本州中央部を横切るフォッサマグナ

  フォッサマグナとは本州の中央部を二つに分断する大きな地溝帯、具体的には関東甲信越に静岡の一部を加えた (但し、茨城・栃木は除く)広い地域である。その地溝帯の西縁をS字状に走る大断層が糸魚川静岡構造線(直線距離は250㎞)。その一方で地溝帯の東縁を区切る線は諸説ありで未だにハッキリしてない。 ...この大地溝帯を最初に発見してフォッサマグナと命名したのはドイツ人の E・ナウマン、日本地質学の父とも云われる彼はミュンヘン大学の出身、150年前の1875年(M8年)に明治政府の招きで来日、1877年に東京大学が創設されるや理学部地質科の教授に就任、後に地質調査所を設立して1885年に任期を終えて帰国している。 交通手段の少なかった明治時代の初期に北海道を除く全国各地を徒歩で巡検して実地で後進を育て、全国の地質図をも作成している。

 最近ではフォッサマグナの研究も進み新しい研究成果が数多く発表されている。 昔に比べて大きく変わったなと感じる点は、① フォッサマグナ内の諏訪湖以北の北部フォッサマグナ地域が日本海沿岸沿いに拡大されていて、秋田~新潟油田褶曲帯にまで広がったこと。 ② ボーリング調査で地下6000mまで掘削、ここ迄の地層調査が出来たコト。但し、場所は北部地方で油田探査時のボーリングだったと聞く。③ フォッサマグナ地域全体の地下の状況は未だに不明、更なる調査研究に期待したい。 ④ 糸静線は単一の一本の線ではなく短く枝分かれしたセグメントの集まりであるとのコト。 ⑤   何年か前に南部フォッサマグナの中に取り残されている関東山地の東方で中央構造線の延長部分が発見された、これは大きな収穫だったと思う。  ⑥ フォッサマグナの北部地域と南部地域で、構成している地質の違いが改めて指摘されたことには大きな意義がある。 ⑦ フォッサマグナは本州中部を横断する大きな火山帯であるとの指摘は重要である。

 北部フォッサマグナの地域の範囲拡大は研究者による地質調査の結果であり、広がった部分は主に新潟県の日本海沿岸の地域である。 この部分は神城断層 (24㎞)等が伏在している歪みの集中帯と云われている地域で地質も北部地域とほぼ同じと云う。... また、ボーリング調査の深度の記録は6000mではまだまだ不足、世界のボーリング最深の記録は 1989年、ロシアでの 12,262m 、ここまでボーリングをした時点で地下の温度が180度に達し、ドリルビットが高温の為に機能しなくなったので止む無く中止したと云う。 日本でもせめて10,000mはボーリングして貰いたいもの。 将来的には、地中探査にミュオグラフィーの様な透視可視機が地下岩盤の調査等に使用できる様になれば楽しみも増えようと云うもの。 ...次の糸静線の断層線形状の問題は、地表と深部、最深部(1万m?)ではそれぞれに形状は異なるもの、寧ろ表面の断層地形などは結果にしか過ぎない。断層情報は、西縁の糸静線は北部地域では東側が隆起する逆断層で、南部では西側が隆起する逆断層、中部地域では左横ズレが卓越しているとされる程度で良いのでは。 ...続く 2006年の南部フォッサマグナ内での中央構造線発見のニュースには興味深いものがある。中央構造線が顔を出している下仁田から新しく発見された大宮市岩槻の間は構造線がズーと通常の状態で繋がっているのか、或いはズタズタに切られているのかは興味深い。こちらは領家帯だったが、更に先の習志野や成田では三波川帯が発見されていると聞く。拡大した時代のフォッサマグナと中央構造線はどの様な関係にあったのか、興味は尽きない。 因みに、岩槻では 3150m ボーリングをして2850m地点までは堆積岩でその下は火成岩の基盤岩だったとある。...さて 南部フォッサマグナの地層は北部の地層と違い、全国の他の地層とも全く違うというが、これは南部の地層が主にフィリピン海プレートの海底火山に由来する海成層だというコト。そうであれば関東南部や静岡県東部に住む人は、今までは(地理上は)北米プレートに乗る東日本に居ると思っていたのに、地質学上は必ずしもそうではなく フィリピン海プレートの残渣の上に乗っている? と云うわけ。 ...火山列の話。 今までは群馬、長野の火山の多くは本州の那須火山帯に属するものと思ってきた。 なのに今後は富士、八ヶ岳、浅間から長野・新潟西部の火山群は縦の線でも見ていく必要もあると云うもの。これは面白くなりそうだ!

 ジオパークが整備されるズーッと前、某自然史博物館の見学会で糸魚川の糸静線断層の露頭を見に行ったことがある。かなりの距離を歩いて辿り着いた現地は手入れはされてなく、縦方向の大断層は既に明瞭ではなかったが、この縦の断層線が東西日本の境目だと云うコトだけは理解できた。 ... その何年か後、某市立博物館の巡検で糸静線沿いの山梨換の旧武川村の露頭に立ち寄ったことがある。現地は南ア 鳳凰三山の地蔵岳より流れ下る石空川(いしうとろかわ)の精進ヶ滝から少し下流の右岸にあった。40~50mの緩斜面の露頭は東側には第三系(桃の木層)の黒色の地層が西側には甲斐駒花崗岩の破片が散乱していた。東側が西側の上にのし上がる逆断層型だと説明されたが良く分からなかった。 現地の説明版には当地から更に南へ御座石温泉の西方 ⇒ 大馴鹿峠 ⇒ を経て早川町新倉の断層へとほぼ直線で繋がるとあった。 この後、千葉の地質の会の知人から声を掛けていただき、20人程のグループに入って この新倉の断層を見に行く機会があった。当地は南アルプス街道沿いの山梨県早川村の新倉で、現地は ちょっと脇道に入った先の発電所の裏手にあり、街道からは見えないので知っている人がいないと通り過ぎてしまいそうな場所である。 説明では台風時の大雨で山の土砂が崩れ、最近 断層が顔を出したと云われた。 新しく現れた断層なので岩脈も新鮮だった。 なお、この南アルプス街道は北方へ行けば 広河原~北沢峠~長野県へと続く道である。我々はこの後、南へ下がり地学専門の市川先生のご指導を得て 皆で見延山地の裏側の雨畑方面で似たような断層地形を探したが短時間だったこともあり見つけるコトは出来なかった。

 参考 :
 藤岡換太郎  フォッサマグナ  講談社









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