佐渡ヶ島を歩く

 「クジラを避けるために一部区間で減速運行をします、...」、佐渡からの帰途、ジェットフォイルに乗船した時のアナウンス。..... 船舶の安全運行は人間とクジラが共生している海域では必要な事である。 最近の鹿児島佐多岬での衝突事故は痛い思いをした双方にとって不幸な出来事であった、(もし本当にクジラだったとすればだが ? )。

 クジラは海面と水深 800m位の間を、浮遊を繰り返し しながら泳ぐ。 新潟の直江津港~佐渡小木港間の海域の水深は1000m、同じく柏崎~小木港間では水深は500mである。 クジラや他の多くの魚類は餌の豊富な この暖流が流れる海域を回遊している。 佐渡近海でよく 見られるのは ツチクジラだ、この種は日本近海で 4420頭の生息が確認されている。 以前、佐渡対岸の柏崎市西山の海岸に珍種のオウギハクジラ (5m/ 2t) が打ち上げられたコトがある。 ...この水域にはいろいろな種類のクジラが多数生息していると考えてよい。

 佐渡島は新潟県の西方海上に位置する離島である。......とは言っても面積 850km2 の大きな島で面積は沖縄本島に次ぐ。 島の北西部分は大佐渡と呼ばれ、第三紀中新世( 2400万年前頃) に噴火したグリーンタフ相当の火山岩に覆われ、標高1000m級の山々が連なり、山容も壮年期の様相を呈している。 島の南東部分は小佐渡と云い 主に中新世の地層からなる標高 500m程の丘陵地帯である。 そして両山地に挟まれた低い中心部分が国仲平野である。 佐渡は地学上は東北グリーンタフ (緑色凝灰岩)地域の西縁部にあたる。

 また佐渡島は三つの大きな海盆に囲まれている。 それは本州との間に横たわる佐渡海盆、島の北方に長く延びる最上舟状海盆、更に西側にはフォッサマグナの延長部分の可能性もある富山舟状海盆である。 特に富山海盆の層厚は 5000mにも達し、石油層の存在も期待されている。 佐渡島は、最近新しく提唱されている新潟~神戸構造帯 (平均幅100km)に属していて、しかも西方には日本海東縁変動帯を控えている。 付近海域の複雑な地形や地質構造はこのコトの表れであろう。 政府の地震調査委員会によると佐渡島北方沖でのM7.8 の地震発生の確率は向こう 30年以内では6%、50年以内では10%と発表されている。 1726年の佐渡島 地震時には津波被害や地盤の隆起(最大2m)も記録されている。

 何年か前の晩春、...小木港からレンタカー2台に分乗してハンマーを担いだ仲間達と大佐渡、小佐渡の南部地域を巡検したことがある。 先ず、小佐渡の小木の城山の下からスタート、海岸沿いを西へと歩いた。この南部地域一帯は2000万年前までは、海底火山活動が活発だった所で 初期にはアルカリ玄武岩を、後期には石英玄武岩を大量に噴出している。 捕獲結晶 (灰長石、透輝石etc..... )が顕著なのが特徴である。 小木、犬神平、沢崎から江積、田ノ浦へと 観察しながら歩いたが、山側の崖は枕状溶岩やハイアロクラスタイト(火山砕屑岩)の破片の連続であった。 ...沿岸地帯にも新しい開発の波が押し寄せ道路の建設やトンネルの掘削が始まっていた。

 翌朝、小佐渡の丘陵地帯を越えて大佐渡南部に行く。 先ず尖閣湾、日本海の荒波に打たれて出来た奇岩群は一種の侵蝕地形である。 火山岩の中に後から大量の流紋岩が貫入してきて固結し、これが海蝕により削られて出来たのが尖閣湾の奇景である。 遊覧船で静かな湾内を一巡してみた、ゴシック建造物の間を走っているようだと云われたが、正にその通り、崖の高さは30mくらいであろうか。

 相川の金山、既に佐渡の金山は平成元年に閉山している。 此処の金山の鉱床は第三紀中新世に相川層群に貫入してきた石英脈であり、鉱石は自然金と輝銀鉱からなる。 佐渡での産金は平安時代から既に砂金として知られていたが、その後、慶長6年(1601年)に大鉱脈が発見されて、江戸時代から昭和時代にかけて大量の金が採掘された。 産出量は江戸期には 41t 、明治期 8t 、大正期 7t 、昭和期 22t で総産出量は 78t であった。 400年間に亘り、幕府や国家の財政(の一部)を支えた。

 佐渡島は1700年に金山の操業が軌道に乗る前までは流刑地であった。 此処から生還できたのは、大物では日蓮くらいのものであろう 。承久の乱 ( 1221年) を仕掛けて失敗した84代の順徳天皇、同様に時の幕府転覆を画策して失敗し、後醍醐天皇の身代わりになったとも言われる正中の変(1324年) の日野資朝など、彼らは何れもこの地で没している。

 潮掛鼻、瓜生崎で石灰質砂岩や安山岩層を観察の後、国仲平野の真野町へと向う。 この辺りまで来ると幾つもの歴史遺産が目につく様になる...。 真野町は昔、佐渡の国府の在ったところ。 この付近は、何となく大和の飛鳥路に似た風景が広がっている所だ。 そう云えば良寛の母親も佐渡の出身であった。 良寛は よく新潟の出雲崎から対岸の佐渡を眺めていたという。 ...対岸の母を偲ん詠った歌 「たらちねの 母がかたみと あさゆふに 佐渡が島べを うち見つるかな 」 .良寛、...... 何とも さわやかな歌である。

参考書 : 佐渡島の歴史    (財)東北電気保安協会  2005年
 

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