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みんなの「歴史」ブログ

タイトル 日 時
古墳のゆくえ
 過日、「しまね学講座」 で大久保徹也氏の講義 「出雲の大型墳丘墓の成立と展開」 を聴いた。 大要、AD150 年前後に成立した山陰〜北陸と山陽の吉備にのみ出現した特異な 「四隅突出型の大型墳丘墓」 に関する話だった。 ... 山陰地方ではこの時代以前には地方豪族の墳墓は単純な方形タイプの墳墓だったが、この四隅突出タイプの方形墓が伝わると築造法は変わり、しかも AD150年以降には規模が次第に大型化していく。 大型化した後の出雲市の西谷3号墳の規模は従来型の 3〜4倍の大きさになり、50m × ... ...続きを見る

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2017/08/07 21:15
「伊勢物語」寸聞
 伊勢物語、... 今まで読んだコトも無いのに何故か先般 講演を聴く機会があった。 内容は、この本が後の時代の日本文学に与えた影響に就いてであったが、出来れば逆に この本の作者が他から どの様な影響を受けたのかが知りたかった。 ... 伊勢物語自体は今もって作者は不明で、しかも書かれた年代も書き終わった時期も良く分かっていない。 確証はないものの同時代の 或いは後世の人達は、実際の執筆者は歌風や登場人物、書かれた内容から推して在原業平ではと推測している。 だが仮に作者が業平であったとしても、彼... ...続きを見る

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2017/07/31 14:00
悪党?
 「悪党」 で検索すると角川文庫本の悪党や 劇団 ZA-KOENJI の悪党が出てくる。 遡れば 江戸時代には大盗賊を始め 悪代官、悪女、小悪党などと諸悪は山ほど有った。 だが、広辞苑の 「あくとう」 の項の A には 悪党は 「中世語」 とあり、荘園内の反領主的荘民と特定している。 悪党の悪は儒教的な意味での悪ではなく、単に対峙した一方が相手を指弾する時に用いる用語だった。... 実際に平安時代から鎌倉時代に掛けては、悪党に関する荘園の土地問題や武力行使に対する訴えが多かったが、後には一族間で... ...続きを見る

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2017/06/30 21:55
日本語と国語
 日本の学校の授業には国語や英語の科目は有るが日本語という科目は無い。 20世紀の終わりの頃に国語に替えて日本語と云う名の科目を設置した公立の学校があったが、結局は上から睨まれたのだろう 今は無い。 ならば国語と日本語はどこが違うのか。 ... 国語とは National Language で一国を代表する言語のコト、我が国では日本語が国語になる。 だが実は 国語と云う用語は和製の造語でしかなく、他の英語圏のアメリカやイギリスなど、或いはアラビア語圏のサウジアラビヤや中東諸国には 日本の国語に相... ...続きを見る

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2017/04/30 13:55
遣隋使の謎
 何日か前の朝日新聞 「文化の扉」 欄に遣隋使派遣時期の齟齬についての記事が載っていた。 この違いは以前から専門家の間では議論されてきたもので、6〜7 世紀に記録された日本側の遣隋使派遣の記事と受け入れた側の隋の記録が異なると云うもの。 第 1回の遣隋使派遣の時期は、日本側は 607 年 だが受け入れた側の隋では 600 年になっている。 確かに日本書記にも 600 年の項には遣隋使派遣の記載はなく、607 年の項には秋 7月 3日 に帝 (みかど) は大礼 小野妹子を唐土 (もろこし) に遣わ... ...続きを見る

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2017/04/15 15:26
琵琶と弁才天の話
 冬晴れの一日、東京上野の東照宮境内で薩摩琵琶の演奏を聴く。 参拝客や外人観光客がカメラを手に行きかう道の直ぐ脇の会場では、敦盛や黒田節....、が演奏されていた。 私にとっては、最後の琵琶法師と云われた山鹿良之さんの 「俊徳丸」 を C D で聴いて以来の琵琶の音であった。 弦をはじいて音を出す琵琶の音色は独特の澄んだ響きと余韻が何とも素晴らしい。 8 世紀の唐の詩人白居易は、琵琶の音色を叙事詩 「琵琶行」 の中で 「大珠小珠落玉盤 ⇒ 琵琶の音は沢山の真珠が大皿に散らばり落ちる音に聞こえる」... ...続きを見る

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2017/03/15 18:04
「異国船打ち払い令」
 京浜急行線の浦賀駅で下車、海沿いに 30分程歩くと右側奥の小高い場所に江戸時代の浦賀奉行所跡がある。 1720年 (享保 5年) に置かれた浦賀奉行所は総勢 250 名、職務は江戸湾に入る船舶の監視、積み荷の検査、海難救助、三浦半島内の民政、...等であるが、中でも江戸湾の防衛は地政学上 最重要の仕事であった。 浦賀奉行所が廃止になるまでの 150年間に延べ 52人の奉行が職務を遂行したが、彼らの役割は最高責任者として江戸防衛の為に江戸湾と三浦半島を警護するコトにあった (対岸の房総半島は幕府... ...続きを見る

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2017/02/28 12:07
三浦半島の要塞
 三浦半島の浦賀、知ってはいるが行ったコトは無い。 浦賀は現在 横須賀市に属するが江戸時代には此処に浦賀奉行所が置かれ、海上警備と三浦半島内の民政を担っていた。 三浦半島の東部に位置する浦賀は東京湾の浦賀水道に面した古い歴史の町。 海岸沿いの山々の崖には今なお未調査の古代の横穴遺跡が点在し、浦賀の先の走水の海には日本書記にも載る弟橘姫の伝説がある。 ...だが明治10年代には既に、隣の観音崎には東京湾内への外国艦船の襲来に備えて砲台が築かれていた。 我が国では 1890年(M23年) に 「東京... ...続きを見る

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2017/02/15 00:52
王禅寺かいわい
 川崎市の北西部、麻生区の丘陵上に名刹、王禅寺がある (明治以前は武蔵国都築郡に属していた)。 この寺の寺号は星宿山王禅寺だが、最初は星降山...、だった。 星降るとは流れ星のコト、願いを叶えるには「星降る...」 の方が勝る。 寺の創建は諸説あるが、現在では917年 (延喜17年) の創建説が有力である。 「名刹王禅寺」 を著した三輪修三氏は、王禅寺の歴史が明らかでないのは複数回の火災で寺蔵の資料が失われた為と云う。 武蔵国の多摩川右岸で古代に元気だったのは橘樹郡の影向寺であり、中世前期に... ...続きを見る

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2017/01/15 16:49
古の芸能にみる
 日本の伝統芸能と云えば中世では能楽と狂言、近世では人形浄瑠璃と歌舞伎であろう。 これ等の伝統芸能は今では何れも無形文化財となり、夫々が専用施設、能楽場、国立演芸場、文楽劇場、国立劇場等を持ち、国の保護を受けている。 ... 今回は故あって人形浄瑠璃の経緯をたどってみたい...。 人形浄瑠璃文楽は 2009年にユネスコの無形文化財にも登録された。 浄瑠璃モノは 15世紀 室町時代の中期に京で流行った 「浄瑠璃姫物語」 の浄瑠璃部分を引き継いだもので、以後この種の語り物は京でも江戸でも全て 「浄瑠... ...続きを見る

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2016/12/30 16:27
古代の朝鮮半島
 朝鮮半島はユーラシア大陸の東端に舌状に突き出た半島、東経 125〜130度、北緯 35度付近に位置し総面積 22万 km2 の小半島である。 ユーラシア・プレートに乗るこの半島は古く、5億年以上前の先カンブリア紀には既に安定的な地層の骨格が出来ていた。 だが、この陸地が 2千万年前の日本海の拡大期 にどの様に係わっていたかは未だ未解明である。 朝鮮半島は地震の頻度は少ないが決して皆無ではない、特に太白山脈や小白山脈周辺には断層が散見されている。 火山も南部の済州島と北端の白頭山は共に活火山であ... ...続きを見る

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2016/12/15 23:31
ニワトリと人の話
 鶏の卵の殻には白色のものと褐色のがある、業界では前者を白玉と云い 後者を赤玉と呼んで区別している。 勿論、餌が同じなら双方の栄養値に変わりはない。 日本では鶏卵の 80%が白色の卵で残りが褐色の卵だが、ヨーロッパではその比率は逆である。 この殻の色の違いは親鳥次第で決まる。 鶏の種類は世界では 200種もあるので一概には云えないが、白色レグホン系が白い卵を産み、プリマスロックや名古屋コーチン系が褐色の卵を産む。 私が中学生の頃に飼っていた喧嘩に強い チャボも褐色の卵だった。 ...続きを見る

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2016/11/30 09:59
人と家畜の一万年
 国連の推計では世界の人口は 2016年10月現在で 73億6千万人。 我々の先祖は今から 10万年前にアフリカの東部で誕生、その後ながい時間を掛けて世界中に広がり BC 8000年頃には、その数は推定で 100万人、BC 2500年には 1億人にまで増加。 18世紀の産業革命時に漸く世界人口は 10億人に。 それから僅か 300年足らずの 2016年には世界人口は 73億6千万人にまで膨れ上がった。 ...現在の世界の人口は、1年間に 6千万人が死に 1億3千万人が生まれる、そんなペースで人は... ...続きを見る

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2016/11/15 21:00
剣法と刀
  剣や槍などの武器がムラやクニにとって必需品になるのは弥生時代以降のコト、その遠因は人口増にあった。 日本列島の人口の推移を見ると、縄文時代の後期が 8万人、米作の普及が進んだ弥生時代が 60万人、続く奈良時代 7世紀の人口は 450万人、12〜16世紀 鎌倉〜室町時代には 600万人へと着実に増加している。 人が増えれば、食糧確保の為に農地や水源を巡っての争いが増え、富の格差を巡っての戦いが起きる。 ... 昔から戦場での主要な武器は弓と槍であり、刀剣は補助的な武器でしかなかった。 しかも ... ...続きを見る

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2016/10/31 20:17
旗本の生活
 江戸幕府の石高は 700万石余、これは将軍家・旗本・御家人の食い扶持である。 だが 1868年 (慶応4年) に江戸城の明け渡しが終わり新しい明治政府が発足すると、徳川家は僅か 1/10 の 70万石に減俸されて静岡に封じられた。 窮した徳川家は、後述するように傘下の旗本らに対して @ 新政府に帰順して朝臣 (新政府方) となり江戸 (東京) に残るか、 A 徳川家臣として静岡 (新静岡藩 70万石) に移住するか、 B 自ら帰農するかの三者拓一を迫った。 当時の この一件は徳川時代の終焉... ...続きを見る

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2016/10/15 17:46
闘茶が愉しい
  五月の一日は八十八夜、言い伝えでは この日に摘んだ新茶は不老長寿の薬という。 ... 茶の原産地は、中国雲南省と貴州省の境の西双版那 (しーさんばんな) とされるが、どういう訳か この地は日本の社会科地図には載ってない。 ... 茶を煎じて飲む風習が我が国に伝わったのは 12世紀の鎌倉時代。 宋に留学していた栄西が茶の種を江南の浙江省から持ち帰ったのが嚆矢とされる。 当初は禅院の儀礼用に使われていた飲茶だが、南北朝時代の 14世紀には武士たちの間にも飲茶の風習が広がり 次第に絢爛な唐物数奇... ...続きを見る

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2016/04/30 10:40
♪ ショパンの軌跡
 若干古いが 2013年9月の朝日新聞、 be ランキング 「 もしもピアノが弾けたら、あの曲を弾いてみたい 」 のアンケートでは、トップはベートーベンの 「エリーゼのために」 で、2位以下 10位以内には ショパンの 「 別れの曲・ノクターン 2番・小犬のワルツ・英雄ポロネーズ・幻想即興曲 」 の 5 曲がランクインしていた。 日本人のショパン音楽への人気度は高い。 久野久らの女流ピアニストは既に 明治時代にショパンの曲を演奏していたし、昭和時代の高校教科書にも 「別れの曲」 が載っていた... ...続きを見る

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2016/04/15 10:42
頼朝の流人生活
 頼朝の後半生から最期に就いては平成 8年の 7月に このブログ上で記述した。 だが、彼の前半性についてはハッキリしない部分が多く事実関係も良く掴めないままでいた。 ところが最近、歴史関係誌の 「本郷」 で、”流人源頼朝が歩いた道” という記事を見つけたので、早速 元本の末尾掲載の著書を求めて頼朝の前半生について纏めてみた...。 但し、私的生活の部分は省いてある。 ...続きを見る

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2016/03/15 12:10
うるう年の知恵
 1936 年の閏年 ( うるう年 ) には 2 ・26 事件があった。 陸軍将校らによる反乱は、その後の日本の行方に大きく影響した。 次の 1940 年の閏年には 日・独・イ・ソ の四国同盟崩れの 三国同盟に加担し、世界から孤立していく。、現代の北朝鮮の様に列強からは石油やくず鉄の輸入を封じられ 後はズルズルと泥沼に嵌まり込んで行った。 ... あれから 80年、20回目の閏年がやってきた。 ...続きを見る

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2016/02/29 00:01
国家モデルの蹉跌
 明治維新から 180年を経た。 ... とは云っても、明治維新が何時始まって何時終わったのかはハッキリしない。 維新の始まりを、幕藩体制が崩壊し始めた 1830年代 (天保年間) とする説があれば、黒船来航の 1853年 (嘉永6年) とする説もある。 一方の終わった方は、大政奉還のあった 1867年 (慶応3年) とする説に 廃藩置県により統一国家が発足した 1871年 (M4年) とする説等がある。 何れにせよ江戸末期から明治に至る 20年程の間に維新は終息し、近代国家としての日本が発足... ...続きを見る

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2016/01/31 16:32
天守閣をつくる
  1950~60 年代に起きた 「お城ブーム」 では、第二次大戦中に米軍の空爆で焼失した城 (天守閣) の復元が各地で行われ、コンクリート造りの城が幾つも誕生した。 今また 歴女ブームに次ぐ平成のお城ブームの再来で、各地で城郭復元の機運が高まっている。 大規模城郭では 江戸城、甲府城、駿府城が話題を集め、地方でも小規模城郭の復元が複数取沙汰されている。 名古屋では現存のコンクリート造りの天守を木造に建て替える構想が浮上。 木造とコンクリート造りでは重量比は 1 対 3 、コンクリート造... ...続きを見る

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2016/01/15 10:28
古道と峠越え
古代道路の発掘が相次いでいる。 奈良時代に造られた古代道路の規模は、推定で総延長 6300 km余、道幅は 6〜10m、直線部分が多いのが特徴。 岩手県から鹿児島県まで網羅した中央と地方を繋ぐこの道路の造成は発足早々の律令国家にとっては大事業であった。 道路は当時の最高技術で堅固に造られたにも拘らず、今ではその殆どが消滅してしまった。 ... その後の時代に造られた鎌倉街道や江戸時代の五街道は、道幅はより狭く道筋は谷や尾根に沿っているので曲線や上り下りの部分が多い。 ... 道は、やはり高速... ...続きを見る

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2015/12/31 22:30
見えてきた古代日本
 日本の古代史を東アジアとの視点から見てみようと 2015年 「 発見・検証・日本の古代 」 のシンポジウムが福岡、大阪、東京で催され、第一線の研究者による講演と討論があった (角川文化振興財団・朝日新聞社共催)。 神奈川県でも川崎市の市民ミュージアムが 2012年に前方後円墳と確認された蟹ヶ谷古墳を地元の専修大学・日本大学と提携して 5ヵ年計画で発掘調査中であり、2015年には 「古鏡 kokyo 」 の企画展を催し 最前線の研究者を招いて講演会を開催する等、地方でも古代史に関する関心は高い。... ...続きを見る

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2015/10/31 12:07
8月15日の記憶
 戦争の末期、近いうちに重大発表があると云う噂があった。 果して 8月15日の正午に玉音放送が...。 雑音が強く内容はよく聞き取れなかったが、大人たちの様子から異様な雰囲気が伝わってきた。 ... この年には、8月の敗戦の日を境に その直前には原爆による被災があり、月末には米軍が進駐してきて 9月には連合国による戦争犯罪人の収監が始まった。 何れも国民にとっては未曾有の出来事の連続だった。 (玉音 ⇒ 天皇の肉声) ...続きを見る

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2015/07/31 23:46
次郎長の生き様
 清水の次郎長の本名は山本長五郎、1820年 (文政3年) の生まれだから上州の国定忠治より 10才若く、仇敵 甲州の黒駒勝蔵よりは 10才ほど年長である。 アウトローの博徒が徒党を組み世間を騒がせたのは、文化・文政期から明治初期迄の約 70年間であり、そんな不安定な時代に次郎長が 73才まで長生きして しかも畳の上で往生できたことは奇跡でもある。 ... いま我々が見る所謂 「次郎長モノ 」 は、本に書かれても、映画になっても、歌に歌われても、筋書きや演出は明るく大様に描かれている。 そんな ... ...続きを見る

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2015/07/15 22:53
太平記読み
 室町時代は 足利氏による武家政治の時代である。 だが、その中身は多様で大きくは三つの時代に分けられる。 初期は天皇と武士の覇権争いに南北朝の皇統争いが絡んだ荒廃した時代で、1336年から 1392年までの 60年間。 ...中期は日本文化の源流である東山文化に象徴される様な比較的安定した時代...、 後期は応仁の乱あり、将軍家の没落ありで 全国が戦国時代に突入した戦争に明け暮れた時代である。 ... 室町時代は 1336年 (建武3年) の 「建武の式目」 に始まり、 1573年 (天正元年)... ...続きを見る

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2015/02/15 12:47
忍者エレジー
 忍法とは忍術の法である。 昨今の忍法への学術的関心の高まりを享けて 私も先般 三重大学主催の忍術講座に少し早めに申し込んだものの既に定員 50人の枠は満杯だった。 最近は、出版物でも新進の歴史研究家による新しい発表もあり、忍法分野の新書が相次いで上梓されている、... 忍法は単なる疑似科学ではないのだ。 ... 若手歴史家の磯田道史さんは、自ら忍者の里である三重県の伊賀や滋賀県の甲賀を訪れては 忍者の子孫達に直接会って調査を行い、新しい成果を次々と発表されている。 ... 伊賀忍法の秘伝... ...続きを見る

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2014/12/15 21:59
敗戦の惨禍
 広島・長崎の原爆忌が終わると間もなく 敗戦記念日がやってくる、今年で 69 回目だ...。 本当は敗戦ではなく 終戦としたいのだが、日本史上 前例のない負け方をしたのだから やや自虐的だが やはりこれは敗戦だろう。 ...第二次大戦で 日本に対して宣戦布告をした世界の 55ヵ国にとっては、この日は勝利の日であり未来永劫に勝利を祝える記念日である。 来年は戦勝国同士が結託して戦勝祝典を大々的に催す向きもあるが、反面 無条件降伏をした日本は、敗戦を終戦と言い換えて毎年一人複雑な思いで式典を行ってい... ...続きを見る

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2014/08/15 15:14
玄界灘と朝鮮海峡
 昭和時代には 「俺は玄界灘を渡ったんだ...」 と威気高々に話す高齢の輩が何人もいた。 勿論、宴席での自慢話だが 厳密には大正生まれの彼らは玄界灘と朝鮮海峡を混同していた様だ。 ...敗戦までは、日本と朝鮮半島・満州国との往来には下関港と釜山港を結ぶ関釜連絡船が使われていた。 勿論、渡航の前には互いに水杯を交わしての別れが付きものだったが、今は航空機を使うので そんな感慨はない。 ... 昭和時代に歌われた 玄海ブルースの曲に 「...嵐吹きまく玄海超えて...」 と云う文句がある。 だが... ...続きを見る

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2014/07/15 06:10
♪ 舞いと芸能神
 我が国 初の芸能神は アメノウズメノ命 (みこと) である。  天の岩戸 隠れの あのくだりで舞う魅惑の女神と云えば知らない人はない。 ... 戦前の人類学者・鳥居龍蔵博士は、1916年 (T 5年) に発表した論文で 日本人は古代アジアの主に五つの地域から移住してきた種族で構成される 謂わば混成の民族であると主張した。 ...その彼らは、これは推定だが 日本への移住に際してそれぞれの種族が持っていた 「芸戯の技」 を この列島に持ち込んだ、それ等は種族の芸技であり俳優 (わざおぎ) であっ... ...続きを見る

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2014/05/31 07:03
軍師と参謀
 軍師とは、江戸時代に書かれた時代小説・軍記物・或いは講談などに 大将の補佐役として登場する創作された役職である。 戦争の無かった江戸時代には、講談では机上の兵法が語られ、小説では面白く創作された時代もの小説や戦記物が大衆の間で人気を呼んだ。 ...それらは例えば、太閤記本であり、将門記、義経記、曽我物語、清正記、山中鹿之助、...etc.であった。 ...史実よりも大げさに書かれた軍師や兵法者には、黒田官兵衛、竹中半兵衛、真田幸村、曽我兄弟...らが居る、...無論、彼らを今更 貶めるつもりは... ...続きを見る

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2014/02/28 00:05
黎明期の伊豆
 未だに人の手の入らない山地も残る伊豆の山々は急峻で険しい。 一方、平野部は中央の山地から北方向に流れる狩野川流域の田方平野のみで土地は痩せて狭小である。 ...伊豆半島の面積は 1421 ㎢ 、現在その中に 45万人が住む、...そんな伊豆は大都会に比べればまだまだ閑静な土地柄である。 ...続きを見る

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2014/01/15 16:38
暦と文化
 暦 (こよみ)とは現代のカレンダーのコト...、今の日本のカレンダーには新暦の太陽暦により編纂された日付、曜日、祝祭日が記されている。 ...ところが旧暦の太陰太陽暦の時代の暦には、能書きは現代とは違い 日付の他に四季の二十四節気や日の出・日の入り、月齢、潮汐、日・月食の予想、年中行事、その日の吉凶...などが書かれており 時には絵画も併記されている生活の総合版だった。 ...続きを見る

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2013/08/31 10:29
陰陽道の盛衰
 陰陽道は、1872年 (M5年) 明治政府により迷信だとして廃止させられたが、敗戦後の新憲法の下、再び神道の一派として甦った。 呪術・霊法については昔から 人それぞれに受け止め方には温度差があった。 あの清少納言は枕草子の 131段で、 陰陽師が賀茂の河原で声高に呪いを避ける禊祓いをする様を眺めて 清々しいと評したが、 14世紀に徒然草を書いた兼好法師は、神職の家に生まれながら俗信を好まず、赤舌日を批判し妖しげな話に係るコトは無かった。 現代でも、人は大安・仏滅には縁起を担ぎ、年末には忌中の... ...続きを見る

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2013/05/15 09:26
江戸時代に暮らす
 東京の国立科学博物館、報道では人類研究部の倉庫には江戸時代の人骨 約一万人分 (未整理分を含む) が収納されていると云う。 開発が続く都内では、人骨の出土は日常的で最近では江戸時代の人骨など厄介もの扱いになりがち。 ...だが個々の人骨にはその人の生前の生き様が深く刻み込まれている訳で粗末に扱ってはなるまい。 ...続きを見る

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2013/03/31 00:05
行事・風習と道教
 年が明ければ新年、...先ずは元旦の屠蘇 (とそ) にはじまり、初詣の おふだ、おみくじ、護符etc...、更には七草粥、トンド焼き、節分の豆まき (元は大晦日の宮廷行事) と行事が続く、...これらは日本古来の厳粛な新年の行事の筈だが、実は全て古代中国から伝わった、しかも道教由来の風習である。 ...他にも年中行事の、桃の節句や端午の節句、七夕祭り、七五三の祝いゴト...、夏の中元贈りや 大安・仏滅の六曜暦から厄除けに至るまで、何れも道教の影響を受けて日本に定着した風俗・風習である。 ...続きを見る

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2012/12/23 23:47
群馬の温泉
 10月の初めに久しぶりの 「いとこ会」で上越国境に近い四万温泉に遊んだ。 標高 700mの山道には栗の実が散らばっていたが、まだ秋の気配はなかった。 新暦の 10月初旬は暦の上では秋だが、まだまだ夏の日の様な暑い日が続く。 ...続きを見る

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2012/10/30 09:27
江戸城と石の文化
 関東を手にした家康が江戸城に入ったのは 1593年 (文禄2年)。 早速 彼は新しい江戸の街づくりと 城の再構築にとり掛かった。 ... 城は、藤堂高虎が縄張り (設計) を担当し、30年間に亘って数次の修復・修築を行った、 城が完成したのは 3代将軍家光の時代だった。 ...その間 1600年の関ヶ原の役を挟んで、1603年 (慶長8年) には江戸幕府を開いている。 ...続きを見る

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2012/10/15 15:23
武家の支配
 源氏と平家の話は何となく親しめる。 子供の頃から源平合戦の絵本が好きだったが、小学校 3年生の時の M先生は尼子氏の出身とかで毛利との戦の話をよく聞かせてくれた。 そんな影響からか歴史教科書の 古代の最終章に平家がいて、中世の初めに源氏がいるスタイルは少しおかしいな と思っていた。 中世は、武家政権の始まった平清盛の時代から始まるとする方が理に叶って正しい。...それにしても皇統に繋がる源氏と平家が、摂関政治を蹴落として武士の時代を招来せしめたのは面白い。 ...続きを見る

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2012/09/29 10:34
建造物の高さ比べ
 文明の進化に伴い、人類は数多くの大建造物を造った。 伝説の中では バベルの塔であり、実世界では信仰と征服の象徴である 各地の寺院や城郭、城塞などである。 21世紀に入り摩天楼ラッシュの続く 中近東や中国では、現在も次々と新しい超高層ビルが建設されている。 ... 2012年現在、世界で最も高い建造物はドバイの 828m の超高層ビルだが、最新技術を駆使すれば最高 1600m までの超高層ビルの建築は可能と云う。 難点はエレベーターの能力不足だが、... 建築の成否は、古今東西を通じて最終的に... ...続きを見る

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2012/09/01 09:20
辞世を遺した人たち
 広辞苑には、...辞世とは 「死ぬ際に遺す偈頌 (げじゅ)・詩歌など」 とある。 即ち、人生の終りに際して詠む惜別歌 (せきべつか)、幕引きの歌のコトである。 古来、辞世を遺す風習は東アジア固有の文化だったが起源はハッキリしない。 ...それに辞世の出来栄え自体は、普段から準備していた人 既に体力の衰えた人 急死した人と...人それぞれで、死に際の有りよう次第で内容もレベルも大きく変わる。 ...中には余人の偽作あり、請負人ありで必ずしも辞世の全てが信用に値するものではない。 ...続きを見る

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2012/06/30 21:22
創業と老舗
  創業、... 「創業は易く守勢は難し」と云う。 .だが日本には 1600年 (関ヶ原の役の慶長5年) 以前に創業し、その後400年 以上に亘って存続している所謂 老舗企業が現在 31社ある。 創業後こんなに長く存続できた理由は、応仁の乱以降 国内で大きな消耗戦が無かったコト、企業側もその後の藩幕体制から軍国の統制経済の時代を自らの経営力で乗り切ってきた点にある。 老舗がこれほど纏まって残っている国は他に例がない。 ...続きを見る

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2012/05/30 06:34
人と猿...今昔
 山峡の温泉の湯に浸かる猿の一群、僻地の開発が進む中で その数はめっきり減った。 ...本州の縄文遺跡からは しばしば猿の骨が発掘される、猿はつい 100年前の明治・大正の頃までは人間の貴重なタンパク源 (肉、毛皮、薬を取る) だった。 ... だが、猿の狩猟は 現代人が町の肉屋で肉を求める感覚とは違い、アニミズム (Animism) よろしく 動物にあやかり精霊としての獲物を頂戴しますと云う意味が込められた狩猟だった。 ...続きを見る

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2012/04/15 05:22
鎌倉の峠道
 鎌倉 朝比奈の切通しは、鎌倉市十二所〜横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ峠道であり、鎌倉に10ヵ所ある切通しの中の一つである。 開通後 800年を経た峠道は現在、国の史跡と歴史的風土特別保存地区に指定されている。 全般に荒削りの切通しだが、並行して走る県道 204号線に比べれば今なお静かな峠道である。 ...続きを見る

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2012/01/14 23:48
家康の彦根城
 琵琶湖の東方に位置する国宝彦根城は、湖畔を通る朝鮮人街道 (浜街道) 沿いに建つ平山城である。 この城は関ヶ原役後の徳川幕府が、次の大阪の役に至るまでの間に全国統一の楚を築く戦略の一環として築いた、しかも実質上は家康が建てた城である。 ...続きを見る

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2011/12/15 20:08
ソウル市 ・ 今昔
 アジアは今や (H23年現在) 韓流ブームの真っ只中。 ...金浦空港に降り立つと彼の国の熱い息吹きが漂う。 ...そんなソウル、今ではホテルの予約は混雑で順番待ち、 ...街に出れば若者喫茶で、 観光施設で、韓国語の上に日本語、中国語がゴチャ混ぜになって流れている、...活気がある! ...続きを見る

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2011/11/30 23:57
お金との出会い
 子供の頃だった、...一家団欒の夕食中に突然 「お金は要らないよ」 と呟きながら見知らぬ男が家に入ってきて玄関口に座り込んだ。 食べ物は要らないと云うので、父が何がしかの小遣い銭を包んで渡したら...受け取ったお金を懐に出て行った。 その間の我が家の空気は笑い事ではなかった(笑い)。 ...続きを見る

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2011/11/13 20:58
水の都 蘇州
 水の都の要件は、...水辺に整然とした人工の都市があり 水と都市が一体化しているコト。 水の都は、単に多様な水辺地域を擁するだけの ”水郷” とは本質的に異なる。 ...東洋の水の都と云えば 蘇州、西ではベネチア、...水の都の特徴は、古くから 「享楽と消費」 の都市文化を育んできた点にある。 ...続きを見る

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2011/10/30 09:18
「多宗教雑感」から
 一年ほど前に多神教に関する一文を Blogに載せた所、友人の町田君からこれに関する感想文が送られてきた。 ...ああ、こういう見方も有るのかなと思い、7枚から成る原稿の一部を この稿で披露するコトにした...。 勿論、本人には承諾してもらっている。 ...続きを見る

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2011/10/15 16:07
水の惑星
 「♪...蒼く眠る水の星に 〜 」 ...森山博子さん の歌う曲... ”水の星に愛をこめて” は、広い星空に一点、青く 光る 「水の惑星 ☆ 地球」 の姿を彷彿させる。 ”水”、...我々が地上で接する水は意外にも多様な顔を持つ不思議な物質である。 ...続きを見る

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2011/09/30 04:27
上州長脇差の系譜
 侠客について、...時代小説家の子母沢寛は 「長脇差は江戸中心の街道筋に多く、 一寸脇道に入った上総下総辺りが本当の博徒の... 」 と書いた。 ...博徒について、地方史家の萩原進は 「群馬県遊民史」 の中で地方史の視点から取り上げ、また大宅壮一は 「炎は流れる」 の中で侠客を好意的に記述し、それ以前には徳富蘇峰が 発生別に分類を行っている。 ...更に遡れば江戸時代後期には幕府代官だった 羽倉外記が著した 「赤城録」 (せきじょうろく) に辿りつく。 ...続きを見る

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2011/09/15 23:51
屈辱の無条件降伏
 また あの日が巡ってくる。 ...そう、 建国以来 初の無条件降伏を甘受した屈辱のあの日のコトだ。 ...なのに半世紀余を経た今日まで 公には戦争責任の検証すら為されてない。 何故って?...それは当時の国民の多くが ”戦争”を選び参加したからである。 ...続きを見る

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2011/07/31 09:54
古代群馬の先進性
 山秀麗に水清く...、明治の詩人 相馬御風は上州の雄大な風土をリアルに詠った。 ...この地の呼称は、藤原京時代には 「車⇒ くるま」 だったが 続く奈良時代の713年以降は二文字を使って 「群馬⇒ くるま」 となる。 ...群馬とは緑の牧場で馬が群れ遊ぶ様を表す好地名だが、「ぐんま」 と呼ばれるのは更に後の時代だった。 ...この時代、当地は車持君 ( くらもちのきみ) の系統が榛名山南麓 (群馬総社周辺)を、上毛野君 (かみつけのきみ)の系統が赤城山南東部 (旧勢多・新田郡) を支配してい... ...続きを見る

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2011/07/01 09:40
小仏峠/ 峠道の盛衰
 峠道には 山間の鞍部を越える道も有れば、見通しの良い高い山の頂上を通る道もある。 ...昔から峠道は別名、...何々越えや、何々乗越しと呼ばれてきた。 ... ここ神奈川と東京の間に跨る小仏峠 (こぼとけ峠)⇒ 大垂水峠 (おおたるみ峠) は、険しい山間部と平野部を画する古い峠道の一つである。 ...続きを見る

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2011/04/29 22:55
寄付された犬山城
 我国で国宝に指定されている建造物は 215件有る、そのうち城の建造物は 5ヵ所 (犬山、松本、二条、姫路、彦根)、10件である。 ...明治の廃藩置県に伴う廃城令で全国の城郭の殆んどは破却されたが、何らかの事情で残った城が現存している訳だ。 その中で小粒ながらも輝いているのが愛知県の犬山城である。...この天守は四季を通じて夕方に木曽川対岸の鵜沼側から眺める姿が最も美しい。 ...続きを見る

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2011/03/30 20:36
天元の妙
 平成の囲碁界は国際戦では不本意の連続だが、その遠因は囲碁人口の減少と高齢化にある。 ...そんな中で高額賞金付きの国内棋戦は相変わらず活況で貴重な?..存在でもある。 碁界には七冠をはじめ NHK杯、新人王戦 etc...数多くの棋戦が目白押し。 年間を通じて夫々の覇権の行方にはファンも目を離せない。 ...続きを見る

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2011/02/15 20:12
ルネサンスを知る
 10日間のイタリア旅行を終え ミラノ空港へ向かうバスの中で、添乗員から 一番印象に残った町は何処?...と聞かれた。 皆夫々だったが、わたしはアッシジと答えた。 ...その街はローマの北方 180 km、 標高400m の丘の上に広がる中世の門前町である。 ...続きを見る

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2011/01/31 23:26
日本...建国のころ
 古墳時代はヤマト王権の時代と重なるが全てがイコールではない。 近年、纏向遺跡の調査が進み複数の遺跡の築造年代が 3世紀の初めまで遡った、...古墳時代の始まりが僅かに早まっただけでも、歴史の重要な部分に跳ね返って来る、この敏感さ が古代史の面白いところだ...。 ...続きを見る

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2011/01/15 11:12
敗戦と戦争賠償
 2010年10月、ドイツは第一次世界大戦の敗戦で 課されていた戦争賠償金の支払を完済した。 戦争終結が 1918年 (T18年)だから支払には 92年の年月を費やした。...遅延の原因は ヒットラーはじめ西独、東独の夫々が賠償金の支払を拒否し続けた為である。...だが最終的には孫の世代が、前世紀の敗戦の代償を負担して終了した。 ...続きを見る

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2010/12/29 16:44
東京の等々力渓谷
 総延長 1kmの等々力 (とどろき)渓谷は、多摩川下流域を望む東京 武蔵野台地の南東部にある。 一帯は古墳の点在する風致公園でもある。 この小渓谷は世田谷区を流れる谷沢川が 2万年?...の年月をかけて国分寺崖線の延長部にあたる台地を刻んで出来た深さ 30m程の浅い渓谷である。....ここの自然崖では、70万年前以降の東京南部の台地の成り立ちを観察するコトが出来る。 ...続きを見る

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2010/12/17 07:39
熊本城と西南戦争
 ” あんた方どこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ...♪” 戊辰戦争のさなか 各地に駐屯した肥後出身の兵隊と町の子供達との やり取りの歌の一節である。 肥と火は同音、火山の国の熊本は律令以前は 火の国 と呼ばれていた。 ...そう云えば、有明海 熊本県八代の沖合いに灯る ”不知火” も火であった。 ...続きを見る

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2010/12/13 15:18
多神教と一神教
 旧暦の10月は神無月。 ..神無月⇒ .諸説ある中で ”新穀を使い酒を醸す醸成月 (かみなしづき)” と云う解釈が最も美しい。 ...他に、八百万の神が皆 出雲に出かけてしまい此方側が空っぽになるので 神無しとする説も有る。 ...続きを見る

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2010/10/31 00:14
東アジアの覇権
 東アジアとは日本列島から中国大陸を跨ぐ広い地域を指し、覇者とはその頂点に立った権力者? のコト...。有史以来、この地域では激しい覇権争いが繰り広げられ、民族は興亡を繰り返してきたが、...今も その構図は変わらない...。 ...続きを見る

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2010/09/30 22:12
唐から奈良へ
 2010年、奈良は平城遷都1300年の祭典で賑わっていた。 ...あをによし...に象徴される奈良時代の繁栄は、新しい風を持ち込んだ遣唐使の活躍による所が大きい。 派遣は 630年〜834年までの 200年間 (15回)に延べ 5000人が出発した、だが 4割は帰還しなかった。 ...続きを見る

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2010/09/15 09:20
最後の遣唐使円仁
 最後の遣唐使の一員として唐に渡り追放されて帰国した 「円仁」。 最近、帰国途中で訪問したと思われる中国河南省の法王寺 (後漢時代建立)で偶然に 「円仁」の刻銘入りの石板が発見された。...過日、国學院大學でこの経緯についての現地調査報告会があった。 ...続きを見る

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2010/07/30 23:57
学者侠客の生き様
 幕末、四国に生きた学者侠客と云えば日柳燕石 (くさなぎ・えんせき)、...勤皇派の博徒として知られる。 官軍の指揮官、仁和寺宮嘉彰親王の 「日誌方 (記録係)」として従軍中に越後長岡城を攻撃中に柏崎にて戦病死した。 原因は、直前の慶応元年 高杉晋作の逃亡幇助の罪で幕府方だった高松藩に入牢、獄中生活の疲弊だったとされる。 ...続きを見る

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2010/06/15 21:32
賭博はオモシロく
 せっかく Los...まで来たのだからと、夕方の便で Las Vegas へ飛ぶコトに...。 アメリカ映画に出てくる様な本場のカジノに触れていると、ルーレットもバカラもブラック・ジャックも全てが新鮮に見えてくるから不思議な世界だ。 ...続きを見る

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2010/04/30 01:24
東北のグリーンタフ
 奥羽本線の八郎潟駅から五城目街道に入り、出羽山地の旧鉱山の町、阿仁を経て田沢湖方面へと向う。 西から東へ、今回は低地の油田地帯から山間部の鉱山跡へと グリーンタフを辿ってのドライブだった。 ...続きを見る

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2010/04/15 09:27
ジプシーを知る
 短編映画 「ロマの少女・アンブラ12才の生活」を観る。 「ロマ」とは ジプシーが自らを称する言葉であり、それは ”人間” と云う意味である。 彼等への差別と虐待の歴史を思うとき、何故か空しく響く...。 ...続きを見る

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2010/03/30 17:51
♪音楽を愉しもうV
 カリブ海に浮かぶハイチ。 ...2010年の地震で混乱が続くハイチだが、当地の民族音楽 ”ハバネラ” のリズムは 18世紀のハイチの独立革命を機に隣のキューバからヨーロッパを経てアルゼンチンへ伝播して当地で 「♪アルゼンチン・タンゴ」 として開花する、19世紀末のコトである。 ...続きを見る

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2010/02/27 11:47
天保水滸伝の里
 JR成田線、笹川駅辺りから銚子の先の旧飯岡村に掛けての一帯は江戸の後期、世間を沸かせた天保水滸伝の舞台である。 勿論、上州高崎藩の飛び領だった銚子17ヵ村も そのしがらみから逃れるコトは出来なかった...。 ...続きを見る

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2010/02/13 15:11
小正月と 旧正月
 新年には、元日に続いて 5、7、15、20 の夫々の日に正月行事があった。...元々暦は、天文学的な要素と迷信の要素の双方から成り立つものだが、暦法に基づく本源的な行事は別として、現代の生活環境に合致しない部分や煩わしい正月行事などは、自らが切り捨てて行くべきだろう。 ...但し、民俗として保存すべき部分は地方の博物館等に任せればよい。 ...続きを見る

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2010/01/08 15:20
武蔵型 板碑
 わが家の庭の隅に45×17×2cm の青色の小型の板碑 (いたび)がある。 考古学好きの知人が戦後 川崎市菅生の丘陵で発掘した板碑だが、時代を経たいま私がこれを菅生地区の任意の場所に戻せば後世の板碑研究の障害になり兼ねない、...どう処置すべきか迷っていた所、川崎市の市民ミュージアムで引き取って下さるコトになり一安心。 喜んでいる。 ...続きを見る

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2009/11/15 18:08
折れた刀
 子供の頃読んだ本に、日本刀と西洋のサーベルとの優劣くらべの話が載っていた。 内容は、並べられた3本のサーベルを日本刀で真っ二つに切断した云々...だった。 江戸時代、寛政の三奇人の一人、林子平も長崎の出島で同じコトを試したと伝わるが真偽は不明...。 ...続きを見る

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2009/09/29 18:59
戦争と子供
 アブラ蝉の鳴声が心なしか大きく響く。 8月は7日の立秋を挟んで、あと先に季語の原爆忌が並ぶ。 6日が広島、9日が長崎の原爆被災の日である。 ...続きを見る

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2009/07/28 06:09
列強を排したタイ国
 タイでは、訪問した先々で応接間や会議室に現国王の大きな写真が掲げてあった。 この国は1939年まではシャム国でその後 「タイ ( kingdom of Thailand )」 に改称した。 シャムと云えば象に跨る山田長政をイメージするが、この国の真骨頂は19世紀に東南アジア地域では唯一、西欧列強による殖民地化を阻止した点にある。 ...続きを見る

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2009/07/01 13:41
忘れられた国 ”渤海”
 昔の便所は、足を踏み外すと落っこちそうで老人や子供にとっては危ない場所だった。 所が、もっと古い時代の遺跡で発見された ”土坑型貯留式便所” のその底に溜まった人糞の堆積物は、実は過去の生活情報の塊だった。 ...続きを見る

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2009/06/15 11:31
砂漠からの贈物
 大陸からやってくる黄砂(砂塵) は花粉と共に春の厄介もの...。 昔から日本人は黄砂を、つちふる(霾)・よなくもり(霾曇り) 等と詠み、この黄砂を 季節判別のメルクマールとして捉えてきた。 ...続きを見る

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2009/05/31 12:45
雁よ!よみがえれ
 春先まで近くの川辺に棲んでいた数羽の雁が姿を消した、北の国へ戻ったのだろう。 温暖化の為か "雁の群"の飛来する南限が 200km以上も北上してしまい、最近は季節ごとの雁行を見るコトも無くなった。 ...続きを見る

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2009/05/14 21:08
奈良にも火山が..?
 京都経由で奈良に入るには、時間的には近鉄だが..途中下車や風景を楽しみながらのノンビリ旅をと云うなら断然 JRの関西線である。 ...続きを見る

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2009/04/29 09:46
朝鮮人参を巡って
 ソウル市内を流れる漢江の河口 38度線沿いに江華島という朝鮮半島史上 重要な島がある。 黄海に浮かぶ、種子島より小さい小島だが この島は朝鮮人参の産地としてよく知られる。 ...続きを見る

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2009/04/16 09:25
ウナギのお喋り
 昨日はウナギご飯だったが鰻の旬もそろそろ終り。 ウナギが脂がのって本当に美味いのは土用よりも冬の寒い時期の様な気がする。 ...続きを見る

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2009/03/31 16:20
水戸藩と大日本史
梅は百花の魁(さきがけ)。 水戸の偕楽園は3月末まで梅祭りという、因みに水戸市の市の木は ”梅”である。 「 我が背子に見せむと思いし梅の花 それとも見えず雪の降れれば....山部赤人 」 奈良時代は今よりも少し寒かったのかな。 ...続きを見る

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2009/03/14 22:27
備中の風景
 松山城。 ...全国には同名の松山城が五つある。 その中の一つが岡山県高梁市の 「山城」備中松山城である。 周辺では古代の城跡 鬼ノ城 (きのじょう)や 国の名勝 豪渓 (ごうけい)が有名である。 ...続きを見る

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2009/02/28 11:05
空っ風ぞ吹く...:
 空っ風 (からっ風)に煽られて梅の花びらが宙を舞う...寒い!...新暦の2月4日は立春だったが 旧暦では、まだ正月の10日、冬の真っ最中だ。 ...立春とは本来 暦法上の用語であって気象上の春のコトではない。 ...続きを見る

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2009/02/13 21:15
安房鴨川への道
 フェリーは波静かな浦賀水道(横須賀〜金谷 )を音も無く航く。...遥か昔 日本武尊 (ヤマトタケルノミコト)の一行も 東征に際し相模の国から上総(カズサ)の国へとこの同じ海を渡った。 だが その日の 「馳水(ハシルミズ)の海=浦賀水道」 は大荒れだった。 弟橘姫 (オトタチバナヒメ) の伝説はこの時に生まれた。...幸いにも今日は長閑な冬の日 お陰で房総の山々を眺めながらの快適な船旅 (35分)であった。 ...続きを見る

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2009/01/29 22:47
♪..音楽を愉しもうT
 子供の頃は、家では学校の唱歌は歌わずに大人の歌ばかり歌っていた。 何故って? あの頃の唱歌は リズム感に乏しく...いや、ヒョッとすると専門家が指摘するように あの時代から、既に日本では 「子供の声の低音化」 (子供の声の音域の低下) が.始まっていたのかも知れない。 ...続きを見る

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2009/01/15 23:49
クリスマスは洋冬至
 師走の一日、家族でウインター・コンサートを楽しんだ。 吹奏楽で聴く 「White Christmas 」も中々おつなもの毎年この曲が流れると そろそろ今年も終りだな...と想う...。 ...続きを見る

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2008/12/21 16:53
花泥棒よ...。
 この夏に玄関脇の道沿いに 20株ほどの花を植えた、だが翌朝起きてみたら半分しか無い。 一本置きに (知能的に?) 抜き盗られていた。 その辺に棄てられた様子も無いので 花は何処かで大事に育てられているのだろう、...すこやかにと願う他ない。 ...続きを見る

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2008/12/15 00:17
冬将軍の侯
 暮も近づき、そろそろ積雪の便りもチラホラ...、つい嬉しくなり 他の県の天気予報にまで目が届く (笑い)...。 さあ 冬はこれからと思っていた矢先、昨日は寒桜見物の案内がきてビックリ!。 ...続きを見る

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2008/11/30 09:03
庭と人との係わり...
 世界七不思議の一つ、バビロンの空中庭園には及ぶべくもないが最近は都心のビル屋上にも緑の庭が点在する。 機上から眺めていると 火星だったら 「枯山水の庭」 造りになるのかなぁ...なんて つい余計な空想をしてしまう。 ...続きを見る

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2008/11/15 23:11
荒ぶる川と片岩の里
つくづくと粋なもやうの博多帯 荒川岸の片岩のいろ 宮沢賢治 ...続きを見る

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2008/10/30 10:53
絵に秘められたもの.?...
 最近 見た絵...、世界を絵図で表した 「マンダラ」、文字の読めない人々のために毎年作られてきた 「絵暦」、絵と詞書きで綴る 「絵巻物」、そして宗教的奇跡を描いたカトリック教会の 「ステンドグラス絵」等々...、絵に込められた思いやメッセージは 果たして我々に読み解けるものなのか...? ...続きを見る

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2008/10/15 15:29
地中海の町ピサ
 地中海 ! ...太古の地中海は横長の茶碗のような内海だった。 約2000万年前、ヨーロッパ大陸にアフリカ大陸が衝突して来ると 東西の両端は閉じられ、その間に大きな内海が出現した、最初の地中海である。 それは...。 ...続きを見る

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2008/08/15 14:13
頼朝公御落馬から
 研究グループの松井先輩から こんな文書があるよと或る歴史記事の写しを頂いた。 それは地元の言い伝えを基に書かれた頼朝公の落馬についての資料であった。 ...続きを見る

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2008/07/31 21:55
伊予国の400年
 海外を歩くと明るい国あり、陰気な国ありだが、それは国内でも同じコト。 高速フェリーが松山観光港に近づくにつれ、さて 次のこの町はどっちのグループかな...、なんて波飛沫の彼方をボンヤリと眺めていた...。 ...続きを見る

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2008/07/15 21:33
進化するカラオケ
 カラオケとは 「空っぽのオーケストラ」 の略称...。 成長するカラオケ世界からは近年 「ヒトカラ」 という歌い方も生まれた。 そして次は?、手のひらサイズの一人用のカラオケボックスが近々登場する。 勿論、画像付きで何処ででも自由に歌える機器なので、多くの人が音楽に接するチャンスになるかも知れない。...まだ名前はないが次は...何カラ になるのかな?...と楽しみにしている。 ...続きを見る

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2008/06/30 23:57
ミラノを駆ける
 2015年の世界万博は Milanoに決定。 北イタリアの玄関 ミラノは人口130万、イタリア経済の中心であり、もう一つは AC Milan とインテルを擁するサッカー王国でもある。... 試合当日は、中央のドゥオーモ広場もサッカー場へと繰り込む若者達で何かとざわつく。 ...続きを見る

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2008/05/31 08:34
古代ローマ散見
 「ローマはギリシャを征服したが、逆に文化ではギリシャに征服された」 古代ローマの詩人ホラティウス (B.C100)の言葉、...薀蓄のある言葉だが、ギリシャ文化とローマ文化との違いは我々には何とも分かり難い...。 ...続きを見る

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2008/05/17 16:38
花の都 フィレンツェ
 イタリアで 入館時に空港並みの持物検査があるのは、重要美術品を抱えるフィレンツェの ウフィッツィ美術館と ローマのサン・ピエトロ大聖堂。 旅行中の時間は貴重なだけに これにはウンザリ...。 ...続きを見る

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2008/04/29 00:16
水の都ベネチア
 大型ボートにて W・Europa & Regina に到着、そこはベネティア中心のサン・マルコ広場に近い 内海に面した瀟洒なホテルの玄関だった。... 船着場からの一望の夕景は、思いなしか映画 「旅情」のあの遥かなるベネチアを彷彿させる。(Venezia 伊 = Venice 英) ...続きを見る

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2008/04/13 10:37
相撲あれこれ
 一年を二十日で暮らすよい男、...江戸時代、関取を詠った川柳だ。 本場所は年二回、興行は延べ20日間、力士も観客もノンビリした時代だった。 勿論、地方巡業もあったが...。 ...続きを見る

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2008/03/30 23:04
早春のイタリア
 雨上がりの早春の太陽はどこまでも明るく、咲き乱れるアーモンドの花の白さは眩しさで一杯...。 イタリアの南端はアフリカ大陸の北端よりも南に位置すると云われると、何だか地中海性気候の真っ只中に佇んでいる様な様な気になってしまう...。 ...続きを見る

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2008/03/16 00:32
発掘の時代
 静かな室内に「銅鐸の音」が流れてきた、よく響き渡る快い音色だ。 奈良県、橿原考古学研究所の付属博物館の正午を知らせる鐘であった (この銅鐸は複製品)。 ...続きを見る

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2008/02/25 18:51
峠道の盛衰 T
 日本の三大峠と云えば、北アの針の木、南アの三伏、奥秩父の雁坂で、何れも標高 2500m前後の険しい峠道である。 一方の碓氷峠、足柄峠、倶利伽羅峠などは 千年以上も前から経済、軍事の大動脈として機能してきた道の歴史遺産の様な存在、....峠道とは歩くほどに面白い。 ...続きを見る

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2008/01/31 00:01
シンガポール!
 あれは雪の多い年だった、滑りこみで ANA に飛び乗るや着替えもせずに防寒衣のままでチャンギ空港に直行した。 ...続きを見る

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2008/01/13 12:00
楽しき三元日
「元日や皆いにしえのこと計り」   漁川 ...続きを見る

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2007/12/30 12:40
蘇えった京都
 京の夏の風物詩...。 この夏(07年)の京都鴨川の右岸には過去最多の 91軒の納涼床が出店したと聞く、さぞや賑わったコトだろう。 わたしの試算では右岸のひと夏の経済波及効果は 34億円と見た、チョッと少なすぎるかな ?...。 ...続きを見る

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2007/12/14 19:32
忠臣蔵の季節
 本懐を遂げ、高輪の泉岳寺へと急ぐ46人の赤穂浪士。 昔から生首の重さは米3升 (4.5kg)と云われる、仇の首級をシッカリと抱え込んだ彼等は、上杉家の追っ手や邪魔者の出現を警戒しながら目立ち難い下町の川沿いの道を選んだ。 ...実際は映画や芝居で見る あの華やかな凱旋シーンには程遠いものだった...。 ...続きを見る

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2007/11/30 21:13
カルデラ噴火?
 山歩きの先輩から正月休みに読んでみてはと薦められた本があった。 石黒耀著 「死都日本」である。 しかし死という文字が気になり縁起を担いで、その年の正月には読まなかった(笑い)。 ...続きを見る

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2007/11/15 10:00
旭川に遊ぶ
 神居古譚 (カムイコタン⇒アイヌ語で神の住む場所)は、JR旭川駅からタクシーで片道 6千円弱の距離にあった。 ...続きを見る

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2007/10/15 22:01
吉野ヶ里遺跡へ
 弥生時代の城郭と云えば吉野ヶ里、...まだ猛暑の残る暑い日だったが 路線バスを途中で下車、遺跡へと向かう。 歩くコトで、少し離れた位置から日本最古の城郭でもある遺跡全体の地形や立地を観察したいと思い....。 ...続きを見る

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2007/09/13 23:38
江ノ島と海
 ある夏、ヨット好きの友人に誘われ相模湾を周遊した。 海側から眺める江ノ島、その険しくそそり立つ海食崖を間近に見たのはこの時が初めてだった。 ...続きを見る

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2007/08/27 23:04
美濃の風景
 飛騨高山から国道41号線を南下、分水嶺の苅安峠を過ぎても道はなお山また山、下呂を過ぎ旧金山町で漸く美濃に入る。 07年は岐阜県にとって飛騨・美濃合併 130年の節目の年である...。 ...続きを見る

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2007/07/30 14:56
シュウ馬の党?
 「僦馬(しゅうば)の党」。 9世紀の群盗化した輸送グループを指す。 黒幕は関東の豪族や地方豪族たちだった。 全国的な騒乱状況の中、関東では「僦馬の党」などの武装集団が跋扈した。 痛快なり! ...続きを見る

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2007/07/15 17:00
南部地方、今昔
 青森県の旧百石町、今は田園風景とベットタウンの混在する町だが、此処には 江戸時代から続く銘酒がある。 何せ此処は伏流水が良い。 ...十和田湖の渓流、奥入瀬川はこの町を流れて太平洋に注ぐ。 記憶に残る町である。 ...続きを見る

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2007/06/30 13:57
男鹿半島巡り
 男鹿、今は半島だが昔は日本海に浮かぶ島であった。 男鹿半島は江ノ島や函館山、マカオ等と同じく陸繋島 (Tombolo) なのである。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2007/05/15 01:15
東京の多摩郡
 東京の多摩川、毎秒 37㎥ の流量を誇る この川は、都内の水道水の33% を賄う。 だが、万葉の昔も今も 多摩の風景に溶け込むように流れるこの川の 流麗さに変わりはない。 ...続きを見る

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2007/04/30 17:11
麗しき島「台湾 」
 16世紀、大航海時代から 「麗しき島 ( Ilha Formosa )」 として親しまれてきた台湾、今や外貨準備、世界 3位の経済大国へと発展、年初には南北を 90分で結ぶ台湾高速鉄道も開通した。 豊かな国である。 ...続きを見る

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2007/04/15 00:03
東国の英雄
 平安中期 940年(天慶3年)の春、東国の英雄 「平将門」が、天慶の乱で無念の最期を遂げた。 1000年余を経た今でも 東京大手町の都史跡、将門塚(100坪)には冥福を祈る献花の絶える日はない。 ...続きを見る

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2007/03/30 01:37
西相模 中村川流域
 西相模 (神奈川県西部)の中村原に今も残る中世 (平氏系) 中村宗平の館跡。 歴史小説家の永井路子氏によれば、背後に山を背負い 東斜面に開けた土地を配した地形は当時、武士の居館として格好な場所だったという。 ...続きを見る

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2007/03/15 21:04
幻の都 ?
 以前、JR 東海道線に神足(コウタリ)という名の駅があった。 関東では耳慣れない呼び名だった事もあり、何回通っても 気にも留めなかった。 後日、そこが長岡京跡と知ったのは駅名が長岡京に変わってからである。 もっと早く気付いていれば...と悔やまれる。 ...続きを見る

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2007/02/14 00:22
国宝 松本城
 松本城、登るたびに天守から眺める四季の景色の素晴らしさには圧倒される。 世界遺産への登録候補にも手を挙げているとの事だが単に 一城郭だけではなく、この景色をも含めた全体像が登録できるなら もっと素晴らしいのに、....とよく思う。 ...続きを見る

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2007/01/15 00:22
年越しのあと先
 「去年今年貫く棒の如きもの........虚子」 ...続きを見る

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2007/01/01 13:05
♪ 国歌の誕生
 国歌としての「君が代」。 1880年(M13年)に作曲され既に130年近くを経た君が代だが、国歌として法制化されたのは最近の1999年 (H11年)である。 ...国歌なんて敗戦後ズーッと、一般の人は歌うコトも聴くことも無かった、みんな国技館の千秋楽の歌くらいにしか思っていなかった。 それが突然、上から? の命令で強制的に歌えの、否 歌わないのの騒ぎとなり最近、漸く地裁の判決も出た。 ...続きを見る

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2006/12/11 17:01
広がる領土
 国家の領域とは? それは国家主権のおよぶ範囲である。 ...具体的には 領土であり 次に領海 (及び領空)を指す。 近年、これに加えて排他的経済水域 (海洋領土)も自国領域として画定出来る様になった。 ...続きを見る

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2006/11/19 14:27
箱根最古の道
 箱根外輪山の内側を沿うように流れる早川、宮城野から少し遡上した川淵の上に 碓氷洞門がある。 即ち、国道 138号線のトンネルである。 この地点から東へ100mほど登った山腹に 古代の箱根道の一部が残っている。 明神岳の南麓、標高 650m付近だが、ここが箱根の碓氷峠である。 ...続きを見る

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2006/11/11 15:15
ビール野郎
 爽やかな秋、今がビールの一番旨い季節だ。 飲むほどに真夏のビールとは一味違う趣がある。 ...恒例のミュンヘン ビール祭り、今年も世界の何ヶ所かで同系のオクトーバーフェスト (Oktober fest ⇒独ミュンヘンの10月祭)の祭典が催された。 ...続きを見る

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2006/10/10 23:21
大陸生れの化石?
 50万年前に活動を し始めた赤城山、現在の標高は 1828mだが、最盛時には推定では 2500mの高さだった。 山体の面積は 20ku だが例えば、南面の大間々扇状地などに見られるように、その全活動期間を通じて 121立方`m という膨大な量の火山噴出物を周辺に撒き散らして現在に至っている。 ...続きを見る

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2006/09/01 08:15
石空川渓谷とフォッサマグナ
 山梨県内での糸魚川-静岡構造線 (糸静線)の断層露頭と言えば 、旧白州町の 「白いミニグランドキャニオン」と早川流域の「新倉断層」がよく知られる。 そこで今回は.....、 ...続きを見る

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2006/08/22 23:53
Kodakと共に
 Kodak から始まったカメラ歴だが、いまKodak の前途は暗い。 ...続きを見る

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2006/08/13 09:01
沖縄 長寿と食文化
 「沖縄の長寿に関する研究」により尚弘子 琉球大学名誉教授が(社)日本栄養食糧学会から平成18年度の功労賞を受賞、(沖縄タイムス06.7.11 夕刊)。 所が現在、世界的に ”長寿の島”として注目されてきた現地 沖縄に異変が起きている。 それはこの島の 伝統的な食文化を引継ぐ世代 と、戦後の欧米化した新しい食文化で育った世代間の食生活、食習慣の違いが顕在化した結果であり、 原因の一つは、食材の選択の仕方に有りそうだ。 ...続きを見る

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2006/07/12 17:12
太陽の贈り物「トマト」
 立会いの終わった後の某市の青果市場をブラリ訪問。 ...今は夏野菜の最盛期。 色とりどりの旬の野菜の中でも赤いトマトがひと際目立った。 ...続きを見る

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2006/07/06 00:28
四大美女を巡って
 街でショーウインドウの奥に飾られている 一組4個の小人形を見つけた。 それは1980年代初め、無錫(ムシャク) の土産物店で売られていた四大美女の人形であった。 泥形の上に彩色したものである。 四大美女というのは中国に伝わる次の4人の美女達を指す。 ...続きを見る

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2006/06/15 19:00
子規庵から
 雨あがりの午後、子規庵を訪ねる。 現在の建屋は、1945年(S20.4.) 米軍の空爆で焼失した後 1950年(S25) に再建されたものである。 間取りは弟子の碧梧桐が描いたという見取図が使われている。 子規は1892年(M25) 25歳のときにこの屋敷に移り住み 35歳で亡くなるまでの10年間を ここで過ごした。 「子規」...は俳号であり本名は 正岡升(のぼる) である。 ...続きを見る

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2006/05/26 00:11
最北端の風景
 あの日は、現地が悪天候ということで遅れに遅れて出発した便だったが昼過ぎには稚内へ、だが空港から一歩外に出ると空気は重く冷気で身が凍みるようだった。 ...最北端の地の厳冬とはこう云うものかと膚で感じた瞬間でもあった。 ...続きを見る

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2006/05/09 13:31
箱根南東部を歩く
 ヤマザクラの花の匂う晴れた日。 ...箱根古期外輪山の大観山から、白銀山 、この山の南麓、標高 500m程の白銀林道 (シロガネリンドウ)を巡検した。 JR湯河原駅からバスを利用して 「しとどのいわや」 で降り、ここから約10キロの道を歩き 南郷山 (611m)付近から急坂を下り 湯河原駅 (40m)へ戻るルートである。 ...続きを見る

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2006/05/01 18:09
佐渡ヶ島を歩く
 「クジラを避けるために一部区間で減速運行をします、...」、佐渡からの帰途、ジェットフォイルに乗船した時のアナウンス。..... 船舶の安全運行は人間とクジラが共生している海域では必要な事である。 最近の鹿児島佐多岬での衝突事故は痛い思いをした双方にとって不幸な出来事であった、(もし本当にクジラだったとすればだが ? )。 ...続きを見る

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2006/04/13 00:34
日本人とサクラ
 サクラと云えば根尾谷の淡墨桜が先ず浮かぶ。... この老木を蘇らせた人、...特に作家の宇野千代、医師の前田利行、岐阜大の堀武教授、当時の岐阜県知事等をはじめ多くの人々の努力によって枯れ死寸前の淡墨桜は救われた。 ...続きを見る

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2006/04/01 00:26
囲碁雑感
 このブログのオフィシャル面に女流の梅沢由香里5段 (平成19年の女流棋聖)の 「......由香里のつれづれ日記」が載っている。 囲碁マンガ 「ヒカルの碁」の監修者としても知られる彼女だが、他にも IGO-AMIGO ( 21世紀の囲碁再発見のプロジェクト)や e-碁サロン等も主宰している。 ...続きを見る

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2006/03/24 16:12
国定忠治の時代
 菊池寛賞を受賞したばかりの津本陽、久しぶりに侠客もの 「国定忠治」を出版。 この忠治本、随所に羽倉外記の 「赤城禄(せきじょうろく)」の記事を引用しながら書かれている。 ご存知 国定忠治は1810〜1850年の文化文政から天保、嘉永の幕末を駆け抜けた男である。 群馬県北部の大戸の関で 関所破りの罪で処刑されたが、捕まったのは晩年、中気(脳溢血)で倒れて寝込んでからである。... 捕手側の手柄ではない。 ...続きを見る

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2006/03/01 20:29
トリノに遊ぶ
 フランスのシャモニーから長いモンブラントンネルを抜けるとイタリアだ。 左手にはアルプスの山々が屏風のように迫って聳える。 いまオリンピックを前にして 現地は雪不足に悩んでいる。 今回アルペン競技の行われる会場はトリノ市の北方90km、アルプス南麓のスーザ渓谷付近に分散している。 例年なら 1~2mは積もる雪が今年は 60cmしかなく急遽 、人工雪も準備していると云う。 また氷上競技はトリノ市内で行われる。 この大会のマスコットは雪と氷の精をあしらった男女の子供達という、如何にもこの国らしい..... ...続きを見る

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2006/02/03 19:20
「いにしえ」のこと
 去年 (コゾ)今年貫く 棒の如きもの   虚子、 年末のあわただしさも、元旦の朝には一転して静かになる、でも周りの何かが 特に変わるわけではない。 ...続きを見る

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2006/01/01 13:02
人間と火の文化
  掃き集めた落葉を焚く、... 紫煙があちら こちらから 立ち昇る、以前はこんな情景は当たり前で、のんびりしたムードで風情があった。 誰かが歌う 「焚き火」の唱歌も聞こえていた...。 その落葉焚きも ダイオキシンの心配や、防災上の問題絡みで、今では廃れて見るコトも無くなった。 ...続きを見る

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2005/12/14 00:24
「とはずがたり」に想う
中世 鎌倉時代に書かれた 「とはずがたり」という本がある。 山折哲雄氏は平安時代に書かれた源氏物語と同様に鎌倉時代に書かれた 「とはずがたり」は将来、日本の古典文学として大きく 評価される可能性が高いという。 ...続きを見る

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2005/12/10 11:57
美濃大田、西へ北へ
 秋の味覚の中では 「へぼ飯」が懐かしい。... へぼ とはクロスズメ蜂のことで、へぼ飯は この蜂の子をご飯に入れて炊いたものである。 食感はバター味の炊たての御飯と思えばよい。 以前、美濃の山村で見た光景...大人たちが真綿をぶら下げた蜂を追って山野を駆けていた、 美濃の蜂の巣捕りは初秋の風物詩でもある。 ...続きを見る

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2005/11/13 18:19
江戸城の遷り変わり
 江戸城造営にまつわる資料 646点の一部が公開された。 早速この 「江戸城を建てるー甲良家の図面を読む」展を見に行く。 甲良家は近江の出身で代々(11代)幕府の作事方 (建設設計)を担当していた。 ...続きを見る

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2005/11/04 13:13
思い出す侭に
 最近の各紙は韓国の「ソウル地検が国家情報院の元幹部を不法盗聴の容疑で拘束.....」と報じた。 この国では1999年の金泳三大統領の就任以降は、軍閥や国家による暗い時代は既に終わったものと思っていた。 今回の様な出来事は過去の時代の一過性の残渣であって欲しい...。 ...続きを見る

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2005/10/09 19:23
歴史の転換期
 歴史には転換期というのがある。 天皇家の存亡をかけた南北朝時代、戦国時代の終わった安土桃山時代、そして明治維新である、現代は情報革命の最中だと云う人もいる。 しかし私は戦後のGHQ主導の改革解放政策が日本の中・近世史の中で最も大きな転換期だったと思っている。 ...続きを見る

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2005/09/25 23:47
「ぶっ壊し」騒動記
 学生の頃、小諸の友人の家に遊びに行った帰りに旧信越線の列車内で見知らぬ初老の男と隣合せたコトがある。 その時、彼から長野県に飛び火した秩父事件の話を聞かされた。 明治以降、秩父事件について書かれたものは多い。 既に研究し尽くされた感もあるが、120年前の今頃の時期に起きた この騒動を私なりに振り返ってみたい。 ...続きを見る

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2005/09/22 20:34
「茶の湯」への長い道
 最近、遊芸文化 「茶の湯」についての講演を聞く機会があった。 現代の茶の湯にたどり着くまでには、実に様々な経緯があった様である。 講演は利休や秀吉の時代の話が主であったが、古くは桃山時代以前から この国には様々な型の喫茶が実在していた話から始まった。 ...続きを見る

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2005/09/07 18:42
八王子城と後北条氏
 中世の大規模城郭としての「八王子城」。 以前ここで空堀の発掘作業に参加したことがあり、久しぶりに復元された遺構を見ようと訪れた。 ...続きを見る

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2005/08/14 21:53
敗戦の彼岸にあるもの
 数日前の朝日新聞は、中国 吉林市内の某洋食店が ”一般日本人は謝罪をしてから入店すべし” と書いた張り紙を出したと報じた。 暗い話ではある。 ...続きを見る

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2005/07/17 12:20
桑と蚕 そして生糸・織物へ
 「初繭掻」 の行事が今年も皇居で行われた... 繭掻き (まゆかき)とは 蚕が作り終えた繭を取りだして収穫することである。 ...続きを見る

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2005/06/20 23:46
如己堂かいわい
  公園のベンチに座っていると緑陰を吹き抜ける風が心地よい。 先ほどから園内の 「原爆落下中心地」の碑の前では、大勢の修学旅行生が順番で整列しては何やら説明を聞いている。 多分、60年前の長崎原爆投下の際の街の惨状や核兵器廃絶について であろう。 碑の前に献じられている沢山の花束には何れも訪れた学校名が書かれている。 一人の中学生に 「どちらから来たのですか」 と聞いてみたら、小林市から徹夜でバスと船を乗り継いで来たと話してくれた。 長崎からみると、霧島山地の向こう側の町である。 ...続きを見る

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2005/06/14 10:38
麦秋の島原半島で
 麦秋の島原半島をノンビリと有明海沿いに南下。 ...続きを見る

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2005/05/30 00:30
多摩の横山
  我が家の近くをはしる国道16号線は、横浜市の中心部から東名高速の横浜インター脇を通りその先で町田街道と分かれ、多摩丘陵の御殿峠を越え東京の八王子市に至るいわば神奈川県を縦断する大動脈の国道である。 ...続きを見る

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2005/03/13 18:55
星形の城
  上信越自動車道を佐久インターで降り、小海線に沿って南下すると程なく臼田町へ入る。 山頂には宇宙空間観測所の径 64mの大きな反射鏡が見える、それは惑星間の探査機と交信する現代の最先端の科学施設である。 所が幕末、この地にも当時としては最新鋭の星形の洋式城郭が誕生していた。 ...続きを見る

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2005/02/27 23:06
国号 「日本」
 この一月に東京神田で 「墓誌新発見記念市民セミナー」 が開催された。 ...続きを見る

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2005/02/23 23:41
伊藤一族の系譜
 仇討とは、そもそも直接の尊属 (父母、兄)を殺害したものに対して復讐を認める ”制度”である。 武士の発生以来、内向きの血族意識に根ざした数多くの仇討が行なわれた。 ...ただし明治6年の太政官布告 「仇討禁止令」を以って我国では仇討は全面禁止になった。 ...続きを見る

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2005/02/22 23:59
ぬるでんぼう ?
 ”ぬるでんぼう”、此れは わたしのBlog 名である。 皆から ”ぬるでんぼう” って何の意味と よく聞かれる、こっちも一瞬、詰まってしまう。 何故かって、一言での説明の仕様が無いからである。 自分では、分かりやすいブログ上のアダ名に と選んだだけ だったのに....。 ...続きを見る

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2005/02/21 23:36

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