テーマ:歴史

砂鉄のみち から

 因幡の国の千代川(せんだいがわ)流域を上下した司馬遼太郎は、鉄と稲作を結び付けて「街道をゆく」の 7、27巻に砂鉄のみちを書いた。 ...先ずは、稲作の作業効率を上げるために農民が鉄を必要とした。 それは国家統一の為の「律令制」が生まれるより遙か前の、稲作がまだ「私事」だった時代の話である。 3世紀ころまで山野を放浪して食べ物を探して…
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海難と漂流民

海難と漂流民  日本列島周辺を流れる海流は、太平洋側では幅 100㎞、流速 2~2.5m/s の黒潮が房総半島の先まで北上、一方 北から南下して来た親潮は黒潮と衝突して共に東へと進む。 日本海側では台湾~与那国島付近で黒潮から分岐した対馬海流が裏日本沿いに北上している。 天候を見ると太平洋側では暴風雨も多く、また中緯度偏西風帯の南…
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旗本の実像

旗本と云えば武士の中の武士。 ...旗本とは主君を護衛する親衛隊のコト、戦国大名の陣立てには必ず「旗本備え」 が有り常時相応の人数を配していた。 だが、平和が長く続いた江戸時代にあっては「旗本」とは身分を表す代名詞に変わり、世間からは「お旗本」と呼ばれ当主は「殿様」妻女は「奥様」と呼ばれる身分だった。 ... 江戸時代とは関ヶ原の…
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年号と日本人

 「元号」...、少々古いが広辞苑の第二版には 元号とは 「年号」 のコトと載り、年号は年に付けた称号とある。 だが元号と年号はほぼ同じではあっても、両者には微妙に食い違う点もある。 従って、ここでは江戸時代までの元号は年号と呼び、皇室典範や元号法が規定されて以降の明治時代から現代までの呼称を元号と呼ぶことにする。 ... 日本に公…
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モンゴル 栄光の日々

 大相撲を支えるモンゴル出身の力士は現在 20人余。 その彼らを生んだモンゴルとは どの様な国なのか?... この国の正式名は 「モンゴル国 」、モンゴルとは民族名で、過去に使われた蒙古と云う言葉は漢民族から見た蔑称なので現在は使われていない。 ...モンゴルの国土は広く 157万 km2 (日本の約 4倍)、人口は320万人、 宗教…
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「米食国家」と日本人

 2018年の産米予想では、作付面積は凡そ 139 ha、コメの収穫予想は主食用米で733万トン。 これを昔の石高に直すと総作付面積は 138万町歩、収穫量は4900石 。 昔の作付け面積についての正確な資料は無いが、中世では水田は100万町歩、近世で165万町歩、近代に入ると 260万町歩位 有ったと推定されている。 これを現在の数…
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天神様と天満宮

先月 「神になった詩人」 という歴史講座を聴いた。 内容は平安時代の詩人、菅原道真の後半生と死後 神になった道真に就いての話だった。 我々は天神様や天満宮に祀られている道真、配流の地で詠んだ 「東風吹かば....」 の詩なら知ってはいるが、それ以外のコト 例えば 出自や早過ぎた出世、追放の経緯等に就いてはほとんど知らない。 今回はこ…
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中央アジアの仏教遺跡

 中国への進出企業の状況視察に行ったのは 1970年代の後半だった。 当時の中国トップが華国鋒だったから、相当古い話である。 そのとき西安市内で史跡、大慈恩寺の大雁塔(現在は世界遺産) に登る機会が有った。 中国の世相は当時と今では大違いだが、それでも当時すでに七層の塔は一般に公開されていて各階には菩薩像の線刻画や大唐三蔵の功績やらが展…
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冬支度

 年末の12月ときて、 先ず思い浮かぶのは何となく慌ただしい月だなと云うコト、やらねばならないコトが沢山ある、常に何かに追いかけられているみたいだ。 ... ある調査によれば 年間を通して一番忙しい月は12月と出ている。 もっとも今では年末の仕事なんて、幾つかの忘年会、賀状書きが有る程度だが、以前はそれに大掃除や餅つき、クリスマス祭り…
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 今日 10月25日は満月、しかも本当の満月は朝の時間帯、...この意味分る? 勿論夜の月も満月に見えたが...。 昼の時間帯には久しぶりに等々力渓谷を歩いてみた、気温は20℃ 風もなく秋のハイキング日和だった。 そう云えば日の出も今朝は5時57分、調べてみたら日の入りは 16時55分だった、真夏に比べて日が短くなったコトが実感で…
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夫婦別姓の考え方

 以前 韓国や台湾のビジネスマンたちと雑談をした時のコト、その時は名前の付け方が話題になり 日本では結婚したら女性は法律によって通常は男の側の名字に変わると云う話をした。 ....と彼らは一様に驚いき、一体日本人ってなに? と皆に云われたことが有る。 法律など無くても彼らの国では生まれた時に付けられた姓と名は何処に行こうとも一生変わらな…
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領主と領民の戦国時代

 2018年6月、NHKの歴史ヒストリアでは戦国武将、小田氏治をとり上げた。 それは昨年の井伊の女城主に次ぐ異色の番組だった。 この武将の小田氏氏治は現在の茨城県つくば市の付近、当時の常陸地方南部を領した小田城の15代目の当主 小田氏治 (1531~1602年)で推定では石高 7万国位の中規模大名、番組ではこの地方大名の戦国生き残り…
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中世の山城

 中世とはヨーロッパ史の歴史区分であり、時期は ローマ帝国の滅亡~宗教改革までの暗黒の封建時代を指す。 一方、日本史では鎌倉幕府の開設~秀吉による全国制覇 (12~16世紀) までを中世と呼ぶ。 その日本では中世以降 全国で 3~4万とも云われる数の城が築かれている、しかもその多くは急峻な山上に造られた山城だった。 勿論、山城は古代か…
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「父の日」がやって来る

 父の日? と検索すると 「父の日は何日ですか」 と云う質問が多いのには驚いた。 バレンタインデー同様に父と子が商業主義に踊らされているコトは良く分かるが、世間の関心の低さにはチョット淋しい気もする。 「父の日」 発祥の地のアメリカでさえ関心は低いようで、商業的にも売上の少ない 「父の日」 など左程 有難がられている風はない。 …
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江戸幕府の赤字体質

 江戸時代、特に後半の財政、経済、生活はどの様な状況だったのか、それはどの様に推移したのか? ... 国家社会の基礎を農業に置き重農主義を標榜した江戸時代に於いては経済の基盤は農業と農業生産物に置かれた。 徳川が関ヶ原の戦いに勝利したのが 1600年 (慶長5年)、その3年後に家康は全国制覇をして将軍位に就き江戸に幕府を開き、以後 26…
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歴史資料について

 最近 学校で習った歴史が何時の間にか変わっていて驚かされるコトが多い。 ドイツの歴史学者ランケが提唱した科学としての歴史学が日本に導入されたのは1887年(M20年) だったが、我が国で実際に皇国史観に基づいた国史学を排して自由に歴史を論ずることが出来る様になったのは1945年、敗戦の年 以降のコトである。 詰まりは明治時代…
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忍者エレジー

 最近は外国人にも人気の 「ニンジャ」 だが、今年も12月の中旬に東京の日本橋で三重大學と忍者発祥の地の伊賀市による 「忍者・忍術学の講座」 があった。 遅れて到着したが会場には百人程の受講者が集い、然も比較的 若い男女が多いのが印象的だった、...忍者像への人気の高まりには驚かされる。 2018年2月の三重大学大学院、人文社会科学研…
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古代日本の製鉄

 人類が鉄を使い始めた歴史は古い。 例えばエジプトに伝わる鐵玉の場合、ニッケルを多く含むので原石は隕石なのではと推測されている。 だが気が付いて見れば地球上に鉄の原石は多い、人間が鉄を還元して利用するコトを知ったのは通説では BC 1900~1200 年の頃。 長い時を経て鉄の製法が中国に伝わったのは春秋時代の BC 700~400 年…
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日本美術 三つのキー

 戦後、日本美術の教科書と云われた本に辻惟雄著の 「日本美術の歴史」 (2005年) がある。 この本が出る前にも同じ著者による姉妹版 「奇跡の系譜」 (1970年) と、 「奇跡の図譜」 (1989年) が出版されている。 縄文から現代までの美術工芸を網羅した 「日本美術の歴史」 は、この二著を基にして書かれたもの。 ... 日本…
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消えた古墳

 過日、「しまね学講座」 で大久保徹也氏の講義 「出雲の大型墳丘墓の成立と展開」 を聴いた。 大要、AD150 年前後に成立した山陰~北陸と山陽の吉備にのみ出現した特異な 「四隅突出型の大型墳丘墓」 に関する話だった。 ... 山陰地方ではこの時代以前には地方豪族の墳墓は単純な方形タイプの墳墓だったが、この四隅突出タイプの方形墓が伝わる…
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「伊勢物語」寸聞

 伊勢物語、... 今まで読んだコトも無いのに何故か先般 講演を聴く機会があった。 内容は、この本が後の時代の日本文学に与えた影響に就いてであったが、出来れば逆に この本の作者が他から どの様な影響を受けたのかが知りたかった。 ... 伊勢物語自体は今もって作者は不明で、しかも書かれた年代も書き終わった時期も良く分かっていない。 確証…
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悪党?

 「悪党」 で検索すると角川文庫本の悪党や 劇団 ZA-KOENJI の悪党が出てくる。 遡れば 江戸時代には大盗賊を始め 悪代官、悪女、小悪党などと諸悪は山ほど有った。 だが、広辞苑の 「あくとう」 の項の ② には 悪党は 「中世語」 とあり、荘園内の反領主的荘民と特定している。 悪党の悪は儒教的な意味での悪ではなく、単に対峙した一…
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日本語と国語

 日本の学校の授業には国語や英語の科目は有るが日本語という科目は無い。 20世紀の終わりの頃に国語に替えて日本語と云う名の科目を設置した公立の学校があったが、結局は上から睨まれたのだろう 今は無い。 ならば国語と日本語はどこが違うのか。 ... 国語とは National Language で一国を代表する言語のコト、我が国では日本語が…
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遣隋使の謎

 何日か前の朝日新聞 「文化の扉」 欄に遣隋使派遣時期の齟齬についての記事が載っていた。 この違いは以前から専門家の間では議論されてきたもので、6~7 世紀に記録された日本側の遣隋使派遣の記事と受け入れた側の隋の記録が異なると云うもの。 第 1回の遣隋使派遣の時期は、日本側は 607 年 だが受け入れた側の隋では 600 年になっている…
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琵琶と弁才天の話

 冬晴れの一日、東京上野の東照宮境内で薩摩琵琶の演奏を聴く。 参拝客や外人観光客がカメラを手に行きかう道の直ぐ脇の会場では、敦盛や黒田節....、が演奏されていた。 私にとっては、最後の琵琶法師と云われた山鹿良之さんの 「俊徳丸」 を C D で聴いて以来の琵琶の音であった。 弦をはじいて音を出す琵琶の音色は独特の澄んだ響きと余韻が何と…
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「異国船打ち払い令」

 京浜急行線の浦賀駅で下車、海沿いに 30分程歩くと右側奥の小高い場所に江戸時代の浦賀奉行所跡がある。 1720年 (享保 5年) に置かれた浦賀奉行所は総勢 250 名、職務は江戸湾に入る船舶の監視、積み荷の検査、海難救助、三浦半島内の民政、...等であるが、中でも江戸湾の防衛は地政学上 最重要の仕事であった。 浦賀奉行所が廃止になる…
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三浦半島の要塞

 三浦半島の浦賀、知ってはいるが今まで一度も行ったコトは無かった。 当地は現在 横須賀市に属するが江戸時代には此処に浦賀奉行所が置かれ、海上警備と三浦半島内の民政の拠点だった。 三浦半島の東部に位置する浦賀は東京湾の浦賀水道に面した古い歴史の町。 海岸沿いの山々の崖には今なお未調査の古代の横穴遺跡が点在し、浦賀の先の走水の海には日本書記…
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王禅寺かいわい

 川崎市の北西部、麻生区の丘陵上に名刹、王禅寺がある (明治以前は武蔵国都築郡に属していた)。 この寺の寺号は星宿山王禅寺だが、最初は星降山...、だった。 星降るとは流れ星のコト、願いを叶えるには「星降る...」 の方が勝る。 寺の創建は諸説あるが、現在では917年 (延喜17年) の創建説が有力である。 「名刹王禅寺」 を著した…
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古の芸能にみる

 日本の伝統芸能と云えば中世では能楽と狂言、近世では人形浄瑠璃と歌舞伎であろう。 これ等の伝統芸能は今では何れも無形文化財となり、夫々が専用施設、能楽場、国立演芸場、文楽劇場、国立劇場等を持ち、国の保護を受けている。 ... 今回は故あって人形浄瑠璃の経緯をたどってみたい...。 人形浄瑠璃文楽は 2009年にユネスコの無形文化財にも登…
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古代の朝鮮半島

 朝鮮半島はユーラシア大陸の東端に舌状に突き出た半島、東経 125~130度、北緯 35度付近に位置し総面積 22万 km2 の小半島である。 ユーラシア・プレートに乗るこの半島は古く、5億年以上前の先カンブリア紀には既に安定的な地層の骨格が出来ていた。 だが、この陸地が 2千万年前の日本海の拡大期 にどの様に係わっていたかは未だ未解明…
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