テーマ:群馬

シンボリックな赤城山

 赤城山を地元では 「あかぎやま」 と呼ぶが、あかぎさんと呼んでも別に差支えはない。 赤城山は地図の上では群馬県の中央東寄りに位置し、県の面積 6362 ㎢ に対して 500 k㎡ を占める広大な山体である。 群馬のシンボルとしての赤城山の周囲には、古代より特に南東の岩宿から西方に掛けては多くの縄文集落跡 (遺跡) が点在…
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浅間火山の凄さ

 2015年6月、群馬・長野県境の浅間火山が動いた? ... この地域は50万年前頃から火山活動が活発で、現在の浅間山の西方 20km にある烏帽子岳や三方ヶ峰などで先ず火山活動が始まり、続いて東方の東篭ノ登付近で複数の溶岩ドームが形成された。 ... その後 3~2..5 万年前には、更に東寄りの黒班山 ( くろふやま) で火山活動…
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古代群馬の三碑

  1300年を経た群馬の三碑 ( 山之上碑・多胡碑・金井沢碑) は、歴史的価値が評価されて現在は特別史跡に指定されている。 だが、この三碑の真の価値は、年代の古さや碑面に書かれている文章の内容にあるのではなく、文章構成そのものが初期の日本語の形成過程を示している点にある。 ...碑の文章は当時、先人が試行錯誤を重ねながら創りつつあった…
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♪ 雪は降る ::

 2013年正月14日、南関東は大雪に見舞われた。 平地での積雪は 10㎝前後だったが交通網は乱れに乱れた。 ...10㎝ の積雪量は雨に換算すれば 10㎜ 程度に過ぎないのに、雪に備えの無い関東の平野部は降雪の度に交通は乱れる。 ♪ 雪は降る...、の曲がそっけなく聞こえる。  今回の南関東の大雪の原因は爆弾低気圧だった。 前日…
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群馬の温泉

 10月の初めに久しぶりの 「いとこ会」で上越国境に近い四万温泉に遊んだ。 標高 700mの山道には栗の実が散らばっていたが、まだ秋の気配はなかった。 新暦の 10月初旬は暦の上では秋だが、まだまだ夏の日の様な暑い日が続く。  群馬県内の温泉の源泉数は自噴、動力を合わせて約 450、うち宿泊設備のある温泉は 100ヵ所である。 …
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上州長脇差の系譜

 侠客について、...時代小説家の子母沢寛は 「長脇差は江戸中心の街道筋に多く、 一寸脇道に入った上総下総辺りが本当の博徒の... 」 と書いた。 ...博徒について、地方史家の萩原進は 「群馬県遊民史」 の中で地方史の視点から取り上げ、また大宅壮一は 「炎は流れる」 の中で侠客を好意的に記述し、それ以前には徳富蘇峰が 発生別に分類を行…
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古代群馬の先進性

 山秀麗に水清く...、明治の詩人 相馬御風は上州の雄大な風土をリアルに詠った。 ...この地の呼称は、藤原京時代には 「車⇒ くるま」 だったが 続く奈良時代の713年以降は二文字を使って 「群馬⇒ くるま」 となる。 ...群馬とは緑の牧場で馬が群れ遊ぶ様を表す好地名だが、「ぐんま」 と呼ばれるのは更に後の時代だった。 ...この時…
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峠道の盛衰 Ⅲ

 毎日眺めている峠なのに...昔は、峠の向こう側の世界を見るコトも、知ることも無く 一生を終える人は多かった。 峠は国境(くにざかい)...通行手形を持つか、戦時以外に越える術は無かった。  神奈川・山梨県境の白石峠は、丹沢山塊西端の大室山に繋がる標高 1307m の山深い峠道である。 小田急電鉄線の新松田駅からバスで西丹沢自然教…
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峠道の盛衰 Ⅰ

 日本の三大峠と云えば、北アの針の木、南アの三伏、奥秩父の雁坂で、何れも標高 2500m前後の険しい峠道である。 一方の碓氷峠、足柄峠、倶利伽羅峠などは 千年以上も前から経済、軍事の大動脈として機能してきた道の歴史遺産の様な存在、....峠道とは歩くほどに面白い。  峠と言う字は数少ない和製の「国字」であって大陸伝来の漢字ではない…
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ぬるでんぼう Ⅱ

  06年9月のBlog に「ぬるでんぼう?」の一文を載せ、同時に 刀身が黒白マダラ模様の木刀(ボクトウ) の写真を何枚か添付しておいた。 所がその後、指摘されて分かったのだが 他に同じ上州でも白地の刀身の木刀を作る地域があると云う。 早速、その異なる理由を調べてみたが分からなかった、以下はその後日譚である。  この年末年始にかけ…
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大陸生れの化石?

 50万年前に活動を し始めた赤城山、現在の標高は 1828mだが、最盛時には推定では 2500mの高さだった。 山体の面積は 20k㎡ だが例えば、南面の大間々扇状地などに見られるように、その全活動期間を通じて 121立方㌔m という膨大な量の火山噴出物を周辺に撒き散らして現在に至っている。  その赤城山の北側を流れる片品川、足…
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国定忠治の時代

 菊池寛賞を受賞したばかりの津本陽、久しぶりに侠客もの 「国定忠治」を出版。 この忠治本、随所に羽倉外記の 「赤城禄(せきじょうろく)」の記事を引用しながら書かれている。 ご存知 国定忠治は1810~1850年の文化文政から天保、嘉永の幕末を駆け抜けた男である。 群馬県北部の大戸の関で 関所破りの罪で処刑されたが、捕まったのは晩年、中…
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「ぶっ壊し」騒動記

 学生の頃、小諸の友人の家に遊びに行った帰りに旧信越線の列車内で見知らぬ初老の男と隣合せたコトがある。 その時、彼から長野県に飛び火した秩父事件の話を聞かされた。 明治以降、秩父事件について書かれたものは多い。 既に研究し尽くされた感もあるが、120年前の今頃の時期に起きた この騒動を私なりに振り返ってみたい。  明治政府の発…
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桑と蚕 そして生糸・織物へ

 「初繭掻」 の行事が今年も皇居で行われた... 繭掻き (まゆかき)とは 蚕が作り終えた繭を取りだして収穫することである。 我国の養蚕は、3世紀に大陸から 桑の木と蚕(かいこ)が伝えられて始まった。 養蚕のコトは、万葉集に詠まれ日本書紀にも載っている、当時既に 繭から生糸を得るという技法は地方にも広く浸透していたらしい。…
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