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みんなの「文学」ブログ

タイトル 日 時
日本語雑感
 秋の夜長に丸谷才一さんの一文、「考える為の道具としての日本語」 を詠む。 文芸評論家らしく 一捻りした表題だが、中身は明治初期から現代に至るまでの日本語の出来方から使われ方までを叙述した名文である。 更に、文筆家が文を書く時には必要に応じて幾つもの辞書類を使うとして、事例を挙げた 「兼ねる辞書」 という小文も付いている。 これを読むと文筆家が一文を書く場合、事前に如何に苦心しているかが判ろうというもの。 驚くべきは文筆家達が、文書を書くために各種の辞書を引くと云うよりも辞書を読んでいるコト。 ... ...続きを見る

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2017/10/16 16:53
蝶が舞う・・・
 我が家の庭にも春にはモンシロ蝶が、夏の初めには大きなアゲハ蝶が飛んでくる。 この様に季節ごとに飛来する蝶を 「季節型の蝶」 と呼ぶ、 即ち 春・夏・秋... と季節ごとに色々な蝶が生まれては飛んで来る訳だ。 子供のころには昆虫と云えばトンボと蝶が双璧だったが、最初は直線的に飛ぶトンボに惹かれたものの、長じては色鮮やかで然も掴めそうで掴めない蝶の方に興味を持つ様になった。... そう云えば、庭のレモンの木にも毎年 アゲハ蝶の幼虫が居ついて葉を食い荒らしていたが、最近はトンと姿を見なくなっ... ...続きを見る

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2017/08/31 21:43
「伊勢物語」寸聞
 伊勢物語、... 今まで読んだコトも無いのに何故か先般 講演を聴く機会があった。 内容は、この本が後の時代の日本文学に与えた影響に就いてであったが、出来れば逆に この本の作者が他から どの様な影響を受けたのかが知りたかった。 ... 伊勢物語自体は今もって作者は不明で、しかも書かれた年代も書き終わった時期も良く分かっていない。 確証はないものの同時代の 或いは後世の人達は、実際の執筆者は歌風や登場人物、書かれた内容から推して在原業平ではと推測している。 だが仮に作者が業平であったとしても、彼... ...続きを見る

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2017/07/31 14:00
日本語と国語
 日本の学校の授業には国語や英語の科目は有るが日本語という科目は無い。 20世紀の終わりの頃に国語に替えて日本語と云う名の科目を設置した公立の学校があったが、結局は上から睨まれたのだろう 今は無い。 ならば国語と日本語はどこが違うのか。 ... 国語とは National Language で一国を代表する言語のコト、我が国では日本語が国語になる。 だが実は 国語と云う用語は和製の造語でしかなく、他の英語圏のアメリカやイギリスなど、或いはアラビア語圏のサウジアラビヤや中東諸国には 日本の国語に相... ...続きを見る

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2017/04/30 13:55
琵琶法師が支えた平家物語
 先般 或る歴史講演会で平家物語に絡む琵琶法師の話があった。 講師の兵藤先生の話では、琵琶法師は 1996年 (H8年) に最後の一人が亡くなり今はもう居ないと云う。 琵琶法師と云えば 13世紀以来、平価物語の演唱とは切っても切れない関係にあったが、実はそれ以前にも管弦を弾く琵琶法師は居た。 ... 蝉丸、諸説あって素性はハッキリしないが、彼こそが琵琶法師の元祖である、今昔物語に載る 朝廷の管弦の名手だった源博雅朝臣との話から 10世紀頃の人と推定されている。 その蝉丸が住んでいたのは、現在の国... ...続きを見る

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2016/03/30 21:44
描かれた富士
 富士山の美の特徴は、独立峰特有の山体の美と噴火跡、積雪にみる超絶した景観にある。 世界にはキリマンジャロを始め、マヨン (比)、エレバス (南極)等々が、国内には 利尻岳、燧岳、伯耆の大山、開聞岳など数多の独立峰があるが、富士山程に敬われ、且つ親しまれてきた山は無い。 ... この国に文化が根付いて以来、富士は時代を超えて 歌に、俳句・和歌に、小説・物語に、絵画にと歌われ描かれ続けててきた。 ... 私自身、富士山の見えない県の小学校を出たが、図工の時間には誰もがチャンと富士山の絵を描き、音楽... ...続きを見る

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2015/04/15 23:09
☆ 花に遊ぶ
 今年も花の季節がやって来た、花と云えばサクラ。 連日、TVは桜前線がどうのと賑やかである。 ... 桜の季節は 気候が冬型から春型へと替わる時期なので、南風が吹いて暖かいかと思えば 次の日は寒冷前線が下りてきて寒くなる。 気圧の谷が 日替わりで通過する この時期は、体力のない老人や病弱者にとっては厳しい季節でもある。 特に、心筋梗塞や脳出血には用心せねばならないが、神経痛や肩こり、腰痛持ちの人にも辛い季節である。 かく云うわたしも 寒い日には昔 骨折した手首の古傷が往々に痛む。 ...続きを見る

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2015/03/31 23:07
ピアノを弾いた哲学者
 2014年の暮れにヌーデルマン氏の著書 「ピアノを弾く哲学者」 の日本語版が出た。 先ずはと、図書館で検索したところ 何と横浜市の図書館は 23人待ち、川崎市の図書館は19人待ちだった。 市立図書館の蔵書はともに 2冊ずつ、本の貸出期間は 2週間なので凡そ半年待ちになる。 ... この本は題名がハイカラで、ピアノを介して哲学に近づけそうな気にさせる所が人気の原因。 原書名は 「Le Toucher des Philosophes 」、 直訳すれば 「哲学者 (達) の触覚 」 だから、日本語... ...続きを見る

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2015/03/15 00:02
太平記読み
 室町時代は 足利氏による武家政治の時代である。 だが、その中身は多様で大きくは三つの時代に分けられる。 初期は天皇と武士の覇権争いに南北朝の皇統争いが絡んだ荒廃した時代で、1336年から 1392年までの 60年間。 ...中期は日本文化の源流である東山文化に象徴される様な比較的安定した時代...、 後期は応仁の乱あり、将軍家の没落ありで 全国が戦国時代に突入した戦争に明け暮れた時代である。 ... 室町時代は 1336年 (建武3年) の 「建武の式目」 に始まり、 1573年 (天正元年)... ...続きを見る

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2015/02/15 12:47
詠み人知らず
 「 詩は酒の肴になる... 」、 既に故人となられた文芸評論家の丸谷才一氏と文学者 吉田健一さんの間で交わされた言葉である、... 何とも優雅な会話だ。 二人で詩の楽しみ方を示唆してくれている様で面白い。 勿論、此処で云う詩とは Poem のコト、短歌や俳句ではない。 西洋の詩には 一定の形式と規則的なリズムから来る開放感、個人の力強い感情を喚起する手法・様式がある。 ... 案外、こんな開放感に満ちた詩心が 酒の肴に合うのかも知れない。 ... 一方の 短歌や俳句には 人との繋がりがあ... ...続きを見る

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2014/09/30 21:44
「末の松山」 の大津波
 「末の松山」 ... この松の山が多賀城市内にあるコトを知ったのは 東日本大震災がキッカケである。 過去に何度も訪れた東北だが、何故か この地を訪れたコトは無かった。 「末の松山」 は、地図で見る限りは仙台平野の北端にあり 海岸から 2 q ほど離れた 標高 8 m の台地に在る。 ... その高さ故か この小高い台地は貞観年間、869年の三陸大津波にも、2011年の 東日本大震災時の大津波にも 冠水を免れている。 ... 歌枕 「末の松山」 が和歌に詠まれる時には、詞の前後に必ず ”... ...続きを見る

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2014/07/31 23:59
エッセイか 随筆か
 月に2回、1800 字前後の短文を書いて Blog に載せている。 だが時々、この書き物は一体何なのかなと自問してしまう。 ...果して随筆なのか、小論文なのか、或いはエッセイなのか? ...元々 エッセイには 「試論」の意味もあり これが一番近いのかな と思ってはみたが、 Blog上では自分の主張や意見をなるべく控えているので、これは当て嵌まらない、 ....では今まで書いてきた文章は単なる作文〜散文でしかないのか? ...否.。 ...続きを見る

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2013/11/15 21:30
古代群馬の三碑
  1300年を経た群馬の三碑 ( 山之上碑・多胡碑・金井沢碑) は、歴史的価値が評価されて現在は特別史跡に指定されている。 だが、この三碑の真の価値は、年代の古さや碑面に書かれている文章の内容にあるのではなく、文章構成そのものが初期の日本語の形成過程を示している点にある。 ...碑の文章は当時、先人が試行錯誤を重ねながら創りつつあったヤマト言葉・漢式和文で書かれており、それは1300年後の今でも すらすら読み下せる程に素晴らしき文体である。 ...1945年の敗戦時には、米英進駐軍による接収を... ...続きを見る

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2013/07/31 20:22
仮名遣いの変遷
 春とは名のみか、風は冷たく陽は弱い。 ...そんな中、朝のTVは南国の菜畑に舞う 「蝶」を放映していた。 そう云えば今週の何日目かは啓蟄の日だった、...うちの庭先に住むヤモリ親子もそろそろ姿をみせる頃だ。 ...続きを見る

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2013/03/15 00:02
辞世を遺した人たち
 広辞苑には、...辞世とは 「死ぬ際に遺す偈頌 (げじゅ)・詩歌など」 とある。 即ち、人生の終りに際して詠む惜別歌 (せきべつか)、幕引きの歌のコトである。 古来、辞世を遺す風習は東アジア固有の文化だったが起源はハッキリしない。 ...それに辞世の出来栄え自体は、普段から準備していた人 既に体力の衰えた人 急死した人と...人それぞれで、死に際の有りよう次第で内容もレベルも大きく変わる。 ...中には余人の偽作あり、請負人ありで必ずしも辞世の全てが信用に値するものではない。 ...続きを見る

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2012/06/30 21:22
言葉 その裏と表
 かなり前の話だが、...西安の夜店で買い物をしていたら突然 隣の客から、あなたは山口百恵を知っているか と聞かれてビックリしたコトがあった。 ...続きを見る

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2010/11/15 00:06
旭川に遊ぶ
旭川に遊ぶ  神居古譚 (カムイコタン⇒アイヌ語で神の住む場所)は、JR旭川駅からタクシーで片道 6千円弱の距離にあった。 ...続きを見る

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2007/10/15 22:01
言葉T 表現と工夫
言葉T 表現と工夫  大阪の道修町と云えば 江戸時代から続く薬品問屋の街。 以前、出張するなら是非 ここを訪ねて見てはと紹介されていた会社があった。 ...続きを見る

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2007/09/29 08:39
年越しのあと先
年越しのあと先  「去年今年貫く棒の如きもの........虚子」 ...続きを見る

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2007/01/01 13:05
子規庵から
子規庵から  雨あがりの午後、子規庵を訪ねる。 現在の建屋は、1945年(S20.4.) 米軍の空爆で焼失した後 1950年(S25) に再建されたものである。 間取りは弟子の碧梧桐が描いたという見取図が使われている。 子規は1892年(M25) 25歳のときにこの屋敷に移り住み 35歳で亡くなるまでの10年間を ここで過ごした。 「子規」...は俳号であり本名は 正岡升(のぼる) である。 ...続きを見る

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2006/05/26 00:11
「とはずがたり」に想う
「とはずがたり」に想う 中世 鎌倉時代に書かれた 「とはずがたり」という本がある。 山折哲雄氏は平安時代に書かれた源氏物語と同様に鎌倉時代に書かれた 「とはずがたり」は将来、日本の古典文学として大きく 評価される可能性が高いという。 ...続きを見る

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2005/12/10 11:57

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