中央構造線あれこれ

 中央構造線の命名者は E. ナウマン、明治時代の後半には構造線は日本を縦断する大断層として既に認知されていた。 現在、地震調査研究推進本部ではこの断層を 「中央構造線断層帯」としているが、昔は中央裂線とか中央変位線などと表示する人もいた。 英文では MTL (Median Tectonic Line )と表示する。中央構造線とは西南日本(九州~関東)に伏在する地質が大きく異なる大規模な断層線のコト。... 断層とは地下深くにまで達する面であり、その面が地上に現れたものを断層線という。構造線断層の面の深さは分からないが、例えば、本州中央を南北に切るフォッサマグナ(糸魚川・静岡構造線)の場合、某地点で断層面を 6000mの深さまでボーリングしたが基盤岩にまで届かなかったという記事がある。従って、断層の深さと どの地点で地震が起きたかは別の問題である。... さて、この中央構造線の断層帯は、南から*九州ー四国―本州の紀伊半島、中部、関東へと続くが、諏訪湖付近から下仁田迄の間は所在不明となる。群馬県の下仁田の先では埼玉県の岩槻の地下3500m 地点で中央構造線の断層線がほぼ確認されたとあるものの、その先の成田、或いは筑波等では領家帯の存在は確認されてはいるが断層線自体は未だ確認されてない、その先、狭義の断層線は趨勢としては銚子方面へ延びているとされるが未確認である。( *九州には、中央構造線は連続していないとする説もある )

 中央構造線が形成されたのは凡そ 1億5千万年前、まだ日本列島の本体がユーラシア大陸の縁辺部 即ち東北部に在った頃である。現在でもロシア東北部~中国の中央部に掛けては タンルー断層などの長大な大型断層が何本も伏在している。 1976 年に発生した中国東部の唐山地震(25万人が罹災した)時には右横ずれ断層が地表に現れたとあり、原因はタンルー断層系が動いたのではと云われている。 ,,, さて、2000~1500万年前の頃に ロシアの大陸縁辺部に沿って大規模の地殻変動があり、地殻の一部分が分裂して東へと移動し始め、日本海を形成しながら東へと進み現在の地に島弧を形成した。 これが現在の日本列島である。 ...とすれば島弧は大陸の縁辺部から大断層を抱えたまま現在地に移動して来たものと考えられる。 言うなれば、付随して来たこの断層こそが現在の中央構造線なのである。 当地に移動してきて定着したかに見えた構造線であったが、300万年前に北上してきたフィリピン海プレートが大型の太平洋プレートに行く手を遮られて北西方向へと沈み込み先をを変えた。この為に中央構造線の外帯側(三波川帯)は西方へと引っ張られることになり断層活動はより活発化するコトになる。 その結果、中央構造線断層帯の右横ずれ現象は、この時から始まるコトに...。

 中央構造線の原型は、ユーラシア大陸の東北部にジュラ紀末の1億5千年前頃に堆積した地層帯(現在の領家帯)で、断層を挟んで白亜紀に付加してきたのが三波川帯、次に付加してきたのは秩父帯だった。 今でもロシアのアムール河畔には日本のと同じジュラ紀のチャート(領家帯)が露出していると云う。... 何年か前の初夏、長野県大鹿村の中央構造線博物館の館長さんの案内で当地の北川露頭(長野県の天然記念物)を観察したコトがある、太古にロシアの地で堆積した領家変成岩と三波川変成岩の層が僅かな破砕帯を挟んで そこに対峙する様は圧巻だった。 また或る時は機上から四国の瀬戸内海沿いに真っ直ぐに走る断層線の姿に目を見張るコトもあった。九州では中央構造線は別府付近から阿蘇を経て熊本、宇土の先で東シナ海へと沈み込んで行くが、数年前に発生した熊本地震地域を除き九州の地で断層地形を探すことは難しい。 特に九州北部は九重火山や阿蘇山の火山噴出物、或いは姶良カルデラ噴火によりどこまでも続くシラス台地に覆われていて素人目には断層地形は判然としない。 逆に紀伊半島では、紀ノ川沿いに走る構造線は地図上では分かり易いが、現地を観察した人によると断層帯がナップ構造になっているとのコト、だが真偽のほどは分からない。熊野まで来れば 二見ヶ浦の大岩は三波川変成岩、断層帯はもう少し北の方になる。


 豊川市北方から大きく向きを変えて長野県の茅野に至る中央構造線は、断層地形を維持しながら大鹿村、分杭峠を通過して国道152号線沿いに北上、諏訪湖付近で糸静構造線と交差するが、その先は八ヶ岳や浅間山からの火山堆積物に覆われて見えなくなる。 中央構造線が次に顔を出すのは群馬県の下仁田町駅付近の河川敷周辺である。 然るに、フォッサマグナ内に位置する関東地域は、過去に海に沈んだ時代有り、関東山地の急激な隆起あり、関東平野中心部の沈降あり等と以外に複雑な顔を持っている。 この原因はプレートの沈み込みにある、また地層は本来は第四紀層の下に古第三紀層が有り、...ジュラ紀の地層ありと累重している筈なのに現実にはフォッサマグナの下部は複雑で地殻の変形も指摘されている。 結果、地表付近では断層の破砕帯のみが目立ち、本来重要であるべき大断層の正確な位置の特定を困難にしている。 構造線由来の断層地震の発生間隔は比較的長い様であるが、一旦動けば熊本地震の様に被災規模は大きいと云われる。 その為にも、先ずは断層線の正確な位置調査が望まれる。


 関東から静岡・愛知に掛けての海岸線は本来であれば一直線の筈、だが現実には伊豆半島が横たわっていて先は見えない。これはフィリピン海プレートが大陸側のプレートの下に潜り込んでいる為で、プレートが伊豆半島の様な地塊を次々と運んで来ては日本列島の本州側に押し付けていくからに他ならない。 現に 伊豆半島は 100万年前に本州に衝突して来たが、その前には丹沢山地が、また三坂山地が、もっと前には山梨の櫛形山などが次々と本州に衝突して来たわけで、これと同時にその周辺の南アルプスや関東山地までも大きく盛り上げてしまった。 更に、中央構造線が本州中央部から北北西へと向きを変えて長野・群馬・埼玉にまで大きく押し出しているのもこの為である。また、沈降を続ける関東平野の下部に中央構造線の断層帯をなかなか見つけるコトが出来ないのも基盤岩の古第三紀層の上に 3000mもの土砂が堆積してしまっている為で 、関東平野の造盆地運動にもプレートの動向が大きく関わっていることは否めない。


 参考書 :

大塚 勉 東アジアの白亜紀変動と中央構造線の始まり 大鹿村中央構造線博物館