西伊豆から

  100万年前?..に本州に衝突してきた伊豆半島、地図では本州の下に潜り込めずにシッポを駿河湾側に向けて振っているようにも見える。 西伊豆で見る日本一深いこの駿河湾 (平均深度2000m)は何処までも碧く、見るからに急深の様相を漂わせている。 この湾は西南日本を載せるユーラシアプレートと フィリピン海プレートとの境界に位置し、地学的に遠浅の伊勢湾や東京湾とは出来方が異なる。

 伊豆の踊り子も通った下田街道を南下、途中の箕作で右折し婆娑羅峠のトンネルを抜けると程なく伊豆半島の西海岸に出る。 この辺りから土肥町に掛けてが西伊豆海岸の見所である。 走る車から時折 赤みがかった岩石の露頭を見かける様になる。 これが伊豆半島本体を支えている 基盤岩の湯ヶ島層群である、伊豆中央部の広い範囲に分布する最も古く、半島の最下位部分を構成する海成の地層である。 添付の写真は黄金崎の湯ヶ島層の露頭である、1988年(S63年)、県の天然記念物に指定された。画像

 現地の説明板には、この露頭は安山岩が熱水で変質した変朽安山岩 (プロピライト)とある。 湯ヶ島層群は 2500~1500万年前に、しかも遠く 1500kmも南の 伊豆・小笠原弧で噴火した海底火山の噴出物で構成され、主に輝石安山岩の溶岩や火砕岩等が深海底に堆積して出来たものである。 全層厚は 3500mにも達するという。 この深海に堆積した地塊はフィリピン海プレートに乗り徐々に北上、200~100万年前に 本州に衝突、やがて表層が褶曲して陸上に顔を出す、これが現在の伊豆半島の基盤である。

 その後の伊豆半島では今から15万年前までの間、活発な火山活動が続き 新しい火山が次々と誕生した。 それは半島中央部の天城山系の火山や伊豆スカイラインの山々、西伊豆の達磨山、棚場山、猫越岳等々である。 この様に 陸化後も長く続いた噴火活動によって、次々と新しい山地が形成されていった。 つまり基盤岩の上に新しい火山砕屑物が次々と堆積して出来上がったのが現在の伊豆半島の地形なのである。

 湯ヶ島層群の分布する伊豆半島には金鉱山が多い、土肥町から天城湯ヶ島町に掛けての土肥、清越、持越、湯ヶ島の4鉱山、 修善寺の大仁、太平の2鉱山、 河津地区の河津、縄地、奥山、大松の4鉱山等で現在は殆どが廃坑となっているが何れも金、銀を産出した鉱山である。 伊豆半島の金鉱脈の成因は、佐渡ヶ島とは異なり火山活動に起因し鉱床は熱水性鉱脈であり、鉱脈自体は 2500~1500万年前に出来たとされる湯ヶ島層群の安山岩やその砕屑岩に含まれている。 しかし、金鉱脈が形成されたのは100万年前、陸上での火山活動が活発化した更新世とされている。

 旧鉱山所有者、土肥マリン観光(株)の案内書によれば、土肥金山の歴史は古く 発見は室町時代に遡るという。 1577年 (天正5年)から本格的な採掘が始まり一時中断もあったが、約400年に亘って採鉱を続け、1965年 (S40年)に鉱量枯渇を理由に閉山した。 この間、推定では金40ton、銀400ton を産出している、これは佐渡の金山に次ぐ産出量である。 現在は旧坑道の一部を観光坑道として一般に公開している。 (参考:佐渡金山の推定産出量は400年間で金78tonである)

 西伊豆バイパスの高所から見る山々のパノラマは素晴らしい。 伊豆半島西部から中央部にかけてバイパスに沿って、一直線に並ぶ土肥、清越、持越、湯ヶ島の四つの金鉱山跡。 今は一鉱山を除き廃坑となってしまったが往時の金鉱山を偲び、山々の地形などを観察しながらのドライブもまた楽しい...。

参考書 : 
日本の地質4 「中部地方1」          共立出版(株)1993年版
伊豆・小笠原弧の衝突       藤岡・有馬・平田共著 (株)有燐堂

写  真 : 西伊豆海岸の黄金崎、湯ヶ島層群の露頭。後方は駿河湾。

 

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