箱根南東部を歩く

画像 ヤマザクラの花の匂う晴れた日。 ...箱根古期外輪山の大観山から、白銀山 、この山の南麓、標高 500m程の白銀林道 (シロガネリンドウ)を巡検した。 JR湯河原駅からバスを利用して 「しとどのいわや」 で降り、ここから約10キロの道を歩き 南郷山 (611m)付近から急坂を下り 湯河原駅 (40m)へ戻るルートである。

 この 「しとどのいわや」 という同名の旧跡が真鶴町と湯河原町の両方にある。 何れが正しいのか? 真鶴の方は海岸近くに、湯河原の方は海岸から 5kmも離れた標高 500mの山中に在る。 この「..岩や」 は 1180年8月に旗揚げをした源頼朝が石橋山の合戦で平家の大庭景親の軍に敗れ、地元の土肥実平等と共に一時隠れ潜んだ岩窟のコトである。 この時の状況は鎌倉幕府の史書、吾妻鏡にも 「或る巌窟....」と簡単に書かれているだけで今では正確な場所は分らない。

 当時、この地は源氏方に付いた土肥実平の領地 (現在の湯河原町と真鶴町)であり、彼がこの地の地理に明るかった事、それからこの戦、吾妻鏡によれば双方の 兵力総数は約 4千人となっていて、 狭いこの地域にこれだけの軍勢が入ったとすれば敗者側は簡単に見つかってしまう。 だから海沿いよりも、より険しい山側の方へ逃れた可能性の方が高い筈である。...さすれば 「土肥椙山巌窟」 と言われている箱根の湯河原側の岩窟の方が正解かも知れない。 ...この湯河原火山の溶岩の間隙に出来た 「しとどのいわや」は、現在 「伝源頼朝隠潜地」として神奈川県史跡に指定されている。

 先へ急ごう....この 「しとどのいわや」 から見て上方の山岳を天照山(750m) と呼ぶが、今から約65~50万年前に この地で大噴火があった。 その時に この山の南麓を覆った溶岩流が天照山火山岩、(OS1)即ち 古期外輪山溶岩であった。 この溶岩は箱根古期外輪山南東域の地層の最下部を構成していて、今でも大観山下から湯河原町の不動の滝付近にかけて暗緑色の この溶岩を確認できる。 因みに この溶岩の層厚は 400m にも達すると云われる。

 この地域ではその後 44~28万年前頃、また古期外輪山(湯河原火山も含む) が噴火、各所で 前記の天照山火山岩類を覆った。 諸説あるが、湯河原火山部分の溶岩は 「しとどのいわや」 付近から東へ新崎川まで、南へは湯河原新道上までの範囲を覆っている。

更にその後の 27~18万年前には古期外輪山 尾根の東寄りで白銀山火山 (993m)の形成があり、外輪山の外側、南東部をOS2 (古期外輪山溶岩)が厚く覆った。 現在の 白銀山から南東に湯河原ゴルフ場を越えて 海岸線に至る広い地域を覆ったのである。

 この地域では 14~8万年前には真鶴岬溶岩、幕山溶岩ドームなどの単成火山群が形成されている。....蛇足だが箱根火山では、この幕山 (626m)から北西方向に大観山 (1014m)、駒ケ岳(1357m)、神山(1438m)、台ヶ岳、金時山(1213m)がほぼ一直線に並んでいる。 そう云えば伊豆大島火山の火口列方向もほぼ同じ配列である。 ...何故だろう?....生きている地球って深く考える程に面白い。(上記の箱根火山の各年代は平田由紀子氏の K-Ar 年代測定結果を引用した)

 白銀林道は時折バイクが通るくらいで比較的起伏の少ない静かな林道である。 「しとどのいわや」から歩き始めると 古期外輪山の湯河原火山溶岩、天照山火山岩類、白銀火山溶岩の順に火山岩類の比較観察ができる。 少し足を伸ばせば幕山溶岩ドームに接することも出来るし、奥湯河原では伊豆箱根一帯の基盤岩である (海底噴火起源の) 湯ヶ島層群も観察できる。 ついでだが、幕山は小規模な岩登りにも適している、家族連れで岩壁遊びに来ている人も結構多い。白銀林道、幕山 何れも箱根の隠れた静かなハイキングコースである。

参考書: 
箱根火山はどのようにしてできたか、最近の考え方....
高橋正樹  箱根シンポジウム、講演要旨集より、02,12,11

写  真: 白銀林道から見る幕山溶岩ドーム

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