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zoom RSS 崩れる「城の石垣」

<<   作成日時 : 2017/10/15 16:54   >>

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 2011年3月11日の東北地方太平洋地震 (M9.0) に続き 2016年4月14日 には熊本市周辺で震度7の直下型地震が発生、この地震で熊本城の石垣は 64ヵ所で崩壊。 熊本城の被災状況は何度も報道されてきたが、実はその前の 3.11 の地震時にも東北では多くの城で石垣が崩壊していた。 特に震源域に近かった福島県・宮城県での被害が大きかった。 中世以降各地に築造された重厚感のある城の石垣も今回の様な大地震には耐えきれずに各地で崩落した。 熊本城では、清正が築いた石垣も 後に細川氏が築いた石垣も共に崩壊している。 安土桃山時代の頃に始まった城の石垣の築造法は、江戸時代の後期迄には、技術的にも大きく進歩していた筈だったが、如何に立派で重厚な石垣であっても限度を超えた揺れには耐えきれずに崩壊するコトが分かった。 勿論今後とも、将来の大地震に耐え得る様な頑丈な石垣の築造法が開発される見込みはない。

 神奈川県の小田原城では、過去 大地震の度に城内の石垣が被災した。 北条氏がここに初めて二層の天守閣を建造したのは 1580年、だが僅か 54年後の 1633年 (寛永10年) 稲葉氏の時代に M7.0 の大地震で天守・石垣共に崩壊。 その後、新しく建てられた三層の天守も 71年後の 1703年 に発生した M8.2 の元禄地震で石垣もろとも倒壊。 そして 3 度目に建てられた三層の天守は、1782年 (天明2年) のM7.0 の大地震時に北東方向に 30度程 傾いたが、この時は綱で引き起こしたとあるから、石垣は崩れなかったものと思う。 だが、1823年 (大正12年) のM7.9 の関東大震災時には、既に天守閣は無かったものの天守台は崩壊した。 古い地震に関しては、「地震の年表」 にマグニチュードが記載されている、これに依れば小田原城では M7.0 の揺れを境に城の石垣が大きく被災しているコトが分る。

 城の石垣の内部はどの様になっているのか? ... 切り立った石垣の裏側は見えないが、その先には先ず大きな石の隙間を埋めた飼石があり、その後ろには裏込石という別名 栗石 (ぐりいし) とも呼ばれるより小さな石群が大量に詰め込まれている、更にその後には大量の盛り土が詰め込まれて固めてある。 実はこの栗石が石垣内部の水はけを良くし、地震の際には揺れを吸収する役目を果たしている訳だが、極めて大きい揺れを受けると本来は免振機能を果たすはずの栗石群が、今度は地震の圧力に耐えられなくなって膨張して石垣の表面に 「 はらみだし」 して遂に崩壊してしまう。 これが地震時の石垣崩壊のメカニズムとされている。 現在、青森県の弘前城では天守閣を支える天守台の石垣の中腹が 「はらみだし」 して来たので、天守を 70m ほど移動して 2318個 の石の積み直しをしている。 そのまま放置すれば天守台の石垣は崩落して天守閣は倒壊してしまう所であった。 因みに、天守台の上に載る天守閣の重量は、例えば姫路城なら 5700t、松本城 1000t、弘前城 400t で、丸岡城は 170t、天守台の表面積も 大坂城なら 430u、広島城 330u、犬山城 220u、宇和島城 120u。 ... 城の石垣は 天守閣・櫓・門塀などの重量を支えながら、石垣内部の栗石や盛り土の崩落を抑える役目を果たしているのである。

 3.11 の東北大震災時では、福島県白河市の小峰城の被害が最も大きく、本丸・搦手門・櫓などの石垣 10ヵ所、延べ 1600u の石垣が崩落、落石数は 7000個に及んだ。 二本松城では本丸・箕輪門の石垣に 「はらみ」 現象と割れが発生、棚倉城では二の丸石垣が 2ヵ所、相馬市の中村城では石垣が 4ヵ所、磐城平城では石垣が崩落した。 宮城県では仙台城で数か所の石垣が変形し、或いは崩落した。 2009年の8月の静岡沖地震時には、静岡市内の駿府城の石垣 4ヵ所が崩落、しかもその個所は 1854年に発生した M8.4 の安政地震時に崩落し当時修理した個所と同じ場所が再び崩れた。 江戸時代に行われた補修が応急的なモノだったのか或いは石垣の地盤そのものに原因が有るのかは不明だが、2010年時の修理費用は7億数千万円との報道もあった。 石垣が高く、表面積の大きい熊本城では、石垣の修理費用だけで 354億円と公表されている。 今後とも大地震の度に莫大な修理費用が必要になる訳だ。

 城郭の殆どは国の指定史跡である。 国の史跡であるが故に文化財保護法により石垣の修理・補修の方法は築城当時の工法を忠実に守ることが求められる。 しかも修理費用は年々高騰し続け、最近の文化庁の試算では 石垣 1u 当りの費用は 150万円 と云う。 ... にも拘らず、石垣の修復に関しては、現段階以上の耐久力を発揮できる工法もなく、地震の多い日本では今後とも現在レベルでの補修と修復に追われ続けるコトになる。 また、崩壊個所の多かった熊本城の場合、地震の発生時刻が休日の昼間だったら多数の人的被害が発生していた可能性もある。 ... 今後とも、全ての補修工事を文化財保護法に従い旧来の方法で修理しても、また何年か後には同じ崩落、修復を繰り返すことになる。 史跡を原型のままで後世に引き継ぐ意味は良く分かるが、域内に無制限に観光客を受け入れるのであれば、より安全な施策も必要になるのではと思う。

 参考書 :
飯村均    「三・一一」と城館/本郷誌    吉川弘文館
島武史    小田原歴史散歩          創元社
     

 

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