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zoom RSS テーマ「侠客」のブログ記事

みんなの「侠客」ブログ

タイトル 日 時
次郎長の生き様
 清水の次郎長の本名は山本長五郎、1820年 (文政3年) の生まれだから上州の国定忠治より 10才若く、仇敵 甲州の黒駒勝蔵よりは 10才ほど年長である。 アウトローの博徒が徒党を組み世間を騒がせたのは、文化・文政期から明治初期迄の約 70年間であり、そんな不安定な時代に次郎長が 73才まで長生きして しかも畳の上で往生できたことは奇跡でもある。 ... いま我々が見る所謂 「次郎長モノ 」 は、本に書かれても、映画になっても、歌に歌われても、筋書きや演出は明るく大様に描かれている。 そんな ... ...続きを見る

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2015/07/15 22:53
上州長脇差の系譜
 侠客について、...時代小説家の子母沢寛は 「長脇差は江戸中心の街道筋に多く、 一寸脇道に入った上総下総辺りが本当の博徒の... 」 と書いた。 ...博徒について、地方史家の萩原進は 「群馬県遊民史」 の中で地方史の視点から取り上げ、また大宅壮一は 「炎は流れる」 の中で侠客を好意的に記述し、それ以前には徳富蘇峰が 発生別に分類を行っている。 ...更に遡れば江戸時代後期には幕府代官だった 羽倉外記が著した 「赤城録」 (せきじょうろく) に辿りつく。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/09/15 23:51
学者侠客の生き様
 幕末、四国に生きた学者侠客と云えば日柳燕石 (くさなぎ・えんせき)、...勤皇派の博徒として知られる。 官軍の指揮官、仁和寺宮嘉彰親王の 「日誌方 (記録係)」として従軍中に越後長岡城を攻撃中に柏崎にて戦病死した。 原因は、直前の慶応元年 高杉晋作の逃亡幇助の罪で幕府方だった高松藩に入牢、獄中生活の疲弊だったとされる。 ...続きを見る

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2010/06/15 21:32
天保水滸伝の里
天保水滸伝の里  JR成田線、笹川駅辺りから銚子の先の旧飯岡村に掛けての一帯は江戸の後期、世間を沸かせた天保水滸伝の舞台である。 勿論、上州高崎藩の飛び領だった銚子17ヵ村も そのしがらみから逃れるコトは出来なかった...。 ...続きを見る

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2010/02/13 15:11
国定忠治の時代
国定忠治の時代  菊池寛賞を受賞したばかりの津本陽、久しぶりに侠客もの 「国定忠治」を出版。 この忠治本、随所に羽倉外記の 「赤城禄(せきじょうろく)」の記事を引用しながら書かれている。 ご存知 国定忠治は1810〜1850年の文化文政から天保、嘉永の幕末を駆け抜けた男である。 群馬県北部の大戸の関で 関所破りの罪で処刑されたが、捕まったのは晩年、中気(脳溢血)で倒れて寝込んでからである。... 捕手側の手柄ではない。 ...続きを見る

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2006/03/01 20:29

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