テーマ:神奈川

「異国船打ち払い令」

 京浜急行線の浦賀駅で下車、海沿いに 30分程歩くと右側奥の小高い場所に江戸時代の浦賀奉行所跡がある。 1720年 (享保 5年) に置かれた浦賀奉行所は総勢 250 名、職務は江戸湾に入る船舶の監視、積み荷の検査、海難救助、三浦半島内の民政、...等であるが、中でも江戸湾の防衛は地政学上 最重要の仕事であった。 浦賀奉行所が廃止になる…
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王禅寺かいわい

 川崎市の北西部、麻生区の丘陵上に名刹、王禅寺がある (明治以前は武蔵国都築郡に属していた)。 この寺の寺号は星宿山王禅寺だが、最初は星降山...、だった。 星降るとは流れ星のコト、願いを叶えるには「星降る...」 の方が勝る。 寺の創建は諸説あるが、現在では917年 (延喜17年) の創建説が有力である。 「名刹王禅寺」 を著した…
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相模湾と相模灘

相模湾は神奈川県の三浦半島先端の城ケ島と真鶴半島の先端を結ぶ湾状の海域である。 相模湾の外側には一般にはあまり馴染みのない相模灘という海域がある。 範囲は、房総半島の先端から大島を経て伊豆半島の先端に至る海域の北側で、この線を境に太平洋と区分されている。 ... 灘とは、海流・潮流の流れが速く航海が困難な海域を指す。 他にも玄…
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頼朝の流人生活

 頼朝の後半生から最期に就いては平成 8年の 7月に このブログ上で記述した。 だが、彼の前半性についてはハッキリしない部分が多く事実関係も良く掴めないままでいた。 ところが最近、歴史関係誌の 「本郷」 で、”流人源頼朝が歩いた道” という記事を見つけたので、早速 元本の末尾掲載の著書を求めて頼朝の前半生について纏めてみた...。 但…
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見えてきた古代日本

 日本の古代史を東アジアとの視点から見てみようと 2015年 「 発見・検証・日本の古代 」 のシンポジウムが福岡、大阪、東京で催され、第一線の研究者による講演と討論があった (角川文化振興財団・朝日新聞社共催)。 神奈川県でも川崎市の市民ミュージアムが 2012年に前方後円墳と確認された蟹ヶ谷古墳を地元の専修大学・日本大学と提携して …
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箱根火山はどう動く

 箱根山を地図で探してもそんな名前の山はない。 阿蘇に行っても阿蘇山と云う名の山が無いのと同じだ。 ...箱根山とは箱根町の山間部の山々の総称で、範囲は金時山・明神ヶ岳・白銀山などの外輪山と 神山・駒ヶ岳・二子山などの中央火口丘、それに芦ノ湖などで、近隣の火山の幕山や真鶴岬付近まで含めても地図上では 15km 四方に収まる規模だ。 ..…
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丹沢の水 峠道の盛衰ⅵ

 旧ヤビツ峠 (800m) は戦国時代に相模の北条氏と甲斐の武田氏が戦った戦跡である。 後年、当地で弓矢を入れる矢櫃 (やびつ) が発見されたのが 「矢櫃峠 =ヤビツ峠」 の名前の由来と聞く。 現地は神奈川県 秦野市北方の山岳地帯にあり、丹沢山 登山口の 現ヤビツ峠 (761m) から岳の台へ向かう鞍部にある。 ...往時は旅人や山仕事…
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城と古地形

 中世の城、河村城は相模、駿河、甲斐 (神奈川、静岡、山梨) の三国の国境沿いにある山城である。 ...JR 御殿場線の山北駅の南方、弥生時代に富士山の山腹崩壊で発生した御殿場泥流が堆積する 5m高の崖の間を抜けて急坂を登り抜けると 30分で河村城址 (公園) のある城山頂上に着く。 城山の標高は 225m だが実際に歩いて登る高度は …
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川崎市の前方後円墳

  2012年 (H24年)、川崎市の高津区蟹ヶ谷地区で小規模だが前方後円墳が一基 発見された。 実は、これが現在市内に実在する未調査で唯一の前方後円墳である。 過去には、川崎市内にも 4~6世紀に掛けて造られた大型の前方後円墳が複数あった。 記録に依れば 前方後円墳は、① 加瀬白山古墳、② 高津区の二子地区で二子塚と呼ばれていた古墳、…
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多摩丘陵を往く

 以前 川崎市の多摩丘陵に沿って流れる多摩川への海進に付いて書いたが、今回はそれを確認する意味で多摩丘陵を歩いてみた。 ...小田急電鉄線の南面に広がる多摩丘陵のⅡ面を、それも多摩丘陵のⅠ面との境界線に近い向ヶ丘遊園周辺の丘陵地を巡検するコトで、多摩丘陵Ⅱ面の生成に係った大型海進の痕跡や各時代に堆積した複数のローム層を観察できた。 ..…
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古代の多摩川下流域

 「多摩川に曝す手作さらさらに何そこの児のここだ愛しき」  万葉集 14-3373  奈良時代、武蔵国を流れる多摩川の風物に親しみ詠んだ歌で、同じ川沿いの狛江、調布、府中の三つの市に計 4基の歌碑が建つ。 この時代、川の流れに曝した麻布を税として朝廷に納めていた、付近には今も調布、砧、布田など租庸調の 「調」に関連する地名が残る。…
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鎌倉の峠道

 鎌倉 朝比奈の切通しは、鎌倉市十二所~横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ峠道であり、鎌倉に10ヵ所ある切通しの中の一つである。 開通後 800年を経た峠道は現在、国の史跡と歴史的風土特別保存地区に指定されている。 全般に荒削りの切通しだが、並行して走る県道 204号線に比べれば今なお静かな峠道である。  朝比奈切通しの標高は 100m、…
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大山に登る

 神奈川県西部 (伊勢原市)で ひと際目立つ大山 (おおやま)は丹沢山系東端にそびえる独峰である。 標高は1252m、相模湾から見る晴れた朝の大山は 四季を通じて まるで浮世絵のよう...。 そう、大山の山容は海側から眺めるのが最もよい。  2011年6月の大山行きは梅雨の晴れ間の暑い日だった。 総勢12名はケーブルを利用する組と…
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神奈川の地震と噴火被害

 災害とは 「異常な自然現象」や 「人為的原因 によって社会生活や人命が蒙る被害」 のコト、前者は天災、後者は人災である。 ... 天災とは火山の大噴火、大津波、地震等による家屋倒壊・火災であり、住民の生活手段とインフラの一切を破壊する災害を云う。 ...一方 災害による都市機能の喪失、細菌や放射能、戦争による被害や混乱は...これは人…
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小仏峠/ 峠道の盛衰

 峠道には 山間の鞍部を越える道も有れば、見通しの良い高い山の頂上を通る道もある。 ...昔から峠道は別名、...何々越えや、何々乗越しと呼ばれてきた。 ... ここ神奈川と東京の間に跨る小仏峠 (こぼとけ峠)⇒ 大垂水峠 (おおたるみ峠) は、険しい山間部と平野部を画する古い峠道の一つである。  上古から関東は、都をはじめ周辺諸…
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♪ みかんの花咲く丘

 小田原のみかん山に登る...、晴れた日には目の前に広がる景色が明るく眩しい。 冬のみかん山では、花ならぬ 鈴なりの ”みかん” と、蒼い海の色が良く似合う。 ... 「♪ みーかんの花が咲いている~ 」.、3拍子のあの軽快なリズムが自然に頭を過(よ)ぎる。  敗戦後の暗い世相を 明るく変えてくれた最初の歌は リンゴの歌と、童謡 …
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小田原城の変遷

 1495年 (明応~天正年間)の頃 、関東で軍事的に優位にあった 後北条氏は、相模 (神奈川県)を中心に東は下総 (千葉県)から西は伊豆、北は上野、下野 (群馬・栃木県) までを支配していた、... 旧小田原城が最も輝いていた時代である。...しかし 1590年 豊臣氏の侵攻により小田原は落城、...この時を以て日本の中世は終りを告げ…
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箱根外輪山を歩く

 「珍説まぼろしの箱根城見取り図 」 と云うのがある。 ...箱根全域を城郭に見立てたお城の鳥瞰図で古い箱根の本に載っていた。 天守閣は最高峰の神山、箱根周囲の外輪山を城壁に、芦ノ湖や仙石原を内堀に、箱根湯本を大手門等に見立てた壮大な城郭絵図だった。  初秋の一日、相模湾沿いのJR根府川駅から石橋 (海抜0m) ⇒ 玉川林道⇒ 聖…
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峠道の盛衰 Ⅲ

 毎日眺めている峠なのに...昔は、峠の向こう側の世界を見るコトも、知ることも無く 一生を終える人は多かった。 峠は国境(くにざかい)...通行手形を持つか、戦時以外に越える術は無かった。  神奈川・山梨県境の白石峠は、丹沢山塊西端の大室山に繋がる標高 1307m の山深い峠道である。 小田急電鉄線の新松田駅からバスで西丹沢自然教…
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相模湾クルージング

 台風一過、連休の相模湾は快晴、今日は仲間達とのクルージングで秋の一日を満喫した。  ヨットは やまゆり号、全長13m強、定員30名ほどの小型艇に12名で乗り込む。 江ノ島を出港した艇は、2本の帆を揚げるや緩やかな北東の風を受けて、音も無く滑る様に走った。 江ノ島・葉山間の海の深さは 20m~だが、「神奈川県の活断層図」によれば、…
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頼朝公御落馬から

 研究グループの松井先輩から こんな文書があるよと或る歴史記事の写しを頂いた。 それは地元の言い伝えを基に書かれた頼朝公の落馬についての資料であった。  武士が平時に、それも総大将が落馬が原因で死んだなんて通常では考えられない。 古くから源頼朝の死の真相が闇の中なのは、歴史書 「吾妻鏡」をはじめ 当時の幕府文書が悉く事件に関する…
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江ノ島と海

 ある夏、ヨット好きの友人に誘われ相模湾を周遊した。 海側から眺める江ノ島、その険しくそそり立つ海食崖を間近に見たのはこの時が初めてだった。  江ノ島は潮岬や志賀島 (福岡)と同じく陸繋島 (Tombolo)である。 本来の島の周囲は 3km強、高さは 60m。 元々陸続きだったのが侵食と海進により島となり、関東地震で島が 90c…
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西相模 中村川流域

 西相模 (神奈川県西部)の中村原に今も残る中世 (平氏系) 中村宗平の館跡。 歴史小説家の永井路子氏によれば、背後に山を背負い 東斜面に開けた土地を配した地形は当時、武士の居館として格好な場所だったという。  冬の一日、西相模を南に流れる中村川に沿って歩いた。 この流域の中村原一帯の広い地域は、中世 中村一族の本拠地であった。 …
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箱根最古の道

 箱根外輪山の内側を沿うように流れる早川、宮城野から少し遡上した川淵の上に 碓氷洞門がある。 即ち、国道 138号線のトンネルである。 この地点から東へ100mほど登った山腹に 古代の箱根道の一部が残っている。 明神岳の南麓、標高 650m付近だが、ここが箱根の碓氷峠である。  古墳時代 (3~6世紀)、西から東国へ向かう諸道の一…
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箱根の金時山

 最後の胸つき八丁を登りきると急に辺りが明るくなる。 ...箱根の金時山 (1213m) の山頂だ。 頂上では既に数組の登山グループが休憩していた。 青空の下、山頂からの眺めは素晴らしかった。 北には富士の全容が、西方には遠く愛鷹山の位牌岳が、南方には大涌谷の蒸気に霞む冠岳、そして目前にはカルデラ内の芦ノ湖や仙石原の緑が...。今回は箱…
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箱根南東部を歩く

 ヤマザクラの花の匂う晴れた日。 ...箱根古期外輪山の大観山から、白銀山 、この山の南麓、標高 500m程の白銀林道 (シロガネリンドウ)を巡検した。 JR湯河原駅からバスを利用して 「しとどのいわや」 で降り、ここから約10キロの道を歩き 南郷山 (611m)付近から急坂を下り 湯河原駅 (40m)へ戻るルートである。  こ…
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横浜の原風景

 横浜市域を東から西へと電車で横断した。その間、時間で30分弱だったが 鉄道唱歌で歌う「.......かわる景色の面白さ.....」を実感できた。  電車は横浜駅を出発、平坦な市街地を抜けると間もなく多摩丘陵地域にさしかかる、谷間を横切りトンネルを通り やがて相模野台地へと進む。ビルの谷間から丘陵地の住宅街そして畑のある台地へ…
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箱根の寄生火山を歩く

 2月、満開の梅の花で賑った幕山も、はや初夏の装い。 幕山は神奈川県 湯河原町にある日帰り登山向きの低山である。 一体この山はどのような山なのだろう、...興味は尽きない。  幕山は箱根火山にやや遅れて、50~25万年前頃に形成された火山である。 山体は溶岩が固結して出来た「溶岩円頂丘」そのものである。 火山としての位置づけ…
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深層流堆積物?

 昼少し前、北九州で震度6弱の地震発生との一報が入る。遠く 離れてはいるが海岸べりで地層の観察を行なっていた我々一行にも一瞬緊張が走った。  今日の観察地は神奈川県 三浦半島先端の浜諸磯。 テーマは「本州に付加された三崎層」、筑波大学の小川教授の指導の下でこの地層の諸相を観察した。 三崎層は三浦層群中では最も下の層であり、北…
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多摩の横山

  我が家の近くをはしる国道16号線は、横浜市の中心部から東名高速の横浜インター脇を通りその先で町田街道と分かれ、多摩丘陵の御殿峠を越え東京の八王子市に至るいわば神奈川県を縦断する大動脈の国道である。  この道は幕末から明治30年頃までは横浜街道として栄えた。その当時の旧道の峠は現在の御殿峠より東へ1km程の所にあって、鑓水(…
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