AI から AGIへ

 A I ( Artificial Intelligence ⇒ 人工知能 )と云う言葉が使われ始めたのは 20世紀の後半。 あれから半世紀、昨今は A I が人の仕事を奪うのではと囃され、世上では具体的に何と何の職業が無くなると予想する人もいる。 だが、その A I も現在に至る迄には幾つかの段階を経てきた。 先ず最初に話題になったのは、迷路ゲームやパズルを解く A I だったが、これらの技術は時が経つにつれて A I とは呼ばれなくなり色あせて忘れ去られてしまった。 当時の A I の迷路ゲームなど 複雑な迷路を解く単一細胞の 「粘菌」、種で云えば粘菌の中のモジホコリが描き出す解答と同程度のものでしかなかった。 ... 後で聞いた話では当時のコンピュータによる迷路ゲームのプログラムは、粘菌が細胞の中で最短経路を見つけ出した経緯を後から数式に置き換えて作成したと云われている。 初期の A I も生物の持つ優れた能力を真似することで成り立っていた訳だ。

 20世紀の末にA I ブームが再来する。 この時現れたのが囲碁将棋のプログラムやロボットの掃除機、検索エンジン、OCR 等だった。 当時のA I のプログラムは人間の残した過去の知識やデータをインプットしたもので個人や企業にも広く普及した。 だが、これらは業務の効率化や円滑化を目指したもので所詮は用途に応じて特化されたA I でしかなかった。 ... そして21世紀に入ると今度は今までの特化されたA I に対して、より幅広い範囲のニーズに応えられる A I 、即ち汎用性を備えたA I が求められる様になってくる。 よく引用される様に当初のA I の囲碁や将棋は、過去にプロ棋士たちが戦った棋譜やデータをプログラムに読み込ませて強くしたA I ソフトだったが、最近ではA I に囲碁や将棋の定石やルールを覚えさせてプログラム同士で対戦をさせて強いソフトを作成する様になった。 2016年にA I の「アルファ碁」が登場し、翌2017年に新しい 「アルファ碁ゼロ」が登場した訳だが、ソフトとしての両者はそれぞれに制作思想が異なっている。 二人で対局する囲碁・将棋は分るが四人で対局する麻雀はどうなんだろう。

 さて、限られた盤面とルールで制約された囲碁・将棋の勝負などは A I にとっては単純なもの、それに比べて現実の人間世界での A I の応用は限りなく広く奥深く、21世紀に入るや A I の対象は人間活動のあらゆる分野に広がり始めている。 企業も単なるモノ作りだけではなく最近では、経営活動のあらゆる面での A I 活用に目を向け始めた。 人を扱う人事管理に於いても人的資源管理 ( Human Resources ⇒ HR )の観点から新しい分野を切り開きつつある。 家庭内では生活支援ロボットが、外に出れば自動運転車やドローン、無駄のないタクシーの配車、他にも医療、法律、教育等の各分野で応用が広がり、最近では井戸端会議にも参加できるようなA I も話題に上がった。 ... 現在では今までの特化型の A I の他に、推論能力を持ちどんな分野のコトも自主的に学習能力を付けた人工知能 ( A G I ⇒ Artificial General Intelligence )が 強く求められている。 これに呼応するかの様に人工知能プログラムの作成手法も、今までの機械的学習の枠を超えてディープラーニング手法 (深層学習)へと進化しつつある。 この新しい手法は人間の「脳」の仕組み、脳の神経細胞 (ニューロン)の機能的な 仕組みをモデルに作られたものと云う。

 今や世界の先進国は何処も AI時代。 だがその先行きには不安と希望が渦巻く。 思えば過去にも、フォードの大量生産方式を導入した時期、数値管理に大型コンピュータを導入した時にも同じように人間の仕事が機会に奪われて無くなるのではと騒がれたコトがあった。だが、トータルでは生産性が向上して社会にとり悪くはなかったはず。 現在、AI の先行きに不安を抱いているのは、もしもAI(人工知能)が人間を超えて「人工意識」を持ってしまったら、彼等は何を始めるのか? その為にはAI に「倫理」思想を持たせられるのか等々...、悲観的な議論も為されている。だが、一方では将来 AI が人間を仕事から解放してくれるのではと、嬉しい意見もある。 何れにしても専門家の間では、これらの問題は 2050年以降の問題と囁かれてはいる...。 これらは我々にとっても長生きをすれば、見ることが出来る世界なのかも知れない。

 参考書 :
人工知能   Newton別冊  (株)ニュートンプレス

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