阿蘇の外輪山


 去る7日(05/10) 福岡管区気象台から阿蘇山の火山情報が発表された。 「やや活発な状況」という程度だったのは幸いである。

 阿蘇山とは云っても地図上に そんな名前の山がある訳ではない。 阿蘇五岳の高岳 (1592m)、中岳(1506m)、根子岳.....等を含む10峰程の山岳をまとめて中央火口丘群と言い、これに阿蘇外輪山をも加えた一帯の総称が「阿蘇山」である。 真ん中に広がる阿蘇カルデラは、東西約17km、南北25kmの広さと云うから350k㎡前後の面積であろう。

 「阿蘇」 と云う名前は肥後国の国造 (クニノミヤッコ)だった阿蘇氏に由来する。 この一族は神官であったり 武士であったり又、神官に戻ったりと時代の波に揉まれながら揺れ動いた。 南北朝時代には兄弟がそれぞれ南朝と北朝に分かれて領地を争い、その後は隣国の大友氏、島津氏などの戦国大名から、更にその後は豊臣氏から侵略されて次第に弱体化していく、江戸時代には元の神官に戻り、明治維新後には男爵に列せられている。

 山麓の NEC保養所の窓から見える北方の外輪山の夕景は素晴しい。 そのスケールの大きな山容はカメラに収まりきれなかった程である。 稜線は一直線に見えるが海抜では700~1000m、カルデラの内側は、添付の写真の様に切り立った急崖が多い。 翌日、我々は中央火口丘行きの予定を変更して、車で外輪山に向かうことにした。

 阿蘇山の出来方、現在の阿蘇山が誕生する以前、...この地域には沢山の小規模火山が活動していた。 それは今でも残っている根子岳や大観峰、斧岳、俵岳......等の山々である。... ところが30万年前~9万年前の間に 現在のカルデラの地域で4回に亘り 大規模な火砕流噴火が発生 、大量のマグマを噴出した。(大量のマグマ噴出の後、地盤が沈下して 広大なカルデラが出現した) 現在の大カルデラや中央火口丘は、この大噴火直後に出現した...。 火砕流台地である外輪山は、この時の大規模火砕流が以前からあった小規模火山群を覆った結果 形成されたもので、これが現在の阿蘇火山の姿である。 ついでにカルデラの内側に見える大観峰は70万年前に噴火したまま残っている小規模火山の一つである、たまたま30万年前に発生した大火砕流に見舞われたが山容の一部が外部に露出したままで残ったものである。

 更に我々は外輪山の下部構造を見たいと思い、北方外側に位置する菊池渓谷(500~800m/h)を訪れた。 あまり奥までは行けなかったが、この深い渓谷の基岩は輝石安山岩、溶結凝灰岩等で、その上を火山礫や灰が厚く覆っていた。

  国内だけでなく アジア各国から来る多くの観光客で賑う中央火口丘 (中岳の噴火口)の側と違い、北方の外輪山側には牧場が多く 牛がゆっくりと草を食む長閑な風景がある。 広いカルデラ内には文学碑も多い、明治の頃には漱石、独歩、蘇峰などが好んでこの地に滞在した。 徳富蘇峰は阿蘇の「蘇」と大観峰の「峰」をとって蘇峰と称した、余程の阿蘇ファンだったのだろう。 阿蘇とはそういう所である。

 今後の気象台の発表で、 もし中岳噴火口の底の赤熱現象が盛んになったり 湯だまりが干上がったりするような事態が発生した場合には、阿蘇火山は噴火の次のステージに入ってくる。 ...以前にもブログ 「雲仙に遊ぶ」の中で 九州を横断する地溝帯のことを書いたが、それは この地域が元々地球の変動帯に位置しているコトの証しである。

 北方外輪山上から見えるカルデラ内の豊かな田園風景...、この中をJR豊肥線が走り、一市一村 (合併前は一町五村)があり 五万人が住んでいる。 只々 阿蘇火山の平穏期の長からん事を祈るものである。

参考書 :
鎌田浩毅  日本列島の自然学「火山はすごい」 PHP新書

 

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