武蔵野の台地

 関東平野の姿は第四紀 (260万年前) 以降、現在まで殆ど変わっていない。 平野有り、台地あり、丘陵ありの この平野は面積 17,000 km2 、1 都6 県を擁し 国土の5%を占める大きさである。 その関東平野の出来方は地学上は他の平野とは異なりプレート運動の結果生まれた異色の平野である。 即ち、本来は海中に在るべき前弧海盆が陸の上に出来てしまった結果 出来た平野なのである。 これにはフィリピン海プレートの付加体である房総半島、三浦半島が流れ出る土砂を堰き止める役割を果たしたコトもあるが、結果的に 陸上の海盆を埋めて広大な平野が出現した訳である。

 関東平野の中心部の茨城県の古河や埼玉県の行田、東京湾の北部では現在も地盤の沈降が続いている。 この現象は関東造盆地運動の結果と云われ、平野が出現したときから起きていて今後とも続く現象なのである。 この原因に就いてはは地下7000m 付近に沈み込みつつある巨大なフィリピン海プレートの影響と云うのが最近の考え方である。 フォッサマグナの中にある関東平野の地下は、現在分かっている範囲では 地下1000m までは第四紀(260万年前~ ) 以降に堆積した地層があり、その下 3000m までには 古第三紀末期の斬新世 (2300万年前以降に ) に堆積した地層があり、その下には中生代の硬い岩石が広がっていると考えられている。 日本列島の下に沈み込む厚さ 70 ㎞ とも 100 ㎞とも云われるプレートは更にその下を通過していると云うわけだ。

 関東平野の中には幾つかの台地が有る。 それらは武蔵野台地であり、大宮台地、下総台地、常磐台地、相模原台地、下末吉台地、... etc、である。 その中の一つ、東京の武蔵野台地は面積 700 km2 、北側は荒川に、南側は多摩川によって区切られ、東側は京浜東北線沿いの台地の末端で区切られている長方形の台地である。 ...この地は過去、地球の気象変動による海進と海退に見舞われ地面は水没したり乾燥化したり、或いは地盤そのものの隆起等の影響を受けてきた。 その結果、台地の地下には 30万年前の 「おしぬま海進」、12万年前の 「下末吉海進」、5千年前の 「縄文海進」 の記録が残されている。 ... 武蔵野台地は10万年前の海退の後に、関東山地から流れ出る多摩川の扇状地として出来た台地で、台地の骨格はこの時に形成されたものである。 後の5万年前以降は多摩川の流路が南へと移り、そこに現在の立川や調布の低い台地が形成された。 武蔵野台地の地層は表土の下に厚い関東ローム層が広がり、その下に河川が運んできた礫層があり、更に下には小礫や粘土が混じった砂層の硬い上総層群が広がる。 100万年前に深い海底で堆積して出来た上総層群は現在では東京や神奈川の基底を成す地層であるが、地下深くに伏在するので台地の中東部では中々見ることは出来ない。

 国土地理院の地図でJR中央線や青梅線に沿って武蔵野台地の各地の標高を見てみると、扇状地起点の東青梅駅では標高は190m、以下 羽村 130m、立川 85m、吉祥寺 55m、新宿 37m、四ツ谷 25m、台地下の東京駅は 3mと西から東へ進むにつれて台地は低くなっている、今度は南から北方面へと辿っていくと 小金井 64m、新座 37m、朝霞 7m と台地は北へと傾いていく。 依って武蔵野台地は立川面を除き台地全体が北東方向に傾斜しているコトが分かる。 これは東京湾を挟んで房総半島北部の台地が北西方向に向けて傾斜しているコトと対比出来よう。

 多摩川が南へ迂回した後の武蔵野台地上の各所では、伏流水による湧水を水源とする多数の小河川が流れる様になり 川は大地を削りながら流れ下った。 台地の西部では狭山丘陵周辺を起点とする不老川、黒目川などは北東方向に流れて新河岸川と合流、石神井川と共に荒川へと注ぎ、台地の東部を水源とする神田川、目黒川、立会川、谷田川等はそれぞれ東京湾へ、台地の南側を流れる残堀川、野川、丸子川、等々力渓谷を流れ下る矢沢川等は多摩川へと注いでいる。 台地を流れる小河川の特徴は何れも多くの支流を擁しているコト、また流れる水が途中で地下に浸透してしまい川の流量が減少する点である。 また、人が多く住むようになった江戸時代から現代に至るまで流路が人為的に改修されるコトが多かった点も忘れてはならない。 J R渋谷駅下を流れる渋谷川支流の河骨川 (代々木) は童謡 「春の小川」の舞台で全国的に知られるが、今では暗渠化されてしまい流れを見ることは出来ない。 これが都会を流れる川の運命でもある。

 武蔵野台地を流れる小河川は大地を削って幾つもの小台地を形成した。 特に台地東部では河川による台地の浸食が進んでいて谷と台地が入り組み多くの舌状台地が出来ている。 淀橋台(渋谷・新宿区)、荏原台(大田区)、本郷台(文京区)、赤羽台、成増台、豊島台、目黒台、田園調布台、久が原台など、何れも小河川に浸食されて出来た舌状の台地である。 これも東京に坂が多い理由の一つである。 現在は台地にも低地にも傾斜地にも町が広がり川は暗渠化されていて台地の原型には気付き難い。 例えば谷底に在る渋谷駅前の標高は15m、対する道玄坂上や反対側の宮益坂上の標高は43m、自動車のない時代には坂の下に荷車の後押しをする 「たちんぼう」 達が大勢屯していて小遣い稼ぎをしていたと云う。 そんな 渋谷の台地は淀橋台、12万年前の下末吉海進時に形成された河岸段丘の残骸ではあるが、今ではそんな面影は既に無い。

 参考 :
山崎晴雄・久保順子  日本列島百万年史    講談社
角田晴美     武蔵野台地の河川と水環境  駒沢地理NO.51 / 2015年
 

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