二月は逃げ月?

 今年は閏年、暖冬だ やれ寒波襲来だと繰り返している内に あっと云う間に2月も半ばを過ぎた。 予報ではこの17日は西日本には大雪警報がでていて、実際に西では大雪が降ったが、関東平野にはまだ本格的な降雪はない。 旧暦の江戸時代には「二月は逃げ月」と云ったが、これは 2月が他の月に比べて日数が 2~3日 短いからと云う意味ではない。 「一月いぬる、二月逃げる、三月去る....」と云うのは、「光陰矢の如し・歳月人を待たず」と云う様に、つい先ごろ正月を祝ったばかりなのに今日はもう二月の半ば、月日の経つのは早いものと、当時の人も感じていた。これはその心を詠んだ諺? と云う訳。...現代に於いても この思いに変わる所はない。

 日本では、2月から3月初めに掛けて吹く風は特に強い。 必然、この時期に吹く強風についての 「諺」も多い。 海の荒れる2月には「二八月には可愛い子を船に乗せるな」なんて諺は全国にある。この諺の二八月の海とは、2月の温帯性低気圧と8月に来る大型台風を警戒して云ったもの。 日本列島周辺の春先には、温帯性低気圧の東進と寒冷前線の南下が交代に来る。しかも足早に短い周期でやって来ては暴れて早々に立ち去る。 こんな有様だから江戸時代には「二月より三月寒しまたも雪」 なんて云う句が生まれたわけ。 気象専門家の倉島厚さんは、この句は早春の日本の気象的特徴をずばり言い当てていると評している。 俳人一茶も 「三日月は そるぞ寒さは冴えかえる」 と信州の寒夜を詠んでいる、これは詠むだけで背筋が寒くなる二月の句である。

 2月頃のこの時期、内陸の関東平野には「空っ風」と云う名の寒風が夜昼を通じて吹きまくる。 学期試験も終り久しぶりに家に帰ると決まって待っていたかの様に「麦踏み」と云う野良仕事が待っていた。 北西方向から吹く風は強いが、雪の降らない関東平野では秋に蒔いた麦の芽が伸びてくるころ、苗の腰が強くなるようにと地下足袋で一歩一歩 ギューッ ギューッと踏みしめて若い芽を圧し潰して行くのである 。 この作業、五畝?も踏めば強風下でも汗をかく、昨今は代わりに石のローラーででも曳いているのだろうか。 或いはもう こんな水田の裏作など止めてしまっているのかも知れない。

 何日か前、政治学者の原武史さんが寄稿した歴史ダイヤグラム (朝日新聞)に、埼玉県の農家の立地する典型的なスタイルについて、.... (関東平野の)民家は 決まった様に雑木林や樫の木の垣根を背負って建ち北西からの強風を防いでいると書いていた。 実はこの姿こそが戦火が終え安定してきた江戸時代以降、関東平野のほぼ全域で見られる様になった田舎の風景なのである。 ... 12年も前の話であるが丁度 2月の中旬に、ローマの北 180 ㎞ にあるアッシジの丘に旅行したコトが有った。 当地は世界遺産のサン・フランテェスコ大聖堂の建つ有名な観光地である。 高い丘の上から眺める周囲の田園にはオリーブ畑が広がり、其処ここに ミモザの花やアーモンドの花に囲まれた家が建つ風景があった。 辺りには明るい日差しが降り注ぎ、柔らかな光が空を覆っていた。 そこには 土煙の舞う2月の関東平野の景色とは異なる別の地中海性の風景があった。

 「春はあけぼの... 」に始まる11世紀初め頃の京の季節は、今の暦で云えば 2月末から3月初め頃の季節と思う。 ...とすれば、今の 暦の 2月は、枕草子に載る 「冬はつとめて... 」の季節に当たる。 ... 雪の降りたるはいふべきにもあらず。 霜のいと白きもまた...⇒ 雪で有れば勿論、雪が降っていても、そうでなくても張りつめた様な寒い朝は、急いで火を起こして炭火を部屋から部屋へと運んでまわる、この動きが如何にも冬の朝らしいと。 ... 古気象学では 7~10世紀の頃の日本列島の気候は一部で旱魃などもあったが全般に温暖で、その後次第に寒冷化に向かったとされている。... が、何れにしてもこの時期 冬の京の朝は冷え込んだのであろう。

 参考書  :
倉島厚  人生気象学  東京堂出版

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