モンゴル 栄光の日々

 大相撲を支えるモンゴル出身の力士は現在 20人余。 その彼らを生んだモンゴルとは どの様な国なのか?... この国の正式名は 「モンゴル国 」、モンゴルとは民族名で、過去に使われた蒙古と云う言葉は漢民族から見た蔑称なので現在は使われていない。 ...モンゴルの国土は広く 157万 km2 (日本の約 4倍)、人口は320万人、 宗教は主にチベット仏教、政治体制は共和制、産業は鉱業、牧畜業、軽工業etc...。 近年の経済成長率は年 6.5%で、地理的には周囲をロシアと中国に囲まれた内陸国、ユーラシア大陸の中央部に展開する高原の国である。 国民性は一般には負けず嫌いとされるが、先般の東北震災の際には国民からの義援金が1億円も集まったと云うから、むしろ思いやりの有る国だと思う。 そんなモンゴル国ではあるが、過去には日本と3度 戦争をしている。 最初は1274年の文永・弘安の役であり、2度目は1939年 (S13年) のノモンハン事件、3度目は第二次大戦末期の 1945年8月10日、終戦の日の5日前に旧ソ連と共に日本に対して宣戦布告をしている。 以下モンゴルの歴史と日本との関わりを振り返ってみよう。

 最初のモンゴル国は13~14世紀に掛けて中央アジアのモンゴル高原に興った帝国である。 それまで遊牧民が互いに争いを繰り返していた中央アジアで 13世紀初頭、モンゴル族のテムジンはこれらの諸部族を統一して新しい行政・軍事制度の下、1206年にモンゴル国を建国、自らをジンギス・ハン (ハン ⇒ 王 ) と名乗った。 以後、周辺の中国北部、西夏、金などの諸国を制圧、更にウイグル人・オングト人・ナイマン人・ケレイト人の四つの王国を併合 (何れもキリスト教のトルコ系民族) してこれらの国が持つ先端文明と人材を取得した。 その後も国家の拡大に伴い契丹人・女真人・シリア人・西夏のタングート人の諸国にも帰順を促し、傘下の朝貢国を緩やかな連合国家形態下に置き治世を行った。 ジンギス・ハン以後、 4代目のモンケ・ハン (1259年没) の時代まででモンゴルの領土拡張の時代は終わるが、最終的にモンゴルの領土はユーラシア大陸のうち、西ヨーロッパとインドを除いたほぼ全ての部分であった。

 1260年、フビライが第5代のハン (⇒ 王) に就くと、1261年には国名を 「元」 に改め 首都を大都 (北京)に移した。 マルコポーロが活躍したのもこの時代である。 5代目の王のフビライの仕事は今度は陸路ではなく 「海の路」を拓くコトにあった。 その為には、先ず隋の時代に造られた北京~杭州を繋ぐ大運河の整備であり、南宋の征伐 であり、東シナ海、南シナ海への進出であった。 造船所は泉州と朝鮮半島の高麗に置きここで兵船を建造させた。 1279年に南宋が降伏すると、東南アジアのタイ・ビルマ・スマトラ・ジャワ等の諸国は自ら朝貢国となってモンゴルの交易ネットに組み入れられた。 だた大越国のベトナムは元と3回、海陸で戦い連勝したものの、事後の交易を見越して結局は朝貢国となった。

 日本は1266年以降、元から 8回 も朝貢を促す使者を迎えているが、1275年の7回目の使節は鎌倉入り口の龍ノ口で使節 5名を斬首、8回目の使者は博多に上陸後に使節全員を斬首、元への朝貢を拒否した。 1281年、2回目の敵襲、弘安の役では軍船 4400艘で襲撃されたが応戦の結果、地の利も有ってか敵船は総退却した。 捕虜2万人余の内、モンゴル兵、漢人の兵、高麗人の兵は全員斬首し、親交国だった南宋人は助命した。 モンゴル王のフビライは1294年に死去、以後敵襲は途絶えたものの、迎え撃った側の北条幕府も後の戦後処理に伴う財政難を克服できず間もなく倒壊して終わった。 結局この国は、元への朝貢を拒み続けて武力攻撃は駆逐したものの、モンゴルの支配下に入らなかったコトで交易による利益や西域文明の導入などの恩恵には浴せず、大陸に明の時代が来るまでの間、ジーット東海の辺地で一人孤立する他なかった。

 1294年6代目のテルム・ハンが王位に就くが1305年以降一族内の内紛で国が分裂、1368年に新しく興った明の朱元璋に追われて北京からモンゴル高原へと敗走、13世紀に世界を制覇したモンゴル帝国は僅か 100年で衰退して滅亡した。 モンゴル高原は1634年以降清朝の支配下に入るが、1922年にソビエト社会主義共和国が誕生すると続いて1924年にはモンゴル人民共和国が誕生、世界で2番目の社会主義国家になった。 ...1924年(S13年) には国境線を巡るトラブルで満州国の関東軍とモンゴル人民軍が衝突、そこにソ連赤軍が介入してきてノモンハン事件が起きた、結果は日本の関東軍が1師団相当の兵を失い大敗して終わる。 続いて3回目は、日本の敗戦まじかの1945年8月10日にモンゴル人民共和国は日本に対して宣戦布告、僅か5日でモンゴルは戦勝国となる、その結果日本の降伏後に日本兵の捕虜 12000人が強制労働に従事させられている。 ... その後、1972年に日本とは国交回復、1989年のソ連崩壊後はモンゴル国内で民主化が始まり、1992年に社会主義を放棄して、同年2月に国名を現在のモンゴル国に改めた。

 参考書 :
祝田秀全  東大のディープな世界史  (株)KADOKAA

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