ぬるでんぼう

アクセスカウンタ

zoom RSS 歴史資料について

<<   作成日時 : 2018/05/04 22:57   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 最近 学校で習った歴史が何時の間にか変わっていて驚かされるコトが多い。 ドイツの歴史学者ランケが提唱した科学としての歴史学が日本に導入されたのは1887年(M20年) だったが、我が国で実際に皇国史観に基づいた国史学を排して自由に歴史を論ずることが出来る様になったのは1945年、敗戦の年 以降のコトである。 詰まりは明治時代から昭和の敗戦の年に至るまでの 80年の間は、科学としての歴史学ではなく皇国史観に基づく国史が使われていたのである。 それが最近では新しい歴史資料が発見されると検証の結果さえ正しければ直ちに新事実に即して日本史が書き換えられていく様になった。 最近気付いた主なものだけでも、@ 聖徳太子は実在しなかった、A 和同開珎は富本銭よりも新しい、B 仁徳天皇陵は大仙陵古墳に、C 蒙古襲来時に神風は吹かなかった、D 江戸時代に士農工商の身分制度は無かった、E 犬公方の綱吉は実は名君であった、etc...、数え切れないほどある。 更には明治維新の暗黒部分についての解明も進みつつある、楽しみである。

 歴史資料の重さについて考えてみよう。 ...織田信長の事績に関する資料には、太田牛一が残した 「信長公記」 があり、小瀬甫庵による読物 「信長記」がある。 信長の生年没年は 1534 〜1582年である。 一方、太田牛一の生没年は 1527〜1613年で彼は織田家の祐筆を務め官位は和泉守で信長より 7才年上である。 他方、江戸時代に「信長記」 を出版した方の小瀬甫庵は医師であり、著述家で生没年は 1564〜1640年、年齢は 30才も若く、後の年代の人である。 織田家祐筆だった太田牛一が記録した 「信長公記」 は首巻3巻に本巻 15巻からなる文献であったが当時は一般にはあまり知られていなかった。 「信長公記」 が一般人に読まれる様になったのは明治時代に入ってからだった。 従って、江戸時代には寧ろ小瀬甫庵が出版した「信長記」の方が面白く広く読まれていた。 ...軍学者でもあった小瀬甫庵は 「信長公記」を元に 「信長記」 を書いたが、物語をより面白く見せんが為に、桶狭間の合戦や長篠合戦での鉄砲三段構え、藤吉郎の墨俣一夜城の話など、史実と異なる場面を数多創作して読物に挿入した。 この場合、太田が書いた「信長公記」 には史料としての価値は認められるが、小瀬の書いた読本 「信長記」 は古代中国の 「三国志」 同様 歴史資料としての価値は望めない。

 ならば 「信長公記」 には史料的価値が有るのか? ...と問われると答は簡単ではない。 一般的には例え当事者が書いた日記類であっても、内容が資料としてどの程度信用できるかは未知であり、資料として実際に利用するには改めて検討作業が行わなければならない。 通常、歴史資料には、@ 伝聞、A 証言、B 文書類などが有るが、人は往々にして資料の内容を 自らの主張を正当化せんが為に改ざんするコトが多い、また立場上 やむを得ず意図的に加工する場合も有り得るので、資料を検証する場合には史料を残した人の思想や地位、或いは当時の政治状況・社会の状況を詳細に見極めた上で内容を判断するコトが必要である。 ... よく引用されるのは中国の二十四正史である。 中国の歴史書は 勝者側の王朝が国家事業として編纂するものであるが、作成に際してはどうしても当代の王朝を正当化しようとして 敗者側の最後の王朝を悪く書くコトが多いと云う。 要するに歴史書はいつも勝者側の方が有利な様に書かれているものなのである。

 19世紀に科学的歴史学の方法を確立したのはドイツの歴史学者 レオポルト・フォン・ランケだった。 彼は実証主義的な調査方法を用いて歴史資料を批判すると云う手法で新しい歴史学を創り上げた。 即ち、近代の歴史学は過去の歴史資料を評価・検討するコトを通じて真実を追求する学問であるとした。 日本でも 1887年に歴史学者ランケの弟子を招き、東京帝国大学の教師としてランケ史学の方法論を導入したものの、後に台頭する皇国史観を標榜する国史学に押されて当初の科学的な歴史学は抑圧されて排除されてしまった。 日本で科学としての歴史学が再び台頭するのは1945年、敗戦後のコトだった。 .... 現在、欧米の先進各国には科学的な歴史学の下、歴史資料は公開され、立派な公文書館に収納されていて誰もが何時でも閲覧し利用できる様になっている。

 日本でも遅まきながら2011年に福田内閣の下で 「公文書等の管理に関する法律」 が制定され、国や独立行政法人の活動記録が永久に保存されるコトになり、国民の誰もが資料を利用出来るコトが約束された。 ... 所が、昨今の加計学園や森友学園騒動を見る限りでは、行政機関が不公正な資料を作成し、しかも都合により資料の廃棄や改ざんを行っていた事実が確認され、しかも公務員のトップは資料の作成保管に関しては記録も記憶もないと公言、その陰では公務の出先機関が指示系統が不明なままに公文書の改ざんを行っていた。 然も未だに責任の所在は不明で誰もがこの責任を取ろうとしない。 今回のこの事件では、現在の為政者が記録を改ざんして自分に都合の良い歴史像を創り出そうとした? ..もの.と世界は見ている。 この限りでは、日本はまだまだ近代国家とは言えまい。 公文書管理法の下で保存された全ての記録は、この国の将来に向けての重要な歴史資料であり、国民共有の知的財産であるコトを忘れてはならない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
歴史資料について ぬるでんぼう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる