温暖化に三夕(さんせき)

 9月も半ば 連日の猛暑にもようやく陰りが見え始めた。 ならば秋はもう直ぐかと云われてもそうはいかない。 この10年ほどは日本では夏が長すぎるためか秋は短くなり風情を楽しむ暇もなく、あっという間に季節は冬へと移ってしまう。 やはりこれも温暖化が原因なのだろうか? ... 欧州の先進国で気温を計り始めたのは 1850年代、日本ではペリーが浦和に来た頃(1853年)のコトである。 日本では天気予報が発表される様になったのは1884年(M17 年)だから気温の測定を始めたのもこの頃だろう。 もっと前の温度計など無かった時代の気象の記録は一般には木の年輪や寒冷地の氷床コア、或いはサンゴの成長線などから古代の寒暖の推移を想定していた。 我々の身近にも例えば2万年前の海水準の低下時の証拠や縄文の海進に伴う遺跡群の位置関係等から大雑把ではあるが当時の気候の変化を推測することができる。近くは宮中で行われた(奈良や京都)貴族の花見の時間帯の記録から時代ごとの寒暖の上下動を推定していた例もある。


 歴史時代に入り文字や絵で書かれた 記録が残される様になると各時代ごとの気候状況はかなり細かく把握できる様になる。 結果、日本の中央部では縄文の末から弥生時代にかけては寒冷期で、卑弥呼のいた古墳時代から大和朝廷のAD500年位までは温暖期、次の奈良時代からAD700年頃までは寒冷期で清少納言も枕草子でこの頃の寒さを繰り返し強調している。 次の平安~鎌倉時代に掛けては温暖期で室町時代の1400年頃から地球は小氷河期入りして寒冷期に向かう。 寒い時代は江戸時代を通り越して1900年代の初めの昭和の初期まで続いた。 その後はまた温暖化に転じて 21世紀の現在をも含めてあと何百年かは現在のような暖かな時代が続きそうである。 ...所が、もっと大きな見地からは現在、地球を含む太陽系全体が大宇宙の中の温度の高いエリアを通過しつつあると云う意見もあれば、地球はこれから間もなく小氷河期入りすると公言している人もいる。... 結局は我々人間自身、今なお地球の現在の立ち位置すら解明できずにいると云う訳だ。


 ではこの辺で温暖期だった平安~鎌倉時代の頃の秋の気候を窺って見よう。 直観だが、この時代には何となく秋を詠んだ歌が多い気がする...。 もしも当時の秋の夕暮れを詠んだ歌が、昼間の猛暑の時間が終わり夕方になって漸く安寧の時を得て暮れ行く秋の空を眺めながら創られた歌だとすれば、当然ながら歌の解釈も従来のものとは微妙に異なって来るのではなかろうか。... 1205年頃に成立した新古今和歌集の巻の4:秋上(361番目)には秋の夕暮れに纏わる歌が三首並べて載っている。 即ち、昔からよく知られ研究され尽くされてきた和歌、三夕(さんせき)の歌である。 いずれも名歌ぞろいであるが記載されている順は、寂蓮、西行、定家となっている、これは所収した各家集からの年代順なのか、単なる年齢順なのか?、...まあどうでも良いコトだが。

 まずは寂蓮法師の歌から鑑賞してみよう。
   寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ   寂蓮

 続いては西行法師の歌
   心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ   西行

 三番目は藤原定家の歌
   見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ    定家

 三夕の歌に共通するのは、五七五の後の助動詞の「けり」であり、最後の名刺部分の「秋の夕暮れ」である。
三夕の名句たる所以は、この二点が共通していて最後に秋の夕暮れで締めくくられている点である。

 夏草のかりそめにとて来しかども難波の浦に秋ぞ暮れける   能印法師
 新古今集に収録されている能印法師の歌であるが、季節は秋なのに野にはまだ夏草が蓋い茂っている
様を詠んでいる。やはり平安時代は暑い夏が長かったのだろう。