしめる大事件であった。

 旗本とは、その名の通り戦場で主君と旗印を守る武士団のコト、主家からみれば最も頼りになる戦闘集団でもあった。 旗本の起源は戦国時代の中世から近世に掛けてで、何れの戦国大名も直属の旗本軍団を擁していた。 その点、利害関係のみで軍事的に提携をしただけの国人領主の部隊とは大きく異なった。 ... 旗本は本来は戦国大名直属の家臣団であり、政治的権力の執行に当たっても能動的な役割を果たせる武士の集団であった。 だが惜しむらくは、平時における幕府による旗本八万騎への教育機会は無く、平和が続いた 260年の間に文武共に力量は減退し続け最終的には無用の長物と化していた。

 江戸時代の旗本は、例外は有るものの 三河時代から徳川家に従属して来た家臣団が主力であった。 規模的には、石高は1 万石未満だったが、直接将軍にお目見え出来る家格であるコトから、旗本は殿様と呼ばれ 領地は知行所と云われていた。 また、旗本の行動を律する法規は 「武家御法度」 であり、集団としての旗本は幕府の若年寄りの管轄下にあって江戸定住 (江戸住まい) が原則であった。 ... 江戸時代の旗本の総数は 5100人、規模別では 1千石以上が 16%、5 百石以上が 17%、1 百国以上が 60%、残り 7%が 10 石以上だった。 ...一方、その 旗本にも家禄に応じて軍役が課されていた。 一例を挙げれば 6 百石取の旗本の場合、屋敷 700坪 (2300u ) は貸与されるが、軍役は馬に乗る当主の他に侍 3名、更に立弓、鉄砲、甲冑持ち、槍持ち、馬の口取り 2名、草履取り、挟函持ち、小荷駄持ち 2名で計 14名構成が標準だった。 その他、邸内には家族の他に用人、小姓、門番、女中若干名が居た。 ...とは云え 平和だった江戸時代のコト、格式等は次第に省略され形骸化し、必要な時には臨時の装いで間に合わせるのが常だった。

  実際の暮らし向きでは知行地 6百石の旗本の場合、実収入は四公六民に従い手取りは 240石。 これを米一石= 1 両 ≒ 10万円 で計算すると 240石は単純計算で月に 200万円の収入になる。 だが江戸末期には 1両 ≒ 3万円位にまで価値が下落していたので家計は相当にひっ迫していたと思われる。 その為に、幕末の長州征伐時には旗本にも献金が課されたが、窮した旗本は知行地の百姓に課金の一部を負担させたり借金をしていたと云う記録も残る。

 幕末の旗本 5,100人、御家人 16,000人、その家臣 10,000人 とすると、明治維新後に 約 3万余の旧幕臣が幕府崩壊で帰属先を失った。 1869年 (M2年) にはその内の 4,500人が新政府に移り、3,000人が帰農、或いは商人になり、13,700人が静岡に移住した。 移住組の内の 5,000人は静岡藩に就職したものの、翌々年の 1871年 (M4年) には廃藩置県が行われて静岡藩は無くなった。 当時、静岡藩に就職できなかった人や最初から帰趨を明らかにしなかった人達に就いての記録は残されてない。 ... その一方で新政府に帰順した人達は明治新政府の中で官吏・軍人・巡査・教師などの職に就き新天地で活躍した。 ...1875年 (M8年) 財政がひっ迫した明治政府は、徴兵制度の導入と引替えに明治維新の後、華族(大名・公家)や士族 (武士) らに支給してきた俸禄を全廃し、その代償として 「金禄公債」 を発行して以後 国からの給金支給を全て打ち切った。 所謂、「秩禄処分」である。

 金禄公債の額面は、家禄の額の 5〜14 年分だったので、禄の大きな旧大名家達はその利息で充分な生活が出来た。 特に高禄の旧大名達は、その資金を基に地方に銀行を設立し、その後は大華族令の施行により爵号を授与されて貴族院議員に列せられて優遇された。 その一方で俸禄の少ない旧旗本や各藩の旧武士達は日々の生活にも窮し、補償された公債を売却しては生活費に充てていた。 全体の 2/3 の人達が公債を即 売却したと云う。 ...明治維新で政治体制が大きく変わる中、幕末の戦争での勝ち負けに関わらず上層部の大名クラス (華族) は名声も財産も全て保証され、維新の政治改革で失ったものは何もなかった。 だが大多数の中層以下の人達にとっては、時代の変革は即 死活問題であった。 ... 島崎藤村は 「夜明け前」 の中で、主人公の青山半蔵は王政復古が叶えば新しい世の中が来るものと信じていた。 だが明治になっても木曽の馬籠では何も変わらなかった。 藤村は小説の中で半蔵のそんな無念さを描いた・。 ...歴史の節目ごとに生ずる格差とは この様な実態を指すのであろう。

 参考書 :
山本博文  格差と序列の日本史  新潮社
 

 

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