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zoom RSS 遣隋使の謎

<<   作成日時 : 2017/04/15 15:26   >>

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 何日か前の朝日新聞 「文化の扉」 欄に遣隋使派遣時期の齟齬についての記事が載っていた。 この違いは以前から専門家の間では議論されてきたもので、6〜7 世紀に記録された日本側の遣隋使派遣の記事と受け入れた側の隋の記録が異なると云うもの。 第 1回の遣隋使派遣の時期は、日本側は 607 年 だが受け入れた側の隋では 600 年になっている。 確かに日本書記にも 600 年の項には遣隋使派遣の記載はなく、607 年の項には秋 7月 3日 に帝 (みかど) は大礼 小野妹子を唐土 (もろこし) に遣わされたと載っている。 つまりは、600 年の派遣記録が日本側には無いのだ。 この食い違いは何だったのか? ... 何故、日本側は記録しなかったのか。

 隋は、581 年に北朝の北周と南朝の陳を征服して発足した、だが僅か 40年後の 618年に亡びた。 隋の次に興った唐が 618〜907 年まで 300年も続いたのに比べれば、隋は如何にも短命だった。 だが、この短い期間に残した遺産は 後の中国に大きく影響した。 その@ は、610年に完成した京杭大運河、この事業は大陸南部の杭州と北京を結ぶ大運河で揚子江、淮河、黄河を横断して造成した延べ 2500 q にも及ぶ大運河で現在も経済の大動脈として機能している、但し戦国時代に始まった当初は軍事利用にあった。  A は科挙の改革、筆記試験制度を導入して世襲の貴族階級を排除し、官僚制度を実力者本位に変えた。 科挙は清の時代まで続いた。 Bは、律令制度の中の官制の簡素化だった。 だが、周辺国との相次ぐ戦争と大規模土木事業に苦しむ人々による内乱が多発する中、国王が暗殺されて終わった。

 隋が建国した 581年の頃の日本は、日本書記に依れば敏達天皇の時代、推古天皇が即位し聖徳太子が摂生に就いたのは 593年だった。 この頃の日本は漸く前方後円墳の造成時代が終わり、国外では朝鮮半島の任那を助けて新羅と争っていた。 ... 隋の側の資料によれば、600 年に倭王の使者が来たとあるが、その使者の帰国後の動静は不明である。 だが、その後の日本は 601 年に斑鳩宮を造営し、602 年には百済僧の観勒を呼び 暦や天文地理を整備し、翌 603 年には官制の 12 冠位を制定、604 年には 17条憲法を発布したりと慌ただしかった。 恐らく この間に国家として見劣りしない様な体制作りを急いだものと思う。 ,,, この様にして再び 翌 607 年に小野妹子に国書を持たせて隋に派遣した。 翌 608 年に小野は隋の役人の裴世清を伴って帰国し、また再度渡航している。 裴世清は隋の煬帝からの国書を持参し倭王に渡した、ここで念願の隋との国交が樹立された訳である。 使者の裴世清の肩書は外交部署の九品、官僚の位階は高くはないが、名門の出身なので皇帝の名代として名指しされたとある。

 607 年に遣隋使に任命された小野妹子は、〆の最後に子の字が付くが女性ではない、氏名の漢音表記では、蘇因高と書く。 施設としての位階は大礼、冠位十二階の中の第 5位なので、さほど高くはない。 後年有名になった国書 「日出処天子致書日没天子...」 は、彼が持参し隋の煬帝に渡した。 差出人は天子名だが、当時の推古天皇は女性なので国書は当時の皇太子の聖徳太子が作成したと思う。 その皇太子は、国書の作成に当たっては師の高句麗僧の慧慈 (えじ) や百済僧の慧聰 (えそう) に事前に相談していた筈で煬帝に失礼が有ったとは考えられない。 国書を読んだ煬帝が不快感を表したとされる 「日出処天子...云々」 の個所は、単に両国の位置関係を表す表現に過ぎず、寧ろ 「天子」 という用語の使い方に問題があったのではとするのが最近の考え方である。

 当時の日本は何故に、この時期に遣隋使を派遣しなければならなかったのか? ...当時の東アジアの情勢は、朝鮮半島の北部には高句麗があり、南には新羅と百済があって、南端の任那の帰趨を巡っては日本と新羅が確執状態にあった。 そんな中、581年に隋が建国すると、先ず百済がその年に隋に朝貢、新羅は594 年に朝貢、日本は恐らく 遅ればせながら 600 年に遣隋使を派遣したものの国交先として相手にされなかった可能性もある。 そこで日本は急ぎ国家体制を確立して、改めて 607 年に遣隋使を派遣して隋との国交を樹立を計り、東アジア諸国とのバランスを取ろうとしたと云うのが実態であろう。 仏教を取り入れたのも、隋 をはじめ朝鮮半島諸国と文化面でのバランスをとる為であった。... 1400年を経た今日でも尚 この構図が変わらないのは奇異でもある。

 参考書 :
気賀澤保規   遣隋使が見た風景   八木書店

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