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<<   作成日時 : 2017/11/15 16:53   >>

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 秋の夜長に丸谷才一さんの一文、「考える為の道具としての日本語」 を詠む。 文芸評論家らしく 一捻りした表題だが、中身は明治初期から現代に至るまでの日本語の出来方から使われ方までを叙述した名文である。 更に、文筆家が文を書く時には必要に応じて幾つもの辞書類を使うとして、事例を挙げた 「兼ねる辞書」 という小文も付いている。 これを読むと文筆家が一文を書く場合、事前に如何に苦心しているかが判ろうというもの。 驚くべきは文筆家達が、文書を書くために各種の辞書を引くと云うよりも辞書を読んでいるコト。 だから彼らは文を書きながら、必要項目がどの辞書の何処に載っているかを常に見極めながら仕事を進めている。 かく云う私も時折 小文を書いているが、年表や辞書類は彼等とそう違わないものを利用しているが類語辞典だけは持っていない、持てば便利だと云うコトが今回で良く分かった。

 さて、道具としての日本語に関して著者は、言語には伝達の道具と云う側面と もう一つ思考の道具という性格があると云う。 だが日本語はその成り立ち当時から思考の道具と云う側面は持たなかった。 つまり考えるのに向かない言語である日本語に関して、生活語と観念語との乖離が甚だしいのは当然であると。 一方、現代の日本語は明治の初めに創られたものだが、この時代には未だ日本語を厳密な論理に向く様に、或いは精緻な分析に向く様に誘導して、日本語の機能を高めようとする考えなど無かった。 いまの世界には論理的に構成された言語を使用している国もあれば、過去形も未来形も表せないで只、伝達する道具としての機能しか持たない下位ランクの言語を使用している国もある。 論理的に構成された言語であれば翻訳も機械的に進むが、そうでない国の言語の翻訳は最適な言語の選択に迷うことが多いものだ。

 更に言えば、日本は奈良時代の初めから話し言葉と書き言葉の乖離に悩んできた、いわゆる口語文と文語文と云う二つの国語のギャップだ。 だが、幕末から明治に掛けて欧米のアルファベット文字や言語文化の仕組みを学んだ日本人は、改めて複雑すぎる日本語の仕組みに気付く。 詰まりは、日本人が漢字仮名交じり文を習得する為には他国に比べてより多くの文字や文体を学習しなければならない。 これでは先進国と比較して、単なる道具としての国語に費やすエネルギーの浪費が大きすぎる。 漢字・仮名文字 (ひらがな+カタカナ) の他に仮名遣い・送り仮名の問題・方言の統一の問題も含めて、日本語の記述と表現をもっとシンプルにして、読み・書き・話す...、コトがが出来る様にするにはどうすれば良いのか? これが明治時代以降の我が国の 「国語問題」 の発端だった。

 1866年 (慶応2年) に前島密は 「漢字御廃止の儀」 を最後の将軍 徳川慶喜に建白した。 元々、漢字は外来語であり一部の知識人しか理解できない漢文など廃止するべきで、我が国の国力不振の原因は効率の悪い漢字の使用が原因であるとした。 また中国の文化人の魯迅も後年の 1933年に 「中国文と中国人」 の中で、四角い漢字は愚民政策の利器であるとして、大衆が苦労して会得するには無駄が多すぎると書いた。 ... 明治時代以降 国語に関しては、日本語の平仮名化やローマ字化、森有礼の英語化など様々な議論が有ったが、1873年に福沢諭吉は、仮名に漢字を交えるのは不都合であるが、往古よりやってきたコトなので直ちに廃する訳にはいかない、兎に角 都合と不都合を併せ用いる他あるまい....、として漢字制限論に組した。 国語問題はその後も解決されるコトなく大正から昭和へと何十年もの間 議論されて来たが、敗戦後のドサクサの中で漢字制限も仮名遣いの変更も、あっという間に断行されて現在に至っている。 だが、それで国語問題の全てが解決した訳ではない。

 21世紀初頭の地球上の人口は約 70億人、その中の日本人は 1億人余、日本語を使うのは世界人口の 70分の 1...。 現在の日本語は、主に漢字仮名交じり文 (ひらがな+カタカナ) と話し言葉の二つが使われているが、その他にも使用漢字の制限と複雑な送り仮名が課されている。 同じ漢字圏の人であっても日本語は複雑で学ぶには効率が悪いと云う。 近世以前の日本語は現在では当然のコトながら国語ではないが、学校には古文として残されている。 国は学校教育では、聞く・話す・読む・書く を組み合わせた指導を行っていると云うが、日本語に対する考え方の基本は明治時代と大差はない。 前記の丸谷氏の云う様に、自分の考えをハッキリと認識してそれを纏め上げる力と 相手の論点を理解しながら必要なら反論する力を養い、その上 読み書き出来る能力を育成するならば日本の国語も新しい言語へと脱皮できるかも知れない。

 参考書 :
丸谷才一   「考える為の道具としての日本語」 「兼ねる辞書」 より。

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