死生観にみる

 「死生観」とは最近よく聞く言葉である。 もちろん昔からあった言葉であるが実は 1945年の敗戦を境にあまり使われなくなっていたとある。 調べたところ、やはり敗戦後10年を経た 1955年(S30年)に刊行された広辞苑の第二版には「死生観」と云う単語は載っていなかった。 それなのに今回のコロナ禍を機にまた復活してきたと云う訳だ。....国内で 2020年の初め頃から流行し始めた新型のコロナウイルスは、特に死亡率が高いとされる高齢者にとって死への不安は強い。 若し運が悪ければ老人ならずとも或る日突然に死と向き合う羽目に陥らないとも限らない病だからである。 戦後70年余、ドップリと物質文明の温湯に浸かってきた現代人だが、 これを機にまたそろそろ死生観に思いを致すコトになればと願う次第である。


 1930年代から敗戦に至る約 15年間(1930~1945年)の軍国日本人は、例えば埼玉県桶川市の飛行学校祈念館に残る戦時中の少年兵たちが書いた(特攻)出撃前の遺書に見る様に、死に対しては畏敬の念こそあれ悔いなど微塵もなかった。 臣民と呼ばれていたこの時代の国民に死に疑念を持つことなど許されなかったのである。 しかし1945年、無条件降伏の後は、国体は変わり御国の為に死ぬなど実行する人は居なくなり、国家は経済第一、個人は生活の向上を目指して歩むことに...。 以後、新時代の国民に個人が国家に死をもって報いる危険は無くなった。 この結果、人心は安定して男女の寿命は伸び、国家に依拠した年金制度の下、国民の老後の生活は安定して長寿を謳歌してきた。 そこに突然現れたのが新型のコロナウイルス、人類にとり初めてのウイルス種なので治療薬もワクチンもない。 まさに未知との遭遇だった。


 私の住んでいる市の統計によれば新型コロナの感染者数に対する死亡者の割合は2020年の8月14日時点で0.39%、国の 0.2%台に比べれば如何にも多すぎるが、65歳以上が多数を占める点では大きな差はない。 他の病での死者数との比較では新型コロナウイルスに感染して死亡した人の数は、熱中症や一般のインフルエンザで死亡した人の数よりは少ない、尤もこれは統計上の数値の比較にしか過ぎないが。 ...それなのに特に老人が新型コロナによる感染を恐れるのは、この病には何時どこで罹るのか、また感染した場合 容態が急変して死に至ったり、過剰免疫によって全身の臓器に異常が現れて人によっては後遺症が残る。更に罹災して運が悪ければ苦しんだ挙句に死に至る病であるコト、そこで死亡すれば危険物のように扱われて孤独に密葬されて一生を終わると云う極めて不気味な病である点であろう。


 地球45億年の歴史のうちウイルスが誕生したのは草創期の 38億年前、多様の生物が繁栄し始めたのが5億年前のカンブリア紀、人類の直接の先祖の誕生が20万年前だったコトに比べればウイルスは大先輩にあたる。 しかも過去の地球には5億年前以降も 数度の生物大絶滅の時期があった、ウイルスがこの危機をすべて乗り越えて今に在るとすればこれは相当に強固な生き物(半生物とも云う)と云えよう。 ...12万年前頃より地球上の各地へと散っていった人類は行く先々でウイルスや各種の菌類に遭遇して病に脅かされながらも少しずつ生活圏を築いていった。 今までに遭遇した病は、天然痘、ペスト、コレラ、マラリア、インフルエンザ、等々...、病に悩まされながらも人口は着実に増えて今では世界人口は 70億人余を数えるまでになった。...その間、多くの人が感染病に罹り理不尽ながらも死に至った人は多かった。 だが死に直面したとき、人は現実にはそれを受け入れざるを得ない。だが出来得ることであれば、死に至る前に自らが生と死に向き合い己の行きし方に向き合い思索する、死生観とはその様なものと思う。


 古来より哲学や宗教にも死生観はあった。 だが特に古典哲学では死生観は宗教上の立場と同じで見るべきものは少ないとされている。 これに対して宗教、特に厳格な教義を持つキリスト教、ユダヤ教では死生観は明白で、死者は墓に眠るのではなく、呼び出されて審判を受けて天国へ行くのか地獄へ行くのか分けられている。 死は即復活の思想であった。対して輪廻転生という考え方もあった。 輪廻とは死者は後に生まれ変わるという思想。 この考え方は西アジアの農耕地帯で生まれたもので、起源は古代のドラヴィダ人。この教えはバラモン教に引き継がれて、後にヒンズー教や仏教に影響を与えた。 また、古代のピラミットや始皇帝陵、日本の古墳で見られる多くの副葬品は何れもあの世でも不自由なく無事に暮らせます様にと云う意味もあると云う。被葬者は死を前にした時 何を思索していたのだろう。





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