この国の神と仏と...。

 正月の街の風景と云えば先ずは「人出に混雑」。 例えば初詣、毎年 年末から年始に掛けては 延べ 8千万もの人が繰り出しているが、これら善男全女の行く先は決まって、神社仏閣であり あとは初日の出の見物だろう。 しかし彼等のうち、出掛ける先の神社仏閣に誰が祀られているのかまで正確に知っている人は決して多くはない。例えば源氏ゆかりの鎌倉の八幡宮であっても そこに源の頼朝が祀られている訳ではない。... また江戸時代には 江戸市中や大坂界隈の街中に小規模の神社や祠、寺院が増えていた、それは当時 地方から出てきた大名や成功した町人が自分の郷里の神社仏閣から神仏を分社化して持ちこんだ為だった。 従って、この小規模の祠や寺社は招致したご当人にとっては氏神だったり仏様ではあるが、他人には無用の長物のはず。 ところが日本人は、寺社や道端の祠、地蔵さん、馬頭観音など、見るたびに何構わずに手を合わせて賽銭を置いて行く、だがこれは本来は筋違いというもの。 かく云う私も旅行の途次に止む無くあちこちの寺社に立ち寄らざるを得ない時もあるが、歴史的な関心は有っても ただ建物などを眺めるだけで賽銭などあげた記憶はない。第二次大戦中、最後には神風が吹いてこの国は必ず勝つと吹聴していた寺社になど 今もって敬う気など全くない。 金が要るなら寧ろ、賽銭よりも入場料を取ってくれた方が納得がいく。

 最近、松岡正剛さんの著書「日本文化の核心」を読んでいたら七福神の由来が書いてあった。七福神とは恵比寿・大黒ら七人が乗る宝船や七福神巡りなどで昔から よく知られた七人の神仏のコト。 先ずはこの七人、よく見ると多神多仏のメンバーで構成されている。 このうち恵比寿は日本古来の漁業の神であるが、福禄寿・寿老人は古代中国の道教の神であり、大黒天・毘沙門天・弁財天の3神は元来インドのヒンドゥー教の神々で、布袋は中国の寺院に実在した本物の禅僧である。 宝船に乗るこれら7神は、誰が選んだのか ある意味雑多な寄せ集めともとれる不思議な構成である。 例えばギリシャ神話に出て来る神々は、親子関係や血縁関係が明確で、しかも神々の役割まで明確なのに対して、宝船に乗る7人の神々は、時代も異なり単にお遊びの為に寄せ集めされただけの集合体にしか過ぎない。...宗教の先進国であった往時の中国、特に唐~宋の時代には道教・仏教・儒教、三教の融合など ごく有り触れたコトの様だが、ひょっとして 実態は宗教的な迫害から逃れる為の知恵であったのかも知れない。子供の頃には うちの叔母など、「恵比・寿大黒どっちがよかろう、どうでもこうでもコッチガ良かろう...,なんて子供相手に良く歌って呉れていたものだ...。

 「創唱宗教」と云う言葉がある。 これは教祖・教義・教団の三つがハッキリしている宗教のコトで、特に教団がハッキリしている宗教を指す。 今の世界でこれに該当する宗教は、キリスト教とユダヤ教、それにイスラム教くらいであろうか。仏教や道教は幅が広く教祖や教義に関しても数が多く、更に対象も宇宙であったり個人の心の内であったり、更には人間以外の山川草木まで祈る対象であったりと多岐に亘る。...その仏教、今では死者を弔う宗教として捉えられているが、当初 奈良時代に導入された仏教はむしろ国家の守護・鎮護の神として導入された筈である。...今では世界に多々ある宗教であるが、これらはそれぞれの宗旨の優劣の問題ではなく、その宗教のスタート時に、或いは創成期の環境に左右される場面が強かったからではと思う。....同じキリスト教であっても創世記に教義の解釈が原因で教団は分裂、或る一派は東方へと向かい途中で他の宗教に影響を与えながらも最後は、アジアの僻地で自然消滅している、現在の日本に在るキリスト教は西方へと向かった一派の系統である。 蓋し、各宗教の教祖・教義の解釈に優劣は付けられない。

 厳かな岩場や大きな滝に霊力を感じ、或いは流麗な山体の姿に威厳を感じる。...わが国では そうした場所を神奈備(カムナビ)とか産土(ウブスナ)と呼び、その地を神々しく霊力の有る特別な場所と捉えて、そこに榊の木を植えたりシメ縄を張ったりして、時にはその場所に小さな社(ヤシロ)を建てて、その地を神域として区切った。今ではそれが神社の始まりとされている。 従って、そこの祀られている神々もそれぞれで、お隣さんの神とは必ずしも同一である筈はない。 今、我々の周囲を見ても明治神宮有り、熱田神宮有りで、より小さな視点で見ても周りには数多くの 何々八幡、何々稲荷、或いは...天神様、山王様と神社の数は多い。 しかも、各神社はそれぞれに発生の経緯も時期も異なるので 、神道全般を覆うような教義は持ち得ない。 近年、新しく出来た天理教や大本教などをも含めれば収拾など付く筈もない。 ただ、神道自体は体系的には皇室神道、国家神道、神社神道、民族神道、原始神道などに分類されると云うが、それでも神々の正体を推理することは難問である。

 日本に仏教が伝来したのは6世紀の半ば、この時初めて飛鳥寺に着いた実物の釈迦如来坐像を見て、人々はこれを「漢神(カラカミ)」と呼んだ。だがもっと重要だったのは、日本人がこの時 神の「偶像」を初めて見たコトである。もともと日本の神に姿はなく神にはただ「影向(ようごう)」、影しか無い神だったのである。...それまで神祇信仰しか持たなかった この国に6世紀半ばに仏教が流入、その結果 一時期には仏教派と神祇派との間に勢力争い(蘇我氏と物部氏)はあったものの、結局は神と仏の両者は勢力を温存したままで融合し、その後は神と仏が奇妙な形で併存していくコトになる、いわゆる神仏混淆、神仏融合である。 それが鎮護仏教であり、あの神宮寺の出現であった。 本当に三輪神宮寺、伊勢大神宮寺、宇佐神宮寺、住吉神宮寺、石清水神宮寺、...etc が、7~9世紀に建立されている。 その間、神に菩薩号を贈ったり(八幡大菩薩)、神前読経がおこなわれたりで、仏が神の姿で現れるとされていた。 ...これが「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」の時代である。 この逆は「神本佛迹説(しんほんぶつじゃくせつ)」で、その後に、神国思想を復活させようと動いたのは後醍醐天皇、しかし建武の新政の失敗でこれは成功しなかった。何とか分離が進むのは明治になってからである。 東洋の大国 中国では唐、宋の時代から既に儒・仏・道の三つの宗教が時には融合し合い時には分立しながら近世にまで至っている。 ..若干 疲れました、この続きはまた後日に。

 参考 :
松岡正剛    日本文化の核心  講談社





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