旗本の実像

旗本と云えば武士の中の武士。 ...旗本とは主君を護衛する親衛隊のコト、戦国大名の陣立てには必ず「旗本備え」 が有り常時相応の人数を配していた。 だが、平和が長く続いた江戸時代にあっては「旗本」とは身分を表す代名詞に変わり、世間からは「お旗本」と呼ばれ当主は「殿様」妻女は「奥様」と呼ばれる身分だった。 ... 江戸時代とは関ヶ原の戦いのあった 1600年から大政奉還の 1867年までのコト。 江戸中期の 1798年(寛政10年)の記録では、旗本の総数は 5158家、このうち三河以来の旗本は 3933家で残りの 1225家は地方出身の将軍に従って来た家来や能楽や囲碁将棋の家元、鷹匠、医師、儒者達だった。 この数は江戸末期まで続くが、幕府崩壊後は当然ながら旗本もその去就を迫られ、それぞれに農工商へ転じたり新政府に転身したりして糊口を凌いだ。 10年後の1875年 (M8年)、漸く秩禄処分が決まると旗本も国家から応分の手切れ金を支給されてその役割を終えた。

戦の無い時代の旗本は一体何をしていたのか? 幕府の職制は基本的には軍事優先の組織であったが 時代を経るに従い徐々に行政官僚組織へと移行して行った、260年の間には形骸化した組織も有れば新しく生まれた役所もあり制度の歪みと人事の不条理は隠せなかった。 江戸末期では奉行等の上級官僚のポストは 34、中級ポストは 83、下級は 112 (小川恭一著 江戸の旗本辞典による)で、旗本、それに多くの御家人はこのポストの何れかに属していた。 但し、小普請組( 小普請方とは異なる)は無職の旗本の組織だった。 ところが5代将軍綱吉(館林出身)、6代将軍家宣(甲府出身)の頃から幕臣の数が増えて飽和状態になり、次第にポストが不足してくる。 これは地方出身の将軍が家来を大勢引き連れて入京して来たためで、その後の8代将軍吉宗からは人数を減らして自粛する様になった。 それでも従来から居た旗本、御家人達の職は減り、その煽りで旗本の次男、三男以下の者の就職は困難となり、彼らは「厄介」者と呼ばれて部屋住み(浪人)を強いられた。 この時期、一般の大名家に於いても不要になった過剰人員の削減と禄の削減が行われている。

 推定では、江戸時代初期の1600年の人口は 1700万人、米の生産高は 2220万石だった、同様に江戸末期の 1850年頃の人口は増えて 3300人、米の生産高は3200万石だった。しかもその 3200万石の内訳は、幕府直轄領での生産高は 420万石、旗本、寺社、禁裏分が380万石、一般大名家の領地分が2350万石だった。 このうち幕府の取り分は420万石の 35%だったので実入りは147万石、更に玄米、白米...と直せば 117万石程度。 1石 ⇒ 1両で計算すれば 、幕府の歳入は長崎の貿易収入を加えても117万両前後。 対する幕末の経常支出は 128万両、更に天災飢饉や御所の火災の始末等々臨時の出費も嵩み、更に金山、銀山の枯渇も有って財政はピンチの連続だった。 これを回避するために行ったのが通貨の改鋳、だがその度にインフレは昂進し財政は破綻寸前にまで達していた。 同時に全国の261の諸藩に於いても財政は苦しく、廃藩置県時の届けでは負債累計は 8000万円(明治初期の歳入の3年分)、にも達していた。原則、昇給の無い旗本各家に於いても家計は苦しく破綻寸前の状況にあった。

 飲酒・賭博・金銭・刀傷・窃盗等の他、家事不取締に行跡不宣(...宜しからず)。 これらは何時の世にでもある犯罪であるが、実は由緒ある旗本にも少なくはなかった。 TV映画や時代物小説に出てくる悪者に代官や与力、地回り、それに家老などが多いのは理由の有ることで、例えば水戸黄門のTV映画を観ていても悪者に大名がなることは一切ない。この不届き者がはびこる原因が士気の低下と経済に有ることは云う迄もない。 士気の低下は、太平の世が続き世襲制が蔓延り出世の道が閉ざされてしまった事。 本元の幕府財政が赤字では報酬は増えない、ましてや厄介者の次男以下には職も無い。 そこで蔓延したのが付届けの習慣、しかしこの「付届け」は当時の社会習慣では贈収賄には当たらずで金銭の授受は公然と行われていた。 問題はこの後で再びコッソリ届けられる贈り物、これこそが賄賂のはずだが実はこれは配下に対する給料と必要経費だったと云うから分らない。 反面、外部からの付届けの多い役柄には、与力、奥祐筆、大奥関係、台所、納戸(物品)、小普請方(建築・修理)等が挙げられている。 でも、これらは現代風に解釈すれば何れも賄賂であり犯罪になる、情報を流しただけでも犯罪になる現代とは大違いだった。

 
 知行1千石の旗本と云えば上級旗本の部類に入るが、彼らの実際の取り分は1千石の 35~40%の 350~400石、これを玄米にすると300石前後、両替すれば年間の収入は300両余になる。一方の出費の方は、50石ごとに課される用人20人と馬2頭、事務方、女中に掛かる給料、経費、家屋の修理費用等を見積もれば残りは殆ど無かった筈。 それでも旗本が俵米支給でなく知行を欲しがったのは見栄でしかない。 下層の 95俵取の武家ですら男女2人の使用人を置いていたと云うから武士の見栄とは恐ろしきもの。 さりとて、当時と現代の生活水準など比べようも無いが...。

 参考書 :
小川恭一  江戸の旗本辞典  角川文庫
 

 

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