♪ 国歌の誕生

 国歌としての「君が代」。 1880年(M13年)に作曲され既に130年近くを経た君が代だが、国歌として法制化されたのは最近の1999年 (H11年)である。 ...国歌なんて敗戦後ズーッと、一般の人は歌うコトも聴くことも無かった、みんな国技館の千秋楽の歌くらいにしか思っていなかった。 それが突然、上から? の命令で強制的に歌えの、否 歌わないのの騒ぎとなり最近、漸く地裁の判決も出た。

 内藤孝敏さんの著書 「三つの君が代」 に以下、①~③迄 それぞれの君が代の誕生経緯が書かれている。 要約すると、① 明治3年、薩摩藩の軍楽隊主導で作られたモノ、(作曲は英人フェントン)。 ② 明治13年(1880年)、日本海軍主導で作られた君が代、(作曲は宮内省雅楽人の林広守、和声編曲は独人エッケルト)。 ③ 明治15年、文部省音楽取調掛が作曲したモノの 3点である。 歌詞は3点とも現在と同じである。 そして この中で、長く歌い継がれてきて近年、法律で国歌として制定されたのが ②の「君が代」である。

 あまり知られていないが、この「君が代」 は百年前の1903年(M36年)、ドイツで行われた世界国歌コンクールで一等賞を受賞、当時のヨーロッパでも ”天上の音楽”として その演奏を称えられたと云う。 音楽専門家の内藤孝敏氏も 「君が代は日本音楽の ”言と音”をそのままにして、西洋音楽の ”和声”に合体させる事に成功した」 と述べ、和楽の伝統と洋楽の技法を統合した秀作と評している。

 この様に音楽的にはハイレベルの国歌 君が代には違いないが、いざ斉唱をとなれば、国民一人一人の胸には やはり敗戦に絡む夫々の思いも有ろう。 2004年、秋の園遊会で 都教育委員の米長氏は、天皇から直接に 「やはり、強制になると言う事で ないコトが望ましいですね」 と学校での強制指導による国歌斉唱を 嗜められる一幕もあった。 天皇自身の胸にも去来する過去の思いが有ったに違いない。 国歌制定時の官房長官も当時、斉唱の強制は考えていないと表明していた。...急ぐ必要は無い、国歌なんてモノは幾世代をも重ねて自然に定着していくものなのである。

 オーストラリアは独立後、国歌の制定に 70年間議論の末、1984年に最終的に国民投票で決めた。 ドイツは東西統一後、1922年のワイマール時代の国歌を ナチス時代での誤用を認めたうえで、歌詞の一部を削除し、1991年に正式に承認、採用することになった。中国は1978年に国歌を制定したが、作詞者の田漢氏が文化大革命で批判迫害受けて国歌斉唱は一時中断、1982年に復活した。 この様に強制的な国歌斉唱の裏には、夫々の国の事情や、時の政権の思惑等が絡んでいるもの...。画像

 国歌の歌われ方にも国によって大きな差がある。 例えば学校での国歌斉唱を行わない、或いは義務の無い国は、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ等の欧米先進国。 一方、入学・卒業式や特定の日に強制的に国歌を斉唱させている国は、中国、韓国などの第二次大戦後の新国家群。 日本が どのグループに属するかは 皆さんご存知の通り。 このことは恰も、自由な文化に育まれた個人主義の国と、全体主義色の濃厚な国との文化レベルの違いを示しているかの様でもある。

 国歌を音楽で分類した資料もある。 先ず ① 自国の伝統音楽で国歌を作曲している国は、日本、インド、イスラエルなど。 ② 歌詞がなく音楽だけの国は、スペイン、アラブ首長国連邦、アフガニスタンなど。 ③ 西洋音楽で国歌を作曲している国は、ヨーロッパの各国、カナダ、オーストラリアの他、近年ではインドネシア、韓国、メキシコなどがある。 この内、①と ②は世界では少数派であり、③はヨーロッパ諸国以外は第2次大戦後の新興国が多いのが特徴である。

 日本は古来より、隋唐を始め外来の文化を単に模倣するだけではなく咀嚼し、各分野で独自の日本文化を築き上げるべく長年 努力してきた。 所謂、「国風化運動」である。 これは和楽に於いても例外ではなかった。 奈良時代、日本は唐から雅楽を学んだが 音階では律と呂のうち、律の方を取入れて咀嚼し、独自の日本雅楽を創り上げた。 そして明治時代、千年を経た和楽の伝統が国歌 「君が代」の作曲に大きく貢献した次第である。

参考書 :
 
内藤孝敏  三つの君       中央公論社
国歌に関する関係資料   第145回国会審議議事録・文部省
  



 

 

 

 

 

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