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zoom RSS 別府島原地溝帯

<<   作成日時 : 2017/08/15 10:04   >>

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 最近 (2017年) は大分県内での地震活動が目立つ。 別府を中心に由布市、豊後大野市など各地で異変が起きている。 1975年 (S50年) の大分県中部地震以来 40年余を経過したが、昨年 (2016年) は熊本地震に連鎖するかの様に由布市付近でも地震による被害が出ている。 九州中部の熊本地震に始まり東方の阿蘇へ、大分の由布へ、別府へと広域化している様にも見える。 この間、熊本県内での被災状況は逐一マスコミを通じて報道されてきたが、その延長上に在る大分県由布市周辺の被害状況に就いては地元以外では殆ど知られていない。 ... 何年か前に、阿蘇の大観峰の見晴台から眺めた大分県の九重山系の山並みが心なしか険しい表情だったのを思い出す。

 別府に隣接する豊後大野市では今年になって地割れ被害が相次いだ。 当地は、旧岡藩領に属し昔から良質のコメの産地として知られてきたが、この影響で今年は田植えもままならないと云う。 ...同様の地割れ現象は 40年前の大分県中部地震 (1975年) の前にも発生している。 最近の現地調査では、原因は地下水に何らかの異変が起きた可能性が有り、この為に地下で地滑りが発生し 地割れ現象が現れたと云うことだが、確かな原因は不明とのコト。 出来れば、この様な土木的見地からの調査の他に もっと深い地中の状況を解明する地学的調査も併せて実施するべきと思う。

 大分県の別府湾には、湾内に在った瓜生島が 1596年9月の慶長豊後地震時に一夜にして海中に没し消えたと云う伝説がある。 別府湾内には、西日本を縦断する大断層の中央構造線が伏在しているので全く有り得ない話ではない。 ... さて、この中央構造線は四国の愛媛県西端の佐田岬付近から西方へ進み、豊後水道を経て大分県の国東半島と佐賀關半島の間の別府湾内に入り九州の中部方面へと向かっている。 最近の調査では別府湾内には佐賀關半島の側に三波川帯と領家帯がそれぞれ確認されている、然し その先の九州内部の陸上部では厚い火山堆積物に覆われていて追跡することは出来ないと云う。 別府湾の最深部は海底 4000mと深いが、実際には海底の基盤岩を堆積物が厚く覆っているので水深自体はそれ程深くはない。 また、陸上では別府付近から西方の内陸部に向けて幾つもの断層が確認されているが、その中で最大級の断層或いは破砕帯は別府島原地溝帯である。

 地学的に見ると九州の中央部は年間 2 o程の速さで南北に伸長し続けているとされる。 この顕在個所が別府島原地溝帯である。 この地溝性の陥没地域を (1979年に) 「別府島原地溝」 と命名したのは松本征夫氏 (山口大学名誉教授) である。 命名に至るまでの状況に就いては以下の様な記述がある。 ... 1964年〜、九州中部の各水準点 (3等・4等の三角点、電力会社や道路工事関係で設置された水準点等) で重力測定を行うコトになる。 最初は阿蘇カルデラで測定を開始、順次周辺の各地へと測定点を増やしていった。 1965年には航空磁気重力測定の一環として東京大学地震研究所の協力もあって、大分の大部分と熊本の東半分;の測定を終えた。 熊本の西半分の調査は、地質調査所が石炭調査の目的で既に実施済だったので これと結合した結果、九州中部の重力異常分布が判明した。 これにより中央構造線延長上の別府湾から島原半島に掛けての各地の低重力異常が見いだされたとある。 (一部文言の修正あり)

 別府島原地溝帯には一部に不連続個所が有るので、これを区切ると @ 九重別府地溝、A 阿蘇九重地溝、B 島原熊本地溝 となる、この 3 地溝を合わせたものが 別府島原地溝帯である。 因みに、この地溝帯の南限は、別府湾の佐賀關半島〜阿蘇山〜熊本の宇土のラインであり、北限のラインは別府湾北側の杵築〜九重連山〜大牟田〜島原半島である。 但し、これ等の地名は、単に地図上に引いた線の上に記載されていた地名を取り上げただけで特に地学的な意味合いを持つものではない。 ... 地溝帯の中に実在する都市や町、生活圏、観光地、交通網、火山、断層等を常に把握していれば、将来何かの場合に役立つかも知れない。

 日本の国土が未だ大陸と繋がっていた頃の 鮮新世 (530万年前〜) ... 。 当時の日本列島には現在の長野県南部から東海〜近畿〜瀬戸内〜九州北部〜有明海〜東シナ海 へ向けて西へ西へと流れる第二の古瀬戸内河胡水系があった。 つまり中央構造線の北縁に沿って第二瀬戸内沈降帯が出来ていて、そこに湖があり河ありで水が流れていた訳だ。 その証拠は、鮮新世初期に近畿地方に堆積した大阪層群 (主に淡水生の砂礫層) の累層が、近年 瀬戸内沈降帯に沿った各地で発見されているコトからも明らかである。 それ等の累層は、東海層群・古琵琶湖層群であり、四国北岸の三豊層、岡村層、九州北部の津川層、太田川層、九州西部の水前寺層、久留米層等である。 これ等は何れも初期の大阪層群の累層に該当する。 ... この説に従えば、別府湾や別府島原地溝帯は鮮新世 (530万年前〜 ) の時代には 「第二古瀬戸内沈降帯」或いは 「第二古瀬戸内河胡水系」 の一部だった可能性もある。 ... 何れにせよ謎深き 「別府島原地溝帯」 である。

 参考書 :
 研究誌 URBAN KUBOTA、No. 39 より
 震災予防  2002年9月号  久保寺章氏の項、

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