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zoom RSS 浅間火山の凄さ

<<   作成日時 : 2015/06/15 00:03   >>

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 2015年6月、群馬・長野県境の浅間火山が動いた? ... この地域は50万年前頃から火山活動が活発で、現在の浅間山の西方 20km にある烏帽子岳や三方ヶ峰などで先ず火山活動が始まり、続いて東方の東篭ノ登付近で複数の溶岩ドームが形成された。 ... その後 3〜2..5 万年前には、更に東寄りの黒班山 ( くろふやま) で火山活動が始まり最盛期には高さ 2800m の成層火山が有ったとされる、だが 2回のブリニー式噴火の後 山体は崩壊し現在は馬蹄形のカルデラ跡が残るのみ。 続く 2. 5〜1. 5万年前には、仏岩山が噴火して仏岩火山が形成された。 場所は現在の浅間山頂下 南東面の高まりの部分と云う。 この火山が噴出した軽石火砕流は現在の小諸、御代田、佐久の広い地域を埋め尽くした。 小諸城 (址) はこの時の火砕流台地 (小諸層群堆積物) の上に築かれており、上田城は第四紀堆積物である浅間火山泥流 (上田泥流) の上に建つ。

 更に 2万年前には現在の軽井沢駅の北西に突如 単成火山、離山が出現して爆発的噴火を起こした。 軽井沢の市街地も浅間火山群の範囲内にあった訳だ。 ... 1.5万年前~〜現在まで、...今から8500年前には黒班火山と仏岩火山の中間地点で噴火活動が始まり前掛火山 (浅間火山) が出現した。 これが500〜700年間隔でブリニー式噴火を繰り返す現在の浅間火山である。 浅間火山は この 2000年間に山体は大きく成長したとされるが、規模としてはは中型の火山である。 歴史時代に入ってからは 1108年と 1783年 (天明3年) に大噴火を起している。 ...浅間火山はこの様に危険な火山であるが、静穏期には例えば 山麓に住む住民は 旧暦の 4月8日を 「火気ゆるしの日」 と決めて山に登り、登山者が火口に投げ込んだ賽銭を火口壁を伝わりながら拾い集めていたと云う。

 古語では、浅間山のアサは燃える山と云う意味で、マは川を意味した、従って浅間山は、川沿いに聳える燃える山という意味? ...になる。 ... そんな浅間山だが、フォッサマグナの東方に位置する浅間火山が何故に現在の場所に在るのかに就いては、どの本を読んでも中々答えてくれない。 通常、浅間火山は東北地方から続く火山フロントの最南端に位置し、此処から南転して富士火山帯に繋がるとされるが、一方の伊豆小笠原弧の側から見れば関連する陸上の火山は伊豆から箱根・富士・八ヶ岳火山までで終わり、その先はハッキリしないとする。 軽井沢の標高は 1000m、厚い堆積物に覆われたこの地の地下構造が解明されるのは未だまだ先になりそう。

 浅間山の姿は関東平野から見ても 麓の軽井沢から見上げても山容は曲線的で優雅である。 山の南側を通る東山道 / 中山道は古道であり、かっては参勤交代の列が通り馬子唄を唄う旅人が行き交い、幕末には皇女和宮もこの街道を下向した。 ... いま軽井沢から見上げる浅間山は標高は2568m 、頂上から向かって左横の峰は前掛火山、更に左下がりに続く峰々は標高 2100〜2400m 前後の剣ヶ峰、牙山、黒班火山跡であり、何れも浅間火山 の主要な山々である。 さらにその先に連なる峰々は烏帽子火山群の山岳で 行政区域は小諸市や上田市に跨る。 また、浅間山本体の右下方向に見える低い山は小浅間 (1655m) で溶岩丘。 これに軽井沢市域の離山火山を含めた一群の山体が 「浅間・烏帽子火山群」 を構成している、見事なパノラマである。

 浅間火山々頂の噴火口の直径は 450m、深さは 150m、周囲は 1. 3 q で、230年前の天明の噴火時には此処から 10億t もの噴出物を周辺各地に撒き散らした。 この時の噴火タイプはブリニー式噴火、具体的には爆発に伴い噴石・火山灰・火山ガスを噴き上げて 噴煙柱は 1万m に達した。 この時、火口から 30〜50 km 風下の群馬県側の旧碓氷郡、旧北甘楽郡、旧多野郡は長期に亘り 噴火と偏西風に乗った降灰で大きな被害を受けた。 また、噴火の最終期には、北東側の旧吾妻郡妻恋村鎌原地区は火砕流・土石流の直撃を受けて略壊滅した。

 群馬県碓氷郡役所発行の 「 碓氷郡誌 」 天明の浅間焼 の項には、 ” 浅間大変日記 ” からの引用として、「 浅間山は安永 7年 (1778年) の頃から噴出物で火口が塞がって少しも煙が揚らない、丁度死火山の状態でいた、然るに天明 3年 (1783年) 5月17日の爆発と共に灰が降り、... 7月6日には石さえ混じり積もること 3寸 (10p ) ばかり、7日には日中が暗夜と変わり、煙の中に稲妻が光り、... 大地が揺らぎだし戸障子が外れた。 ... 7 月9日に漸く鳴動も止んだが、野山一面に青きものとて無く、砂の深さは1尺2寸 (≒ 36p ) あった。 これが為 人畜の死損甚だしく酸鼻を極めた、... 。 」 と載っている。 この日記の著者及び被災した場所は不明だが、原本は郡内の某家に秘蔵されていると載る。

 参考書 :
高橋正樹  浅間火山の地質と活動史  火山学会公開講座
群馬県碓氷郡役所    碓氷郡誌    大正12年刊

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