年号と日本人

 「元号」...、少々古いが広辞苑の第二版には 元号とは 「年号」 のコトと載り、年号は年に付けた称号とある。 だが元号と年号はほぼ同じではあっても、両者には微妙に食い違う点もある。 従って、ここでは江戸時代までの元号は年号と呼び、皇室典範や元号法が規定されて以降の明治時代から現代までの呼称を元号と呼ぶことにする。 ... 日本に公的な年号が設けられたのは云うまでもなく AD 645年、孝徳天皇が制定した年号 「大化」 である。 だが当時は未だ諸体制も整わず年号が国内で広く使われる様になったのはAD 701年 「大宝」以降である。 だが年号制定の制度は大化以来今日まで 1374年も続き、その間に247 の年号が制定されている。 尤も 14世紀の 南北朝時代には残念ながら南朝・北朝の双方の朝廷がそれぞれに年号を制定しており、延べ 16の年号が併存していた。

 実は、年号や元号は 「紀年法」 の一つである。 紀年法とは、或る年を起点にして その後に続く年数を順次表示していく手法であり、その中の特定の年代に付けられる年号や元号は一種の称号である。 紀年法には、① 例えば、半永久的に続いてきたキリスト教紀元の 「西暦」があり、② 天皇や皇帝の即位や異変の度に繰り返しセットされてきた有限の年号や元号があり、③ 決まった年数で繰り返される循環式システムの干支等がある。 現代の日本では、このうち西暦と元号が使われているが、隣国の中国では辛亥革命で元号は廃されたので現在では西暦と干支が使われている。 同様に世界ではイスラム系の国、仏教系の国、ユダヤ系の国に於いても、それぞれに宗教や政治起源の紀元や年号が存在し、今尚 機能し続けている。

 年号は「年」 に付ける称号なので、昔から世界各地で様々な年号が作られ使われてきた。 例えば、中国の年号では前漢の武帝時代 (BC 140年頃) に制定された 「建元」が最も古いとされてきたが、最近の研究では この年号が実際に使われた形跡はなく、中国で最初に使われた年号はBC 104年に制定された 「太初」以降からと云う歴史家もいる。 ともあれ中国の年号制度の素晴らしい所は、皇帝が変わっても年の途中での改元は行わず、次の正月に改元していた点にある。 理由は、年の途中の改元は公文書の作成に齟齬を来たすからと云うコトだった。

 年号の決め方は、わが国では平安時代以降次第に定型化してゆく。 ... 年号制定の手順は、先ず天皇から大臣に対して改元の年号を決める様にと命令が下される。 大臣は早速、儀式を司る式部省の次官である式部大輔と学問を司る文章博士にこの旨を伝えて新しい年号の下案を作るよう指示を行う。 年号は四書五経等の中国文献から吉兆の漢字を抜き出し、組み合わせて候補の下案が作成される。 続いてこの候補案は天皇に奏上されて、次は左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議で構成される公卿会議に諮られて審議される。 この結果、最終案が決せられて再び天皇に奏上、最終は天皇が決定して新しい年号は詔勅によって公布され、全国に行き渡らせていた。 明治・大正時代には皇室典範を基に、昭和・令和には元号法の下で元号が決せられている。

 最近では脱年号、脱元号の動きも目立つ。 ビジネス界では鉄道業界、商社を筆頭に脱元号を公表する企業が増加している。 しかもその範囲は通常の社内業務に留まらずに決算書など対外的に公表する資料に至るまですべて西暦表示に切り替えている。 事業の国際化が進み、コンピューター化が進むにつれて、この傾向は今後とも拡大する勢いである。 私も何十年か前のことだが、台湾からの資料の年号が「中華民国***年」 となっていて、これを西暦に直して更に昭和に直すのに苦労したコトがあった。 ... この春、靖国神社の游就館にご先祖様の遺品を見せて置こうと小学六年の子供二人を連れて行った時のコト、最初の日清戦争のコーナーで子供たちは即座に この戦争は1894年に始まった戦争と云うではないか。 私がそれは明治27年に起きた戦争だよと云ったものの子供たちは誰も乗っては来なかった。 強く明治は遠くなりにけりを実感させられた次第である。

 過去には、朝廷が制定する 「公年号」に対して、「私年号」 も各時代を通して広く全国的に用いられていた。... 一部では私年号を、偽年号とか異年号などと蔑視する向きもあるが、日本の地方史を理解する上には疎かには出来ない。 私年号の実態を調べると、そこには歴史の裏側の諸事情が見えてくる。 例をあげれば、聖徳太子ゆかりの「法興」、鎌倉時代に主に関東一円で造られた板碑、戊辰戦争中の奥羽越列藩同盟で使われた「延壽」、天草のキリシタンが使用した「大道」、日ロ戦争の勝利を祝った「征露」 等々 数多ある。 他にも東大寺をはじめ有力寺院や鎌倉八幡宮などの主要神宮でも独自の年号を併用して使っていた。 ... 例えば、平安時代の 1069~1185年の116年間には何と 43 回もの改元があった。 平均で 3年に一度の改元では周囲は着いて行けない。 この様に年号から人心が離反する時代も有った。 ... それにしても 「私年号」 が最も多く使われたのが朝廷のお膝下の近畿地方だったのも皮肉である。
 

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