箱根の金時山

 最後の胸つき八丁を登りきると急に辺りが明るくなる。 ...箱根の金時山 (1213m) の山頂だ。 頂上では既に数組の登山グループが休憩していた。 青空の下、山頂からの眺めは素晴らしかった。 北には富士の全容が、西方には遠く愛鷹山の位牌岳が、南方には大涌谷の蒸気に霞む冠岳、そして目前にはカルデラ内の芦ノ湖や仙石原の緑が...。今回は箱根町の金時神社口 (700m) から登り、南足柄市の地蔵堂へと下りるコースである。

 金時山は 江戸時代までは猪鼻山と呼ばれていた。 金時山頂から東への下山道は、途中で地蔵堂方面への道と足柄峠方面への道に分岐する、昔はここを猪鼻砦と云い、中世の軍事拠点で 後北条氏の足柄城の支城としての役目を果たしていた。 金時山頂は現在は静岡県の小山町、神奈川県の箱根町、南足柄市の三市町の境界になっている。 金時という名がこの地に定着したのは、明治時代の初期に金太郎や坂田の金時、或いは公時(きんとき)の説話が広がってから以降である。 金太郎さんという童謡が唱歌に取り入れられたのが1900年、約 110年前である。 ...ただし、金太郎が実在したか どうかついては懐疑的な見方が強い。

 金時山頂から箱根全体を眺めて、各時代ごとの ”古道”の跡を目で辿ってみた。 箱根山の特徴は 歌にもあるとおり、連続する万丈の山と千尋の谷である。 往古、旅人も軍隊も この間を縫って苦労を重ねながら箱根路を越えていた。 ルートも時代とともに大きく変わっている。 ① 大和朝時代の碓氷道⇒ 三島ー御殿場ー乙女峠ー仙石原ー宮城野ー明神岳越えー最乗寺ー関本。 ② 奈良・平安時代の足柄古道⇒ 三島ー御殿場ー足柄峠ー関本。 ③ 鎌倉室町時代の湯坂道⇒ 三島ー箱根峠ー芦の湯ー浅間山ー箱根湯本。 ④ 江戸時代の旧東海道⇒ 三島ー箱根峠ー畑宿ー箱根湯本......である。 富士山の噴火や土砂災害が原因でルートが変更されることも度々あった。 現地に立つと古い時代に遡るほどに当時の街道の痕跡は消えていて、今では点と点を繋げて古道を想定し再現するしかない。

 箱根火山の中での金時山の位置づけは、小型ではあるが独立した「前期成層火山」 であることと、 箱根の「寄生火山」 の一つであるコトだろう。 金時山は箱根火山が生成(50万年前ころ) した当初から存在した というのが定説であった。 しかし最近では新しい箱根火山像が提唱され、これによると寄生火山(前期成層火山体)群の形成は 30万年前以前と表j示されている。...今後とも、地球科学に根ざした新しい研究の成果を見守っていきたい。画像

 金時神社口からの登山道では 大きな火山角礫岩や溶岩(流)が多く見られる。 山体を構成するこれらの岩石の互層こそが 金時山が成層火山体であったことの証となる。 また寄生火山生成に関しては、金時山ー幕山構造線の想定や 箱根火山を切る北西ー南東方向の圧縮応力が原因でマグマが上昇しやすくなり複数の寄生火山が誕生したとする説がある。 実際 地形図を見ると、卵形の外輪山の地形が金時山ー明神ヶ岳の間だけが内側に凹んでいるのが分かる。 これは箱根北方から 中央の神山方面へと伸びる左ズレの平山断層に原因するものであり、現象的には足柄山地との衝突中の様子を示唆しているといえよう。 一方、幕山と真鶴半島の間でも等高線が異常地形を示唆していて結局、箱根自体が両方からの圧力を受けて割れ目が出来やすく、地層の弱点に沿ってマグマが上昇し火口丘や寄生火山が生じたと考えられる。

 活動期の金時山火山の噴火口は推定だが、山の南側にあったのではとされる。 南面の急峻な壁の溶岩に残る縞模様は 或いは火道の名残かもしれない。 山体の西面や乙女峠から東方にかけても溶岩の岩脈が随所に露出している。 しかし、長い年月を経て金時山の南半分は既に侵食や崩落のために失われた状態である。

参考書:
地形地質観察会/金時山コース   神奈川県立生命の星地球博物館
箱根火山       日本火山学会編           箱根町
箱根シンポジウム/講演要旨集   高橋正樹       02.12.14より

写 真:金時山の山頂から見る富士山         

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